キャリア、積むや積まざるや
「キャリアを積む」という英語表現はないそうです。
今回は、この言葉について深掘りしていきます。
careerという英語のそもそも語源は、
「車道」や「轍(わだち)」。
何かを目指し、経験、実績、能力、
そういうものが車に積まれていくのですが、
その「積まれるもの」自体では、ない。
あくまで、車が通った後、通っていく先、
その「流れ」自体を指す言葉であって、
常に「流動」していくものです。
だから「積む」という表現は無いのです
(構築する、ならあり得るそうですが)。
固体か液体か気体か、でいうと、
日本語の「キャリア」は、個体。
英語の「career」は液体・気体。
(あくまで私のイメージです)
「キャリアを積む」というと、
いかにもピラミッドに石を積み上げます的な、
『人間の一生は重荷を背負って歩むが如し』
的な、静的なイメージがあります。
カチッとしたもの。積み上げ。
ところが本来のcareerは、
「道」「流れ」なのですから、
『万物は流転する』的な、もっと軽やかな、
動的なイメージ、なんです。
サァーッと流れる、進む、変化する。
モーセの十戒のように、海を割って
道をつくることだってできる。
道が拓かれていく。流れが変わる。
大河や大気。カチッとしてません。
ここの違いが存外に大きいのではないか?
ここの違いこそ、色々な「誤解」を生む
元凶になっているのではないのか?
あくまで私のイメージなのですが、
カタカナ英語「キャリア」には、
「実績」のイメージが、強く出ます。
過去の刻印。倉庫に貯蔵。モノ重視。
対して、英語「career」には、
「進路」のイメージが、強く出ます。
未来の希望。流れ行く先。ヒト重視…。
さて、以上を踏まえ、読者の皆様が
持っている「イメージ」はいかがでしょう?
「…うーん、そう言われてましても、
あなたのイメージは何となくわかりますが
別にそれに決まっているわけじゃない、です。
キャリアでもcareerでも、
過去でも現在でも未来であろうが、
その時々に応じて、その人に応じて、
『積む』こともあれば『流れる』こともある。
…そんな一つには、決められませんよね?」
うん、そうです。
まさに、この「一つには決められない」言わば
「多義的」なのが、難しいことでして。
私は先日『キャリアの幻術師』という
記事を書きまして↓
「キャリアという言葉は多義的だ、
その都度、定義をすり合わせしないと
すれ違いが起こる」ということを
つらつらと書いてみたのですが、
改めて「キャリア」と「career」は
人によって、土地によって、ケースによって、
捉えられ方が違うなあ、と痛感しています。
キャリアの専門家、
キャリアコンサルタント、キャリアアドバイザー、
そういう方たちは「キャリア」について
とても詳しく、様々な捉え方、定義があることを
知っていらっしゃる、と思います。
個体イメージの「キャリア」、
液体・気体イメージの「career」、
どちらについてもとても詳しく、
ケースバイケースで使い分けることも
すらすらとできる、と思います。
専門家ですから。
ですが、いわゆる「キャリア相談」を
「受ける側」はそうではない。素人です。
素人には、往々にして、固定観念がある。
「ピラミッド」的なキャリアのイメージを
「積み上げてきた」人もいれば、
「万物は流転する」的なcareerのイメージを
「充満させている」人もいる、と思います。
そんな千差万別な素人、相談してきた側に対し、
もしあなたがプロとして「キャリア相談」に
乗ってあげる側であったら、どうしますか?
…まずは、相手の
「キャリア観」「career観」を確認し、
キャリア(career)の定義をすり合わせ、
お互いの考えを解きほぐし、提示して、
これから行う相談、支援、提案は、
こうこうこういうものですよ、と
一致させてから、行いますよね?
そうしないと、川の上に
ピラミッドを作るようなもの。
またはピラミッドの上に水を流すような、
無意味なことになりがち、ですから。
…このあたりが、どうも問題に
なっているのではないか、と思うのです。
つまり、ミスマッチング。
相談者が抱える「キャリア(career)の悩み」と
サービス提供者側の「キャリアサービス」との
不一致。
価格への安心・不安、サービスへの満足・不満足。
…新しい考えが広まる時には、
どうしても誤解、勘違い、すれ違いは
避けられません。
それが自国の歴史に、
あまりない概念であった時には、特にそう。
明治時代にも、
「憲法(けんぽう)の発布(はっぷ)」が、
「絹布(けんぷ)の法被(はっぴ)」の
配布イベントだと勘違いされて、
大騒ぎになったことがあるそうです。
人間だれしも、
なじみのない言葉、概念、考え方を
聞いた時は、
なじみのある言葉、概念、考え方に
置き換えがちなものです。
「キャリアを積む」という日本語は、
careerを「キャリア」という
カタカナ英語に置き換えて、
ピラミッドイメージに置き換えて、
「憲法の発布」を「絹布のはっぴ」に
勝手に置き換えてしまったのと同じ
「遺跡」であるように、私には思うのです。
まとめます。
まだまだ、キャリア、careerという
言葉は、日本になじんでいません。
なじんでいないから、
カタカナ英語のまま、使われている。
その「なじんでいない感」を無視しない。
わかっているでしょ?とスキップしない。
すっ飛ばさない。
「憲法の発布とは、絹のはっぴを
もらえることではないですよ」的な、
「そこからですか?!」ということを
丁寧に、真摯に、継続して、伝えていく。
まずはそれが大事なのかな、と
私は思うのです。
そうしないと、キャリアそのもの、
キャリアに関するサービスそのもの、
果てはキャリアコンサルタントさん自身、
キャリア関連業界自体が、
「積む」ではなく「詰む」ことにも
なりかねませんので…。