『このシャツ、一夜干しにつき』ヒスイの恋愛短編(2600字)
五月の深夜十二時。
あたしの目の前で、親友・圭太(けいた)の白いシャツが揺れている。
圭太が自転車のペダルを踏み込むたびに、夜風をふくんだシャツが泳ぎまわる。まるで、月光にきらめく魚のようだ。
自転車の後ろに乗ったあたしは、ぎゅっとシャツをつかむ。
「もっと早くこいでよ、圭太。あたし、ねむい」
圭太はちっ、と舌を鳴らした。
「早くって。おまえは、後ろに乗っているだけじゃねえか」
「こんな時間に警察まで行って、あんたの身元引受をしたんです。大感謝されて、いいでしょうが!」
「へいへい、照乃(てるの)さま、ありがとっした!」
圭太は適当な返事をして、自転車をこぐスピードを上げた。
夜の風が圭太に当たって、真っぷたつに割れていく。あたしは圭太のうしろで、ただ、月光を浴びている。
昨日が満月だったから、今夜は十六夜(いざよい)。
それにしても、どうして十六夜って”中途ハンパ”感があるんだろう。
満月の後だからだろうか。
この先は、欠けてゆくばかりだから?
そのときポケットでスマホが鳴った。圭太のシャツをつかんだまま、身体をひねって取り出す。見ると画面には『英輔(えいすけ)』とある。
あたしは顔をしかめる。元カレだ。
さんざん浮気して別れたくせに、今でも毎日、連絡してくるアホな元カレ。
電話にも出たくない。そう思っていたら、きっ、と音を立てて、自転車がとまった。
「降りろ、照乃」
「なによ? ここ、公園じゃん」
「自転車こいだら、酔いが一気に回った。キモチわるくなってきた」
あわてて降りる。圭太は少しふらつきながら自転車を押して公園に入り、ベンチの横でとめた。
どさっと、デカい身体をベンチに落とす。
圭太は身長180センチ、体重は80キロ超。
そんな大男が月光を浴びてぐったり座っているところは、捨てられた着ぐるみみたいだ。それもパッとしない、ゆるキャラの着ぐるみ。使いふるされて、クリーニングもできないってやつだ。
あたしはヨレヨレ圭太の隣に座った。
「だいぶ、飲んだの?」
「そうでもない。カップ酒をふたつ飲んだところで、酒がなくなったんだ。コンビニに買い足しに行ったら、ケンカを吹っかけられた」
「あんた、昔から変なことに巻き込まれるよね」
「おれのせいじゃねえよ。なあ、テル。今夜はありがとうな」
圭太がボソッと言った。
「あんな時間に”警察に迎えに来てくれ”、なんて頼めるやつは、テル以外に思いつかなかったんだ」
「ま、そうだよね」
「家族は遠いしさ、職場のヤツには頼みたくない。こんなみっともねえこと、誰に言えるかって思ったら――おまえだった」
圭太は、目を閉じたまま言った。
夜の公園で見る圭太は、三十すぎの男にしては、きれいな顔をしている。
ただし、鼻は高校時代に階段から落ちて骨折したからゆがんだままだし、目の横には、大学時代のバイク事故でできた傷がある。
あたしは、圭太の顔のキズを全部知っている。
圭太は、あたしの過去の男を全部知っている。
どっちもろくでもない歴史だ。
「――酔いざましに、自販機で水でも買ってこようか、圭太?」
「頼むわ」
ヨレヨレの着ぐるみは、目を開けないまま、そう言った。
ミネラルウォーターを買って公園を横切っていると、ポケットでまたスマホが鳴った。
もう画面を見なくてもわかる。しつこい元カレだ。今夜はもう電源を切ろうと思ったとき、ひょいと横からスマホを取られた。
圭太が来ていた。
ちらっと画面を見て、あきれたように言う。
「おまえさあ、男と別れたなら、連絡先は消しとけよ」
「……そう、簡単にいかないわよ」
「簡単に“いかない”のか、“簡単に終わりたくない”のか。どっちなんだよ、おまえ」
とっさに言葉が出なかった。黙っているうちに、スマホの呼び出し音が切れる。
圭太は舌打ちしてスマホをこっちに突きだし、水のボトルを取ってゴクゴクと一気に飲んだ。
「なあ、テル。どん底から出たいなら、自分で浮かびあがるしかねえぞ」
そう言うと、ヨレヨレの親友は大きな手でペットボトルをひねりつぶした。
あたしはじっとスマホを見る。
――いったいあたしは、どうしたいんだろうか。
このまま電源を切っても明日の朝、こっちから英輔に連絡できる。
だけど、ここで何もかも終わりにすることも、できるんだ。
どっちだろうが、自分で決めることが、できる。
なぜ今まで、自分でできないと思っていたんだろう。恋の終わりを決めるのは、英輔じゃない、あたしだ。
あたしだ。
ふっと、自分の体が軽くなるのがわかった。深海から抜け出すと水圧が消えるように。あたしのまわりで、月光を浴びた金色の魚が飛び跳ねる。
いや、魚じゃない。
圭太の白いシャツが、月光を含んで金色に見えるんだ。
こくり、と唾をのむ。
握りなおしたスマホには、まだ、圭太の体温が残っていた。
「――うかびあがるわ、自分で」
電話に出た英輔はいつもどおり、のんきな声だった。
『ぁっ、照乃? なんで電話に出ないんだ?』
「でたくないから」
『は? どういう意味――』
あたしはすうっと息を吸った。
「話したくないから。話すこともないから。だってもう、全部終わったんだから」
『はあ? ワケわかんね。照乃、なあ。一度会えば誤解がとけるから――』
「誤解はないと思う。ありがとう、今まで」
返事を待たずに通話を切った。そのままスマホを操作する。
ヨレヨレの親友が隣で尋ねる。
「やつの番号、削除したか」
「した。SNSも全ブロックした」
圭太はしばらく何も言わなかった。それから目を開けて、ぽん、とあたしの頭を叩いて笑った。
「よくやった。それでこそ――おれのテルだ」
あたしは何も言わなかった。
ただ黙って伸びあがって、圭太にキスをした。
頭上には、十六夜の月。
満月を過ぎて欠けてゆくばかりの月。
新月に変わるために欠けつづける月の下で――あたしははじめて、圭太とキスをした。
くたくたの使いふるした着ぐるみみたいな男のキスは、思っていた以上にやわらかかった。
翌朝は、目にしみるほどの晴天。
早起きの圭太がコーヒーを入れている。あたしはベッドの中で鼻をひくひくさせた。
いいにおいだ。
いい朝だ。
窓から見るベランダには、圭太の白いシャツが干してある。
一夜干しされた生きのいい魚みたいに、白いシャツがひらひらと晴天を泳いでいた。
さて、コイツを捕まえておくにはどうしたらいいだろう。
あたしは布団の下でニヤリとした。
「そうね、愛して愛して――骨抜きにしてやるわ」
圭太のシャツが風に揺れる。
そううまくはいかねえぞ、と、笑っているみたいだった。
【了】
『このシャツ、一夜干しにつき』
ヒスイの鍛錬・100本ノック51
#NN師匠の企画
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題・一夜干し
本日はへいちゃんと一緒。
へいちゃんはこちらです!
いいかんじに、一夜干しができるレシピです。
愛を感じるな、この短編(笑)
そしてそして! 今日はもう一つ、うれしいことがありました。
なーーーんと!
ヒスイが宇宙杯に出した句が、
うつスピさんの「私設賞・うつスピ賞」12句に入れていただきました。
やたーーー💛
今回、宇宙杯の本選には残らなかったので、めっちゃくちゃうれしいです。
他の11句も素敵な作品が多かったので、ぜひご覧ください💛
では、また明日、小さなヒスイ日記でお会いしましょう。
最後まで、ありがとうございます💛
今後のお題リスト
的中←アナログレコード←ミッション・インポッシブル←スキャンダル←ポップコーン←舌先三寸←春告げ鳥←ポーカー←タイムスリップ←蜘蛛←←鳥獣戯画←枯れ木←鬼
【84】天気予報
【85】湖底
【86】豆電球
【88】ペンギン(kochibiさん)
【89】みなとさん
【90】高級路線(ヒスイ)
【91】体重(rusty milk)
【92】ダリア(私)
【94】はらごしらえ(永山さん)
【95】ロングヘア(こっちゃん)
【96】遅配(ヒスイ)
【97】rusty milk
【98】みたことがない(へいちゃん)
【99】船(こっちゃん)
【100】カブト(永山さん)