「それからもっと、あなたのことを」ヒスイの毎週ショートショートnote字余り
親の選ぶ結婚相手って間違いない、というけれど。
まちがいなくても、退屈で安全すぎることもある。
たとえば、いま、私の横でハンドルを持っている斉藤さん。
父の部下で、年齢は4歳差。無口でおだやかで品行方正で、
つまり結婚相手として求められる要素が全部詰まっている。
問題は私が1ミリも、ときめかないってこと。
斉藤さんもうすうす感じてて、だからますます無口になる。
パパ無理だよ、この結婚話。もうやめようって、毎日言おうと思っているけど、パパが斉藤さんを気に入っているから言いにくい。
けど。今日が最後かな。
これ以上引き延ばすのも悪いし。
それにしても、ドライブデートでこんな山の中、いったいどこへ連れていくんだろう。
……まさか、襲われる?
そんなはずないか。だって斉藤さんはパパの部下で、今日だってパパに丁寧にあいさつをしてから私と連れ出したんだし。
私に危害を加えたら、あの会社ではもう生き延びられないって事は分ってる。
そんな無駄なリスクを取る人じゃないと思うんだけど。
だけど。
キレイに晴れた秋の日。午後早い時間ではあるけれど、道の両脇には深い森が続いてて、どんどん山道を進んでいるし。
なんだか、鳥の声しか聞こえない……。
「あの、さいとうさん……」
「すいません、ここは静かにしていてもらえますか。道が、細くなるので」
道が細くなる?
これ以上??
ふと気づけば両脇の木々は手入れもされていなくて、
ちょっと枯れ始めた葉がズシリと車の屋根に落ちかかっている。
ガサガサっていう音は、なに?
鳥なの?
それとももっと……あぶないもの……?
「斉藤さん、帰りませんか? 道が」
「だいじょうぶです」
こういうとき言葉数の少ない男って、いや。
こわい。
手のひらに汗がにじんできた。背筋にふるえが走って、口の中がカラカラだ。
「さいとうさん、私、帰ります」
「かえれませんよ。この道は一方通行なので。だいじょうぶです、僕がきちんとご案内しますので。最後まで」
「……ひっ」
喉の奥で声がつまる。
いやだ、こわい。
最後までって、いったいどういう意味なのよ。
車はノロノロと走り続ける。
道はどんどん細くなり、視界は暗くなる一方。
深い深い森の中に飲み込まれて、そのまま消化されてしまいそう……
やがて。車が止まった。緑のトンネルのどん詰まり。先にはわずかな光が見えるだけ。
斉藤さんはエンジンを切り、キーを抜いた。
「さ、つきました。どうぞ」
「つきましたって……どこにも着いてないじゃないですか!」
「ここが目的地です。車を降りてください。ご案内しますよ」
「いやです! 行きません! 車から降りません!」
斉藤さんは、ふっと目をそらした。
「そうですか。では、待っていてください」
そういうと車を降りてしまった。
よく見ると、この先にも細い道が続いているらしい。道の先はやけに明るかった。
車の中でひとり座っていると、心細さがつのってきた。
斉藤さんは道を行ってしまい、もう後ろ姿も見えない。
「あっ、スマホで連絡……」
取り出してみて、絶句。
まさか日本に、スマホのアンテナが立たない場所があるなんて。
「どうしよう……」
そのとき、きぇええええ! と大きな声が聞こえた。
鳥? 動物?
あるいは、
もっと危険なもの??
無我夢中で車を飛び出した。
細いけもの道を走る。
「斉藤さん! どこなんです!?」
道の先はやけに明るい。そこまで行けば、きっと……きっと……
ふいに道が終わった。
目の前にはコバルトブルーの水をたたえた湖があった。
斉藤さんの姿もある。
こっちをみてびっくりしているけど、驚くことじゃないでしょ?
こんな場所、私たち以外に誰がいるっていうのよ?
ほかに……だれがいるって……いうの。
なにかが、いる。
何かの気配を、感じる。
痛いような寂しいような痛みの色を感じる。
これは一体、なに?
「さい……斉藤さん……ここは、いったい?」
「目的地ですよ」
言葉数の少ない男は静かに言った。そして私の肩をぐっとつかんだ。
「あぶないですよ、これ以上行くと、落ちてしまう」
「おちる……?」
背後に目をやると青々とした水が、思った以上に近くにせりあがっていた。
私はあわてて、斉藤さんにしがみつく。
斉藤さんは落ち着いて、私をしっかりと抱きなおすと道の端へ連れて行ってくれた。
「すみません、ちゃんと説明すればよかったですね。だけどどうしても、あなたに見せたかったんです」
「なにを?」
ゆっくりと指さされた水面からは、しずかに『金色のひと』が立っているのが見えた。ひとりじゃない、なん人も見える。
「……天使?」
斉藤さんは笑った。
「天のものではありますが、もっと和風です。金属製の天人ですよ。よく見てください、笛や楽器を持って踊っているでしょう」
「うーん……よく見えません」
「古いものなんです。双眼鏡があるとよく見えるんだけど。あっ、スマホでも大丈夫か」
斉藤さんは黄金の人形を写真にとり、拡大してくれた。
たしかに何人もの天人が楽しげに天から舞い降り、飛び上がっていた。
「すごいキレイ。でもなぜ水中に立っているんです?」
斉藤さんは口を閉じた。
あたりは風もなく、青い水面にはさざ波すら起きなかった。
「あのしたに、寺が沈んでいるんです」
「てら?」
「この村いちばんの古刹でした。というか、一軒しかないお寺だったんですが。あの天人たちは、三重の塔のてっぺんにいたんです」
「お寺が? 湖の中にある?」
「ダム湖です」
斉藤さんはしずかに水をながめた。
「僕の生まれた村は、この水の底にあります。
二十年前にダム湖が作られて、村ごとすっかり沈みました。
村じゅうが賛成派と反対派に分かれて、
親戚どうしですら、争いあって。
もめにもめて、最後は強制執行になりました」
「このしたに、村が……」
斉藤さんは何も言わなかった。
私も黙って水を見る。青く、おだやかで、でも大きな秘密を隠し持っている水を。
「つからったでしょう。生まれた場所が水に沈むなんて」
「僕が8歳のときでした。そのときはじめて、人生には抗えないものがある、諦めるしかないものがあるって、知ったんです。
ですからそれ以来、何かを諦める時は、ここへきて泣くことにしているんです」
斉藤さんはちらりと私を見て、ゆるやかに笑った。
「今日は、諦めるとしても泣きませんけどね」
「諦める?」
「あなたは、この話に乗り気じゃないのでしょう」
斉藤さんの声は淡々として、まるで水を受け入れて、何も言わずに沈んでいるお寺のようだった。
輝く天人だけ残して諦めている三重塔のように。
「わかりますよ。僕はイケメンじゃないし、話も下手だし、学歴もありません。せっかく部長から頂いたお話ですが、諦めるより仕方がない。
わかっているんです。だけど」
斉藤さんの目は、水面から伸びあがり、柔らかく踊る天人たちにあてられた。
「どうしても、あなたにはあの天人を見ていただきたかった。
沈む寺と塔と、それから――」
その先を、斉藤さんは言わなかった。
だけど、私の耳には聞こえていた。
だからその通りに言った。
「それから、あなたの悲しみを。私に見せたかったんですね」
「美しい村だったんです。美しい三重塔だったんです。あなたに、水に沈む前の村を見せたかったなあと、はじめて思ったんです。
水に沈んだ僕の故郷を、誰かに見せたいと思ったのははじめてだったんです」
それから斉藤さんは、とても静かに、静かに笑った。
「ありがとうございました。こんな所まで、ついてきてくださって」
「……車ですもん。降りられないでしょう。ついてくるしかないわ」
そういうと、斉藤さんは困ったように頭をかいた。
「そうですね。説明不足で強引でした。謝罪します」
「謝罪はいらないから、もっとガイドをしてくださいよ」
「えっ」
私は斉藤さんのスマホ画面を指さした。
「ここがお寺で、三重塔でしょう? その隣には、何があったんです?」
「お寺のとなり……あ、寄合所がありましたよ。大きな建物でね。普段使っていないからガランとしていて。だけど祭りのときにはお獅子も出て、にぎやかで」
「寄合所の隣は?」
「隣は柿畑なんです。このあたりは、柿の特産地でして。時期になるとトラックに積み込んで山の下の農協へおさめに行くんですよ。
柿の葉も、よく売れるんです。お茶にするんです」
「ああ、柿の葉茶。健康にいいんですってね。飲んでみたいわ」
「うちの裏庭にも柿の木がありましてね」
「斉藤さんの家は、どこです?」
すっと、水の一点がしめされた。
「あそこです。柿畑の向こう側。母屋があって、別棟があって、納屋があります。裏庭に大きな柿の木があって、時期が来ると勝手にもいで食べるんです」
「私も勝手に食べていいのかなあ」
「食べていいですよ、あなたは、僕の……友だちですから」
私たちは水の中から柿をもいで、食べた。
きらめく天人が笑いさざめく中、甘い甘い柿を食べた。
それから、笑いあった。
日が、わずかに傾く気配がした。
斉藤さんは笑いをおさめて、帰りましょう、といった。
「すみませんでした、こんな所へ連れまわして」
「いいえ。また来たいんです。いいでしょうか」
「ええ、もちろん。でも何もない所ですよ」
「とんでもない。たくさんのものが詰まっているわ」
私はそっと斉藤さんの手を取った。
「もっとよく、知りたいんです。
水に沈んだお寺のこと、沈まなかった天人のこと。
それからもっと、あなたのことを」
一瞬だけ、斉藤さんの手が硬くなった。それからぐっと私の手を握った。
「もちろんです。何でもお話しましょう。しかし、あんまりひどい事はあえて言いませんよ。あなた経由で部長に知られると困るから」
「信用していなんですね、私のことを」
「信用していませんよ。今はまだ」
斉藤さんはニヤリと笑った。
「もっとも、あなたが家族になれば、守秘義務というものが出来るでしょうが」
私たちは笑いあいながら、車へ戻った。
車は、枯れはじめた葉っぱに包まれて、私たちを待っていた。
そして私たちは、湖を後にする。
きらめく天人に見まもられて戻っていく。
でも、帰り道は一人と一人じゃなくて。
ふたりで。
【了】(約4000字)
本日は、毎週ショートショートnoteに参加していますが
あまりにも字余りなので
タグだけ付けておきますね(笑)
相方ヘイちゃんのお寺は沈んだきりじゃないんです!
そしてそして。
140字の小説を本にするクラウドファンディングを始めるみたいです!
みなさまもぜひ応援を―!
では。
本日もありがとうございましたー💛
少し浮上してきましたよ(笑)
ありがとうね。