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「学生」「社会人」
はじめに
「社会人」
すっかり世間一般に浸透している言葉だ。
「社会人としての責任」「社会人の常識」
そんなワードはもう飽きるほど使い古されている。
でもじゃあ「社会人」ってなんなんでしょう。
広辞苑によれば、
①実社会で働いている人
②社会の構成員としての個人
らしい。
特に①は「学生」と対比した表現です。
けれど「社会人」という言葉の使われ方を見れば、「①実社会で働いている人が②社会の構成員としての個人である」というなんとなくの前提があるように感じます。
つまり「社会の構成員である以上(つまり学生でない以上)働かねばならない」。
そういう思想が見え透きます。
ここまで広く浸透する「社会人」という言葉。
けれど海外にこの言葉と対応する言葉はほとんど見られない。
英語に訳すにしても、しいて言えば「A member of society」ですが、これは純粋な①のみの意味で、少しニュアンスが異なります。
なんでもかんでも海外が良いというつもりはありませんが、僕は「学生」と「社会人」という二項対立に今の日本の問題の一面を感じていて、それについて論じることができればと思います。
「社会人」という言葉の背景
そもそも社会人という言葉が今のニュアンスで使われるようになったのがいつなのか。
調べてみた限りだと1949年が最初。
ここからは根拠はないので推論ですが、新卒一括採用というシステムと関連があるんじゃないかなと思ってます(これも海外にはあまりない)。
新卒一括採用システムについてはこちら↓
大戦期の人手不足ゆえに、学校卒業前の入社選考と採用を行う慣行が始まりました。
これによって何が変わるか、というと「学生でも雇用者でもない」という期間がなくなる。
学生から雇用者の立場へと、途切れなく流れ作業的に進んでしまうわけです。
多少の例外はあれど、「社会に庇護される立場の学生」と「社会を構成する一員としての雇用者」で大まかに括れるようになり、「社会を構成する一員としての雇用者」が「社会人」と表現されるようになったのではないでしょうか。
「社会人」と「学生」の二項対立の問題点
この二項対立によって生じる問題点は「社会への参画意識」あるいは「社会との契約意識」の低下。
「社会人」という言葉は社会人自身を傷つけることもあると思いますが、「学生」の疎外感を煽る効果もあると思います。
「社会人て大変そう」「でもまだ学生だし」という意識を持った学生が「社会人」になる際にいきなり意識を変えられるかと言えば、それは無理な話です。
もちろん、学生の期間に社会について教わることができる、「社会人」の練習ができるのであれば話は別ですが、学校教育の社会はほとんど暗記だけ。
「学生の頃は…」なんて言葉は、本来グラデーションであるべき二つの分断によって生まれた負の遺産。
もちろん、分断されていてもうまくいった時代はあります。
けれどそれは、画一的であることを活かせる成長モデルが確立されていてこそです。
全員の足並みがそろっていていいのであれば、「社会人」に求められることも当然画一的になります。
画一的であれば分かりやすいし目指しやすいのでうまくいきやすい。
けれど今の時代はそうじゃない。
成長モデルは複雑で、求められる能力も幅広くレベルが高い。
それゆえ平均的な人が集まる組織よりも、それぞれ突き抜けた分野が複数ある人が集まるチームが活躍する。
そんな時代です。
「社会人」の学び直しにも注力されていることからも分かる通り、「学生」と「社会人」の二項対立で社会を回していくモデルはもうガタがきている。
僕はそう思ってます。
解決するには?
この問題を解決するに重要なのは「学生」と「社会人」の間にある壁の力を弱めること。
明らかに今の学生の学びは古すぎる。
学びの効率も悪ければ、社会人になってから必要になる能力は学べない。
特に重要なのは、
・自分と社会の重なりを理解して課題や目的を設定する
・定めた課題を解決、目的を達成するための戦略を練り、実行する
という、「正解が一つでないもの」に対する対応するための力を養うこと。
それはインターンでも起業でもボランティアでもいいと思います。
そして、こういう部分の学びに時間を割くために、既存の学びの効率を上げること。
これはミネルバ大学のようなシステムや、スタディーサプリなどのツールを用いることで解決します。
最後に
そもそも「社会人」という言葉が個人的に嫌いで、色々調査、思考してたら結局教育に戻ってきてしまった。
やっぱり教育が好きなんですよ僕は。
でもやっぱり「社会人」という言葉は嫌いなので使うのやめましょう。
そういう定義がふわっとした言葉のなんとなくの空気感で同調圧力を形成するのが一番進歩が生まれなくなる。