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近江ミッション――ヴォーリズの遺したもの

※写真は、みんなのフォトギャラリーからお借りしました。近江八幡のヴォリーズ建築のものではなくてすみません。


 近江八幡の街を歩くと、時間を超えた静けさと共に、ヴォーリズの建築が呼び起こす物語が耳を澄ませば聞こえてくる、なんて大げさな表現だろうか。その物語は、1905年、アメリカから渡った一人の青年、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによって始まった。

 彼が日本にやって来たのは、当時の国際YMCAの招聘によるものである。近江八幡に赴任した若き英語教師としての彼は、単なる教育者にとどまらなかった。彼の目に映ったのは、地域の人々が抱える課題と、その中に埋もれた可能性だった。彼はまもなく八幡YMCAを設立し、次第に建築設計業へと足を踏み入れていった。その道のりは、単なるキャリアの変遷ではなく、彼の人生哲学そのものを体現する挑戦だった。

 1911年、ヴォーリズは「近江ミッション」を組織した。この団体は教派を問わないキリスト教的奉仕の精神を掲げ、地域社会に根ざした活動を展開していった。そして1934年には「近江兄弟社」と名を改め、これが今日、メンソレータムの販売で知られる企業へと発展している。企業としての歩みもさることながら、彼が設計した建築は、彼の信念が形となった遺産として今なお息づいている。

 ヴォーリズの建築は、時に「様式のない建築」と呼ばれる。その背景には、彼が特定の建築様式に固執するのではなく、依頼者のニーズや地域の特性を第一に考えた実用性への配慮がある。しかし、単なる機能性だけではない。彼のデザインには、生活に寄り添う温かさと、自然と調和する美しさが共存している。例えば、彼が設計した学校や病院、教会は、ただの建物ではなく、人々が集い、助け合い、成長するための場として形作られている。

 近江八幡には、彼の作品を直接目にすることができる場所が数多くある。ヴォーリズ記念病院旧本館の静謐さ、ウォーターハウス記念館本館の重厚な佇まい、礼拝堂の厳かで穏やかな空気――これらの建築物は、それぞれがヴォーリズの人生哲学とキリスト教的奉仕の精神を語りかけてくるようだ。特にアンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)は、ヴォーリズの日本での原点とも言える場所であり、近江兄弟社学園ハイド記念館は教育と建築の融合を象徴している。

 ヴォーリズの建築は、単なる美しい景観ではない。それは近江八幡の街の一部として、その地に暮らす人々の記憶と共に生き続けている。訪れる者にとって、それらの建築は彼の人生の片鱗を感じ取る手がかりであり、彼がこの地に蒔いた種がいかに豊かな実を結んだかを知る機会となる。

 時代を超えてなお、ヴォーリズの精神とデザインが語りかけるもの――それは、誰もが暮らしやすい世界へのささやかな祈りと、地域への深い愛に他ならない。あなたも近江八幡を訪れ、彼の遺した軌跡を辿ってみてはいかがだろうか。きっと、彼が夢見た「生活のための建築」が、現代にも通じるメッセージを伝えてくれるはずだ。

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