父の三回忌を欠席するという選択
父というひと
2年前の今日、父が亡くなった。
あまりに突然のことで驚いたし、
今でも帰省したら「おー!よく帰ってきたねー!」と両手を頭の上に掲げてひらひらさせながら出迎えてくれるような気がしている。
因みに、
この両手をひらひらというのはコレのこと。
聴覚障害があったわけではないが、
テレビかなにかで拍手を表現するこの仕草を知ってから
「手を叩くと痛くなっちゃうじゃん?
これだったら痛くないしパチパチうるさくもないし、なんかおめでたい感じもあっていいよね!」
と事あるごとにひらひら踊るように音のない拍手をしていた父だった。
父の入院
父が救急車で運ばれて入院したと聞いたのが、
2年前のとある日曜日。
風邪のような症状が続いていたある日、
救急車を呼んでほしいと自分から母に頼んだのだという。
耳もよく聞こえるし、
晩年は血圧を気にして控えてはいたものの、食べることもお酒を飲むことも煙草を吸うことも好きで、
男のくせに…なんていったら差別的かもしれないが、
話好きで昔から大きな声でよく喋る、病気とは無縁そうな人だった。
しかし、実はある病気が原因で両足を切断し、
20年以上車いすの生活をしていた。
自分から救急車を…
というのは小柄な母では自分を運ぶことが出来ないから、という父なりの優しさだったのかもしれない。
『昨日入院したのよ』
なんて話を電話で聞いて、
大丈夫なの?!と声を上げたが、
『今は落ち着いているからしばらくしたら退院なんじゃないかしら』
と聞いて安心し、
他愛もない雑談をして電話を切った翌日、仕事終わりに母からの大量の着信履歴と
『パパが危険な状態です。早く帰ってきて。』
というLINEが届いていた。
私の後悔
結局、父とはそれから1週間、
朝と夕方の短い面会時間で話すことができた。
痰が絡んだガラガラとした苦しそうな声ではあったが、
時には冗談も交え、調子がよさそうな日もあったので、
私はこのまま回復するんじゃないかと思っていた。
しかし、良くも悪くも進展がなく、
本来なら東京で仕事をしているはずの私が毎日お見舞いにきたら父が気にするだろうから…
と母と相談の上、一度東京に戻ることを決めた。
父には、5月の連休にまた帰ってくるね!と伝え
「おう、待ってるからなー」
と、いつもみたいに手を挙げて見送ってくれた。
しかし、それが父との最後になってしまった。
私が東京に戻って1週間、
明日にはまた地元に帰って、夕方の面会時間に間に合うようなら父に会いに行こうと思っていた前日だった。
待っててくれるっていったじゃん。
「仕事はどうした?」「休んできたのか?」
「また東京で頑張ってこい」
と言っていた父が、実際に東京に戻る日に
「帰っちゃうのか…」
と小さくつぶやいたのが今でも思い出される。
お調子者で大きなことばかりいうけれど、
実際は寂しがりやで、
年末年始に遠方から来ていた親戚が帰る日も
いつも本人たちがいなくなってから寂しそうにしていた。
私はあの日、東京に戻るべきじゃなかったのかもしれない。
一周忌と納骨
父の実家は北海道で、我が家のお墓ももともとはそちらにあった。
しかし、長男である父が地元を離れてしまっていたことや、
2018年の北海道胆振東部地震で墓石が倒壊してしまったこともあり、
墓じまいをした。
すでに眠っていた祖父母の遺骨は我が家にやってきて、
いずれ父が亡くなったら、こちらに新しくお墓を立てるでもいいし、
そのとき考えましょう…
なんて話をして間もなく、まさかこんなに早く"そのとき"が来るとは思わず、慌ててお墓の建立の話が進み、納骨は父の一周忌に行うことが決まった。
しかし、まもなく世界は新型コロナウイルス感染拡大で一変。
直前まで帰省を考えていた私だったが、
都内の感染者増加や緊急事態宣言発令という状況を見て、家族と相談の上、欠席を決めた。
続く、コロナ禍
納骨から一年。
三回忌にあたる今日、私は東京の自宅にいる。
一周忌の欠席を決めたとき、
冠婚葬祭は出たほうがいいのではないか…という人もいた。
しかし、高齢者が多い田舎において今、東京から人がくるというのは大事件に近いのだ。
狭いネットワークでは『〇〇さんの娘が東京から帰ってきているらしい』なんて噂はすぐ広がってしまう。
家族・親戚をウイルス以外のものからも守るため、欠席を選んだし、家族もそれを理解してくれている。
思えば、2011年の東日本大震災のときに慌てて実家に電話をした私に
「こっちは無事だから、
他にも連絡(回線)を必要としている人がいるんだからすぐに切りなさい」
と父は冷静に言っていた。
きっと、父も大丈夫だ。
とりあえず、お金にうるさかった父に香典を送ったので、
父の好きそうなものとか、父が食事を始めるとグイグイ寄ってきた愛猫たちの好きそうなものを買ってあげてくれと母に伝えた。
そういえば、東京2020オリンピックがどうなるかについて、
私は正直あまり興味がなかったが、
父が亡くなる少し前に
「2020年になったら車いすを新調して、
新しい車いすでここで東京オリンピックを見るんだ!
大きいテレビも買おう!」
と、とても楽しみにしていたということを昨日母に初めて聞いた。
こんな状況下なので、絶対に開催してほしい!とは言わないが、オリンピックに対する意識が変わった。
パパ、元気してる?
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