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詩集『みをつくし』(七月堂/2017/08)より―あさぼらけ

 2017/8/1に、七月堂さんより出させて頂いた第一詩集『みをつくし』より。今は原本も手元にないため、当時の記録を残したく、noteにもまとめておこうかと。『みをつくし』は、私が高校生∼20代前半・半ばくらいまでに執筆したものをまとめた詩集でした。今読み返すと、非常に恥ずかしいですが、思い入れの強い詩集でもあります。
 レイアウトやフォントにもこだわった一冊でしたので、WEB上にアップしてしまうと、その辺りが再現できず悩ましいのですが……。これを機会に、また創作活動も再開したいと考えております。

詩集『みをつくし』七月堂,2017/8/1


あさぼらけ


いとをかしうあはれにはべりしことは、花の色の面白きををとこが摘みとりし事なり。おぼつかなき事ばかりつづきて、わが宿のあれたるを、かの人訪ねざりしかば、世を厭はむと思ひしかど、ふと道に咲ける花にぞ救はれたる。
それは一つの夢であった。幼いころからの夢とか、そういうものとは違う。かといって、夜眠っているときに見るあれとも違う。本当に存在するのかしないのか、それが分からないという意味での。―あけぼの。
春は。
祖母の皮膚は、ましろであった。このうえなく透きとおるましろであった。幼いころ、私の手を取り、坂道を夕日がなだらかに見せてくれる日に、図書館へと連れて行ってくれた祖母だ。祖母は死ぬ間際、痛み止めの類をすべて拒否し、それはある意味での抵抗であったのかも知れぬが、私の父を困らせた。それはあらゆる太陽が沈み、あらゆる月が出てくることと同じように、祖母にとっては自然なことであった。おのづから日は極まった。死を目の前にした父の背中は、今までにみたどんな背中より小さく、悲しく、しかし何よりも大きいものであった。私の掌のしわは、いつの間にか深く、深く、深くなっていた。しぼんでいたのだ。かなしみなどという言葉では、片付けてはいけないと知りながら、手抜きではなく、あえて、かなしみという言葉を愛した。それが、唯一の愛し方であったからだ。夢の中でも父は泣いた。それは、少年時代の父であった。虫かごにはたくさんのクワガタが捕らえられている。夏の暑い日だ。おそらく、湿度も高い。とにかく湿っぽいのである。水分という水分が世界を埋め尽くしたのだ。それは、酷な世界でもあった。祖母の顔はただひたすらにましろであった、それは冬であった。思い出とは反比例して。
むかし、男ありけり。梅の花をめでけり。春といふをりに、世界をめでけり。けしうはあらぬ女を思ひ、歌詠みて、伝えければ、女、え返さざりけり。その故、さらに知る者なし。夢ならざらましかば、知るひとあらまし。
テーブルの上をビー玉が転がっていた。美しいビー玉であった。幼いころ、口の中でビー玉を転がした。もう少しで喉に詰まってしまうのではないかというところで、止めた。それは快感であったのかもしれない。不思議な味のするビー玉であった。むかし、木漏れ日の射す部屋で、布団に顔を埋めたあの日の香と同じ味であった。隣では祖母が歌っていた。祖母の声はうつくしかった。今日も夢の中で祖母の声を聞いた。
少女はいつまでも、そこに立っていた。名前を知らぬ少女であった。もしかすると、名前というものを与えられていない少女であったのかもしれない。赤い自転車に乗ってどこかへ行ってしまった。少女の眼は美しいビー玉のような目であった。
むかし、男ありけり。梅の花をめでけり。春といふをりに、世界をめでけり。けしうはあらぬ女を思ひ、歌詠みけり。
ビー玉のごとき目玉をくりぬきてその構造がゆかしかりけり
祖母は私に漢字を教えてくれた。「けいけん」には「経験」もあれば「敬虔」もあるし「慶顕」もあるのだよ、と。そこに、私は宇宙の広がりを見たのであった。そっと、指で少女の背中に、私は字を書いた。
「なんて書いたかわかる?」
「わかんないわよ」
「もう一回だけね」
「ああ、もう、くすぐったい」
「どう?」
「んー、木、キ、き、木…隣がわかんない」
「じゃあ、ひんと! あのときのかおりだよ」
雪降れば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし―『古今和歌集』紀友則
私は少女の背中に父の小さな背中を見た。
そこにはさらに生き写しの私がいた。
声が出なくなった。
ただひたすら、風景はましろであった
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪―『古今和歌集』坂上是則

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