221006 北海道一周旅行記⑦(札幌→稚内)
先ほど、「青春18きっぷで1500km大移動」シリーズの最後の記事をアップロードし、無事に完結させることができました。そもそも更新が著しく滞っていることにより旅行記の継続自体が非常に危うい綱渡りである中、よくやったと思います。誰もほめてくれないから自分でほめているというわけです。「スキ」なるものがやる気になっているのかはよくわかりませんが、20年、30年経って自分がオジサンになった時に「そういえばあんなことやってたなあ」と振り返るためにも今はきちんと旅を記録しておくことにします。
時の流れというのは人を変えるものですが、ぼくは卒業して3年ぶりに会った人にも「変わらないね」と言われるのです。要するに髪型が一切変わっておらず、どこに行くのもTシャツ・短パン・クロックスというスタイルも変わっていないためにそういうことになるのですが、つい先日も今年大学生になった後輩に「大学生のファッションじゃないです」と怒られました。ぼくの方がだいぶ長い間にわたって大学生をやっているのですが、どうもぼくの服は大学生としてはふさわしくないようです。「ajides」と書いてあるTシャツの何がいけないのでしょうか。ぼくからしたら、タートルネックにジャケットに白い長ズボンという、怪しいコンサルあるいは詐欺師みたいな恰好をしている同期の方がよほど変な恰好をしているような気がします。ワニがひっくり返ったイラストの下に「okosite」とか書いてあるTシャツの方がいいじゃないですか。
おはようございます
さて、例の無駄に広い部屋で寝ていたぼくは見事目覚めることに成功しました。目覚めることに成功というのはなかなか意味が分かりませんが、前日に起床事故を起こし夜10時まで走る羽目になった身としては朝起きられるだけでも十分うれしいのです。昨日のうちに買っておいたセイコーマートのおにぎりを食べて出発します。今日の目的地は稚内です。
今日も例によって給油してから出発します。札幌はガソリンが高いようで、この日の給油はリッター160円くらいでした。ENEOSのモバイルEnekeyなるものを利用したので色々と割引が入っていたようです。給油中に店員さんが話しかけてきて、ENEOSのクレジットカードを作らないかと勧誘されましたが、普段はカーシェアしか使わないので丁重にお断りしました。これ、前に住んでいた家の近くのガソリンスタンドでも言われたんですよね。「あー、この車カーシェアなんで・・・」と言ったら「だからいつも違う車でいらっしゃるんですね!」と言われました。よく見てるなあ。ちなみにEnekeyは配布が終了したのでスマホアプリに変わったそうです。
増毛へ行く
給油したのでどんどん北上していきます。今日、最初に立ち寄ったのは留萌本線のかつての終着、増毛駅です。なお、「ぞうもう」ではなく「ましけ」と読みます。ちなみに四国には半家と書いて「はげ」と読む駅があるので近いうちに行ってみたいですね。留萌本線があった頃なら「半家→増毛」というきっぷを買うこともできたのですが、なかなか惜しいことをしました。
留萌本線はこのあたりで獲れたニシンの加工品を運ぶのに重要な役割を果たしていた路線でしたが、利用者の減少に伴う収支悪化で留萌-増毛間が2016年に廃線となり、残りの深川-留萌間も段階的に廃線になることが決まっています。かつては留萌-幌延が羽幌線という路線で結ばれていましたがこちらは1987年にすでに廃線となっているため、留萌本線は完全に行き止まりの路線です。営業距離が50㎞ほどしかなく、日本一短い本線らしいですね。
増毛駅は観光用に保存されていて、中には「つるつる→増毛→ふさふさ」というふざけた看板も用意されていました。今の時代、なんとかハラスメントになりそうな看板ですが、わざわざこんなところまで「増毛」という名前に惹かれて訪ねてくる人にそんな野暮なことを言う人はいないでしょう。鉄道は廃線になっているのでもちろん鉄道で来ることができないため、ここには車かバイクで来るしか方法はありません。自転車でもいいですが、とんでもなく時間がかかると思います。留萌まで来られればバスがあるんでしょうか。ま、よく知りません。行きたい人は自分で調べたらいいと思います。
次は三毛別ヒグマ事件跡地へ
さて、こんなところで時間を使っているとまた夜10時に目的地に着く羽目になります。今日は移動距離的にもそれほど長いわけではないのですが、こういう油断は命取りです。別に命まで取られることはないと思いますが、ノシャップ岬に日が出ているうちに辿り着いて夕陽を見たいので先を急ぎます。次の目的地は三毛別ヒグマ事件跡地です。
ここは苫前町から20㎞くらい離れたところにある施設で、三毛別ヒグマ事件の当時を再現した開拓小屋などが展示されています。三毛別ヒグマ事件というのは今から100年以上前に起きた日本最大の被害を出した獣害事件です。北海道の開拓にあたっていた人々の家が大きなヒグマの襲撃を受け、最終的に7名の死者を出した事件で、その時のヒグマが立ち上がった時の高さが3.5mほどだったとされています。2日前に見たヒグマがどれほどの大きさだったのかよくわかりませんが、北海道の山奥でいきなりあんなに大きな生き物が攻撃してきたとなったら生存するのが困難であるのは容易に想像できるでしょう。ヒグマというのはクマ牧場以外の場所で出会いたい生き物ではありません。
跡地に向かう道路は「ベアーロード」と名付けられており、クマさんの看板が至る所に立っています。苫前の街中を出れば跡地までは一本道なので道に迷うことが困難な状況です。というか、一本道の行き止まりが跡地になっています。その先に抜ける道もなくはないようですが、通行止めになっているようです。
途中には「入ったら100万円もらう」という謎の看板が立てられた家があって、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。過去に入ってきた人に何かされたことがあったのか、それともちょっと変わった人なのか、それともクマが出るから一般人は入るなよ(じゃあ家主はいいのか)ということなのか、事情は分かりませんがとりあえず遠巻きに眺めてきました。なお、この100万円の家まで来たら目的地はすぐそこです。
目的地の直前からは砂利道になりました。この車は四輪駆動なので構わずどんどん進んでいきます。ちなみにここで推定200mほどの砂利道を走った二日後にはなんと往復30kmの砂利道を走ることになるなどということをこの時のぼくは知る由もありません。しばらく進んだらようやく目的地に到着です。
このあたりは今でも本当にクマが出るので注意する必要があります。しかも、ここはスマホがつながりません。ぼくはahamoを使っていますが、しっかり圏外になっていました。つまり、何かあっても後から来た人に見つけてもらわない限りは助けを求めることすらできないのです。ちなみに立札があって、そこには「ハチに注意」と書いてありました。クマじゃないんかい!
復元地(なおPCによれば「服現地」)には当時の開拓小屋を再現した藁と木でできた小屋と、その横にはクマの像が作られています。なお、このクマは上半身だけです。下半身は台になっていました。ま、見えないからいいんでしょうね。小屋の中にもいろいろ展示がありますが、壁に近づくとクモの巣に引っかかるので壁に近づいたり展示物に触ったりするのはやめておいた方が賢明というものです。この事件に関心があるなら、オロロンラインに戻ってもう少し北上したところにある苫前町の郷土資料館に行った方が良いと思います。ここはあくまで雰囲気を体験するためのものです。
オロロンラインを爆走
さて、ヒグマ事件跡地を堪能(するほど見るものがあるわけでもない)したぼくは、引き続きオロロンラインを北上します。途中で例の資料館にも寄り道してきました。見るものがあるかないかで言えば間違いなく「ない」の部類に入りますが、三毛別ヒグマ事件についての展示だけは世界で一番詳しいと言えるはずです。それ以外の展示はなんというか、最大限オブラートに包んだ言い方をすると「どっか別の資料館でも見たぞ」というような農具やら衣類やらが置いてあるだけでした。ま、興味ある人はどうぞというくらいのオススメ度ですね。
ここから先はオロロンラインをひたすら稚内に向けて爆走します。例の如くトラックも爆走、軽トラも爆走、レンタカーも自家用車も出せる最大のスピードで飛ぶように走っているので流れに乗ってここには書けない速度(一応二ケタ)で北上していきます。天塩川の河口のところで海側を走る道路に入っていくと、そこは正真正銘誰もいない道路でした。途中で猫が轢殺(レクサスではない)されていたり、突然砂利道に遭遇したりはしましたが、その先に広がっているのは滑走路と見紛うばかりに真っすぐで整備された道路です。道沿いには大量の風車が並んでおり、日本海からの爆風を受けて見たこともないような速度で風車がクルクル回っていました。それを眺めていたら同じようにレンタカーに乗った大学生(あちらは複数だった)がルーミーに乗って現れましたが、前に入られると厄介なので景色を眺めるのもそこそこに先を急ぎます。
道路には誰もいない+無駄に綺麗な路面という最高の条件が整ったので速度を上げようかとも思いましたが、横風が10m超(体感)なのでそういうわけにもいきません。3ケタになるかならないか、最高速度は十の位が2になるかな?くらいの速度(百の位はご想像にお任せします)で巡航していましたが、どうも車が絶えず波しぶきを浴びているようでガラスというガラスがとんでもなく汚れてきました。もはやワイパーが通らない部分はすりガラスと言っても過言ではありません。ワイパーが拭いてくれている部分だけがぼくの視界です。
走っていると、カーナビに「抜海駅」という文字が書かれていました。この抜海というのはあの抜海なのであって、と言ってもわからない人のために説明しておくと稚内の二つ手前にある、毎年廃止が議論されつつもなぜか存続を続けている日本最北端の無人駅です。当駅よりも北にある南稚内、稚内は有人駅なので無人駅の中では最北端に位置しています。しかしこの抜海駅、鉄道で来るには大変不便なのです。そもそもの運行本数が少なすぎてここで途中下車してしまうとにっちもさっちもいかなくなります。したがってよほどの覚悟を決めていくか、車で行くかしか方法がありません。ぼくも鉄道で通ったことはありましたが、今回初めて駅舎を訪ねることができました。廃止前に行けるのは今回が最後になる可能性も普通にあり得るので、駅舎の中にしばらく滞在して雰囲気を味わっていると、旭川方面への列車が入線してきました。乗降客は数名、地元の高校生と鉄オタだけでした。確かに、廃止が議論されるのもうなずける光景です。
ノシャップ岬へ、そして稚内到着
ここまでは冷房を切って燃費を改善しようとしていましたが、さすがに窓を開けていると寒いうえに車内に波しぶきが入ってくるのでオロロンラインは窓を閉めて走ることにしました。しかし、この時期の北海道というのはもうだいぶ涼しくなってきているので特に問題はありません。窓を閉めていると車内がちょうどいいくらいの気温になってくれます。前にも後ろにも誰もいないという状況で北の大地をひた走っていると、ノシャップ岬に到着しました。
ノシャップ岬というのがわからん、という人のために説明しておくと(北方領土を除いた)日本の最北端は宗谷岬ですが、その西側にある岬がノシャップ岬です。実は北海道のてっぺんというのは二つに分かれていて、左がノシャップ岬、右が宗谷岬なのですが、その左側に到着したということになります。この二つの間に稚内市街がある都合上、宗谷岬は明日の訪問になりますが、逆にノシャップ岬は今日中に行っておかないと動きの効率が悪くなるのでここまで急いできたのです。なお、根室の方には納沙布岬(のさっぷみさき)という岬があって、北海道初心者の人はどっちがどっちかわからなくなっています。
ちょうどこのころに夕暮れというか、もう夕暮れと言える時間は過ぎていたのですが利尻島を見ることができました。ただ、相変わらず風が強くて体感で言うと15mくらいでしょうか。岬の先に行くと波しぶきが飛んでくるので早々に退散することにしました。というか、そんな風の日にそんなところに行けばびしょ濡れになるのは当たり前ですね。そういえば、一昔前の台風中継は室戸岬の先端とかに行って「ご覧ください!雨風がすごいです!」とかやっていましたが、あれと似たようなものでしょう。台風でなくても岬の先端に行けば風が吹いているものと決まっています。「そりゃそうだろ、アホか」と思って見ていたら最近の中継は「室内からお届けします」に変わったようです。やっとまともになったなあ、と一安心しています。
一安心したところでこのあたりで終わりにしておきましょう。この先を書いていたら記事が6000字を超えていたのでキリのいいここで一旦中断するということにします。