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原体験

はいどうも。

米津さんのインスタライブを聞きながらこのnoteを書いてるので耳が幸せすぎて集中できてません。

米津さんとウィスキーと日本酒が好きという共通点が見つかって笑顔になってます。


さて。

一昨日、昨日、今日と三日連続でチカイケさんの「原体験ワーク」をやったのでそれについて。

一昨日が寺子屋いえいりの定例会。

昨日は寺子屋いえいりの人とイベント関係なく。

今日はバイト先の後輩と。


原体験ワークの中身自体はチカイケさんの固定Twitterにあるのでそちらから。

チカイケさんのTwitterはこちら

要するに、二人一組で、お互いの価値観に対して質問をしまくって原体験を見つけよう!みたいなワークです。


原体験ワークについて

原体験ワークはその名の通り、自分の原体験を深掘りして見つけるワーク。

チカイケさんはこのワークをスタートアップのブランディング(恐らく創業者の理念の言語化→企業のミッションの言語化)として使っているよう。

原体験が何かといえば、自分が今までしてきた体験のなかでも、比重が高い体験、影響力が強い体験。

僕はそういう風に捉えています。


人生、結局はどのステージに行っても、「自分の目標を設定し、その達成に向かう」ことの連続。

その自分の目標は、自分に根差したものであればあるほど、モチベーションをもって達成に向かうことができる。


でも「やりたいことが見つからない」という人が多いように、「自分に根差した目標を設定する」ことに関する教育が日本は強くない。

個性を重視するより、むしろ画一的で「普通」という基準で統一されていることを良しとする。

でも明らかにそれで社会がうまく回る時代は終わっているし、それがゆえに個人としても将来に希望を持てず、幸福度が低い。


けれどぼくは「志」、「夢」というような、どれだけ自分に根差してマッチした目標を設定するかは幸福度に影響すると思ってます。

だってやりたくないことやりたい人はいないし、やりたいことやってる方が幸せ。


じゃあそういう目標がどこから来るか。

それが個人の価値観。

その価値観がどう形作られるかといえば、それは過去の体験。

その体験の中でも比重が大きいものが原体験。

それを深堀りするのがこのワークです。


人間は忘れっぽい生き物なので、時が経つにつれて色んなものを忘れていきます。

覚えてるつもりでも。

実際今回のワークをやって「そういえばこんなことあった!」が山ほどありました。

例えば、小学校の頃憧れていた同級生とか。

幼稚園の頃、ひらがなの練習で「れ」だけ全然丸がつかなかったこととか。


別に忘れること自体はそこまで悪いことじゃない。

けれど体験自体は忘れても、その体験を通して解釈したことは体験よりも自分の中に残りやすいものです。

そしてそれが積み重なって価値観が形成されます。

例えそれが意識下であっても無意識下であっても。


でも僕らはAIではない(ブラックボックス的処理ができず論理的に考えるしかない)ので、より自分に根差した目標を見つけるには、価値観を意識下にもってくる必要がある。

その価値観を意識下に持ってくるために、その価値観を創った体験自体を掘り下げるわけです。


自分について

僕自身は内省みたいなのは好きなので、原体験もある程度深堀りできていると思ってました。

でも実際にやってみたら、「まだそこまで深堀りできていないのでは…?」という意識が芽生えてきました。

というのも、小学校高学年以降の原体験は自分の内省であらかた出尽くしていたのですが、それ以前の体験の深堀りが甘かった。


僕には「他者への憧れ」と「自己肯定感の低さ」と「プライドの高さ」の三つが自分を創っているなという感触がありました。

これらの原体験がどこなのか、というのが三回のワークを通しておぼろげながら見えてきたように感じます。

もう少しここを詰めたらまたまとめてみようと思います。


最後に

今回のワークをやってみて特に感じたのは、「過去を無視することはできない」ということ。

そりゃもちろん忘れたくなる過去、思い出したくない過去はあります。

けれど、それらを無視しようとすればするほど、それらに引きずられてしまう。

けれどその過去を体験し、その体験を何かしらの形で解釈してしまっているというのは事実であり、その事象が自己の一部を形成している以上、その事実から逃れることができない。

過去は受け入れるしかない。


けれど、キングコング西野が近畿大学の講演会で言っていたように、過去の解釈を変えることならできる。

体験と解釈を受け入れ、思い出し、再解釈する。

僕ら人間が動物的欲求を無視できないのと同様に、過去が存在しその過去が自己の一部である以上、過去も無視できない。

けれど僕らが動物的な欲求を理性の下でコントロールするように、捉え直し、過去に引きずられすぎないようにコントロールすることはできる。


無視したいような過去も、受け入れ、使いこなし、そして乗り越えていこうと思います。

そのための内省と再解釈。

そしてそれを行動に繋げられるようにがんばります。


あ、あと原体験ワークぼくとやりたい人は声かけてください。

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