「へんねしの真珠あおじろく」ヒスイのシロクマ文芸部
「紫陽花を従えて立つ伯母の耳
へんねしの真珠あおじろく揺れ」ヒスイ
今日の短歌には、ちょっと説明がいると思う。
とくに「へんねし」という古い言葉です。
へんねし、というのは、「ねたむ、嫉妬する、すねる」という意味。
関西エリアうまれで、
あんまり若くない人にしか、もう通用しないかもしれない(笑)
いまではもう、あまり普通には
使わないんじゃないかな。
が、私の子ども時代には、まだかろうじて、
古い家の人は使っていたような気がする。
うちは、家系が多少ややこしくて、
だから、「○○のおばさん」と呼ばれる人のなかには
血縁的に言うと
何親等なのか、計算もできないような人がいて(笑)
でも地理的に、住んでいる場所が近ければ
「おばさん」とひとくくりにされていて、
遠方の親族より、身近な存在だった。
なかには、「おばさん」と呼ぶには、ちょっと若すぎる人も
まじっていた。
そんな、おばのひとり、の話です。
子どもの頃の私は、
たいへんな人見知りで。
親族といっしょでなければ、どこへも行かなかった。
その日も、若いおばのひとりが
「おやつ買ってあげるから、行こう」と言わなければ
出かけなかった、と思う。
雨が降っていたし、
日曜の午後だったし。
そして、あえて言うならば、
おばの姿が天気とズレていたから、余計に、ためらいがあった。
雨なのに、
おばは、しゃっきりした服装で、
耳には大きな真珠がぶら下がっていた。
断じて「ちょっとおやつを買ってあげるから」という服装ではない。
とはいうものの。
ちょっとした違和感は違和感だけで、
子どもの私は、だまっておばについて行った。
案の定。
おばは、おやつ関連の店がある方向へ、いってくれない。
アジサイがいっぱい咲いている公園の、
隅へ向かっていく。
屋根つきのあずまやに、人がいた。
ふたり。
男女の背中が見えた。
……あやしいんである。
あきらかに、怪しいんである。
このあたりでピンときたらいいものを、
子どもの頃から、だいぶぼんやりしている私は、
ただ黙って、おばについて歩いていく。
あずまやに近づくと、
おばは、立ち止まって傘をたたんだ。
ていねいに、
ていねいに、
それこそ、傘のほね一本一本を
折りとるような勢いを秘めて、
ていねいに、傘をたたんだ。
そして、こう言ったのだ。
「あら、こんなところにいたんやね」
……こんなところにいたんやね?
私がおばを見上げる前に、男のひとは、ベンチの上で飛びあがった。
文字どおり、飛びあがり、さりげなく隣の女性を隠すようにした。
おばは、鼻で笑った。
「へんねしと、ちゃうよ。偶然みかけたんよ。
おたくらも、偶然に、会うたんでしょう?
やけど、このひと、うちのダンナやし。一緒に帰るし」
その時のおばは、
ヒールの両足でぬれた地面をしっかと踏みしめ、
背後に咲きほこるアジサイをしたがえた女王のようで。
だけど両方の耳で、
青白い真珠のイヤリングが、ゆよゆよと揺れていた。
すっくりと傘を差したおばと一緒に公園を横ぎるおじさんの声も、
なんだか、ゆよゆよと揺れていて。
そして私はひそかに、
おやつはどうなるのかなあと
思っていた。
アジサイの記憶です。
「紫陽花を従えて立つ伯母の耳
へんねしの真珠あおじろく揺れ」ヒスイ
今日のお話は
フィクションってことで、ひとつ。
よろしくお願いいたします(笑)
#シロクマ文芸部
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ヘッダーは、はそやm画伯から借りっぱなしです(笑)