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「最後のカーブはベネチアンレッド」ヒスイのシロクマ文芸部

紅葉からこぼれる日の光は、宝石の色をまとっているように鮮やかだ。
それをみている私の目はどんより。
ハゼがすむ泥みたいに、どんより。

となりには夫がいまして。
こいつがまた目の色を変えて車のハンドルを握ってます。

「ゴルァ、どかんかいー! 轢いてまうど、クソランクル!」

やめて……ランクルはやめて。
こっちはしがない軽だから(笑)
ぶつかったら、確実にこっちが壊れるし。
あんたぜったいに、助手席側をあてて、自分だけ無事に済まそうとするから、
ぜったいに、やめて。

あともう一個言っとくわ。

プリウスにも、ぶつけんな。

絶不調でありながら、夫への罵詈雑言だけは
湯水のように出てくるのは不思議(笑)
それがかぞくというものか。
たぶんちがうけど(笑)

とにかく。
私にとっての「家族」とは、つねに、プレッシャーと同義語。

言われたとおりにやらなくちゃ。
出来上がっている路線の上を既定のスピードで行かなくちゃ。
お姉ちゃんができたんだから
自分にできないはずがない。

なのになんで、あんたは先にひとりだけ、列車から降りてんのよ、クソ弟め!

などなどなど。
けっこう、しんどい。

で、あるから。

10月末、家族のガチコネで用意してもらったプレゼンで
ブチ落ちたのが、痛かった。

ガチガチ鉄板、仕込み完璧な案件だったのに、
最後の最後で、のがした。

私は以前もこういうことがよくあり、
そのたびにコネを使わせてもらった家族に、申し訳なくて

申しわけなくて

神経性の過敏性腸症候群になるくらい。

すみませぬ、という言葉すら、出てこなくなる。
いっそ、しにたい。


山道のカーブを上がりきるころ、思わずこう言った。

「あーもう、絵なんかやめるわ」
「あ、そー」
こういうとき、夫はとても便利な男だ。
穴の開いた風船みたいに、何を言っても適当に聞き流してくれるから。

そういえば、友人時代からずっと、
夫はグチ聞き流し係だった。

「どうせさ、才能ないじゃん? 学生時代から、あれだけコンクールに出しまくって、落ちまくって、絵では無理ってなって。
イラストで何とか食べさせてもらってるけど、
それも無理やりじゃん?

ここでやめるわ。あきらめるわ。筆を折るって、一回やってみたかったし」
「ほーん。じゃ、やめれば」
「うん」
「べつに困んねえじゃん、描かなくても」
「そう」
「毎日、ねこと遊んで暮らせよ。1年くらい、遊んで暮らせよ」
「……うん」

車の窓から眺める紅葉は、いつもの年より遅いけど、
外の空気は確実に冷たい。
夏は終わったんだ。

夢を追う季節は、終わったんだよ。

終わったんだよ。

あたしは、大人になるんだ。

「……あのモミジのさあ」
「おー」
「赤から黄色になってるところ」
「逆だろ、黄色から赤になるんだろ」
「え、そうなん? 順番はどうでもいいよ。
あの、色のグラデーションのところさあ」
「ふん」
「あれ、何でやるのかなあ。アクリルと刷毛……水を多めに引いといて、水彩画風にするとかさ。にじみが欲しいよね」
「ほーん」
「グアッシュと面相筆でも行けるな。そっちのほうがパッキリ感が出るかな」
「紅葉はパッキリしてねえだろが」

ぐいん、とカーブに添って、夫は車をねじまげた。
私は車に酔わないよう、目を閉じて言う。

「パッキリしてんだよ。あたしのまぶたの裏では、さー」

目を閉じるといつだって、もうひとつの世界がある。
子供のころから、ずっとそうだ。
そこでは色が交じり合い、溶けあい、
どうじにくっきりと境界線を引きながら
ゆるゆると流れている。

わたしは色彩の川に、手を突っ込むだけでいい。

出てきたものを、描くだけ。
それだけでいい。

なのに、いつから「仕事」とか「評価」とか「申し訳ない」がついてきちゃったんだろう。
そんなの、いらないのに。
猫と遊んで暮らすあいまに、色彩の川へ手を突っ込むだけでいいのに。

「あのさあ」
と、穴の開いた風船がいう。

「お前、いろいろと考えすぎなわけよ。絵を描く以外に脳がないくせに、
評価まで欲しがってるだろ。
それ、捨てろよ。

他者評価なんか、富士山を超えるほど積み上げたって、
しょせん、人の評価だぞ。
おまえの腹は、いっぱいにならないの。

いいかげん、分かれよバカ」

私は目を閉じたまま、車の揺れに身をゆだねる。
夫の言葉に
身をゆだねる。

車が最後のカーブを曲がり切る前に、目を開けた。

透き通った青空に
クッキリとベネチアンレッドの紅葉が見えた。
折り重なり、はなれ、スキマを作り、青空をのぞかせる。

色彩の川が、目の前をよぎっていく。
私だけが見る、私の川だ。


「あのさあ」
「おう」
「……色鉛筆のグラデーションは、どうかな」
「帰ってから、好きなだけやれよ」

ぎゅいん、と、夫は最後のカーブを綺麗に曲がりきった。


【了】約1900字

本日は、小牧幸助さんの #シロクマ文芸部  に参加しています。

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