嗤う繊月 ⑤
トンネルの奥に潜むそれは
ははぁ……。じゃあ、覚悟はいいね?
カッコ悪く、泣きべそなんてぇのは、絶対かくなよぉ。いい年をしてからに。
もう一度、奥まで入ってみよう。
どうせ、何事もありゃしないだろうが。
まぁた、トンネルに。
うんじゃ、真っ暗だから。この、LEDの懐中電灯を持って。
ほんじゃまあ、入りますか。
…………相変わらず、トンネルの中の空気は………
蒸してて
湿ってて
じめじめしててなぁ……。あ~あぁ……。
こん、懐中電灯のリチウム電池、そういえばそろそろ……、いやぁ、何でもない。
はぁ、暗いな……。
トンネルの中はさぁ、たまに鉄バクテリアなるものが発生して硫化水素臭の異臭をさせることがあるんだとさ。
硫黄温泉からするような……、たまごの腐ったような臭いだよ。腐卵臭。
あれは、卵の中にシステインやメチオニンという硫黄元素があるから、卵が腐る過程で硫化水素を生じさせる。
つまり、温泉の硫黄のにおいの成分は、硫化水素という物質が発生させている、二つの臭いは同じものだ。
……ただトンネルを歩いてるだけってのは退屈極まるな。
……さっきもいったけど、トンネルは、胎道なんだよ。
人間が血まみれで這ってくる最初の道だ。
俺達は今、胎内くぐりをしてるんだ。二人仲良くなぁ。
そうさなぁ。
もしトンネルの向こうまで通り抜けられたら、二人、生まれ変わってるかもなぁ。わはは。
ああしかしだなぁ。
お化けなんか、影も形も出ないじゃないか。
硫化水素といえば、硫化水素を使った自殺も流行ったりもしたなぁ。
洗面器に硫黄が入った入浴剤を入れ、トイレ用洗浄剤をかければ硫化水素が発生する。ははははぁ。くっく。
おかげで、全国で硫黄入りの入浴剤は製造中止になってしまったんだ。
この時も、強烈な腐卵臭が発生する。
硫化水素自殺といえば、周りの人間も死に巻き込む、巻き添え被害多発の自殺方法だというのは知っているか?毒ガスだからなぁ。なぁ、あんた、どこかを歩いていて、急に、ツンと、腐卵臭を感じたら、決して近づくなよ……。避けるんだ……。
はぁ~あ。
俺なら。
腐った卵に囲まれて死ぬなんて。
一切、ごめんだなぁ。
あんまりにも硫化水素が溜まりすぎた空間は、鼻を麻痺させるから、臭いもわからなくなるそうだけどな。
はぁ。何も起こらないから、暇すぎて無駄口が増えるなぁ。
退屈だなぁ。
今写真撮れば心霊写真撮れるのかなぁ。
こいこい。半身女。
━━━そうして、突き当たりまで私達は難なくぶち当たった。
………その時だった━━━
抜け出して
んんん?おお……電池切れか?
懐中電灯の灯が………消えてしまった………。
わお、真っ暗だ……。
あんた、どこにいる?
━━━八方完全なる真っ黒い暗闇の中、私は狼狽していた。
誰も、何も、何の物があるのかも見えやしない。
手探りで空間の構造を掴むしかない。
出口まで引き返すために。
冷たい壁、石の、コンクリートの感触が掌に当たる。
どこだ?これは……何だ?
これは、壁だ。
これは、管?のような。
これは、階段?
これは……段差になっている。
これは……ザラザラしている。
これは……何かの繊維の固まり……糸の集合体……髪の毛?
突然、手を掴まれた。
何かに。
「いきましょうよ……向こうに…………」
すぐそばから女の声だ。
手を向こうへと引っ張られる。
私は驚き、慌てて、手をブンブン振り払い、とにかく女の声がする方向と逆方向に、かけて、かけて、全力疾走した。
すると入り口らしきアーチの中の夜の景色が遠目に見え、私はそれをめがけ、懸命にダッシュした。
やっと外に飛び出ると、入り口から3、4メートル離れた先に、吉岡智弥が呑気な顔をしてこっちを見て立っていた。
ライトが消えるがいなや、とっとと先に逃げていたらしい………━━━
どうしたぁ、慌てて。
えっ?おい、何でお前は先に逃げてるんだと?
替えのリチウムが確か外にあったはずだから……何、嘘をつけ?
はははぁ。その様子だと、さては噂の幽霊を見たな?
なんだぁ、やっぱりいるのか。それじゃ、報告書にしっかり書いとかなきゃな。
ありがとさん、ありがとさん、協力してくれて。
じゃあぁ、帰りますか。
帰り道はちょっとしたナイトハイクだな。
夜山が綺麗だなぁ。ねぇ。
ああ、ちょっと、何逆方向にスタスタ歩いていっちゃうんだよ。
ちょっと、あんた。
おいって。
あああ、行っちゃった。
→ 閑話を挟んで第3章へ続く
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