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『くたばれ、終電。24時10分』ヒスイの鍛錬・100本ノック㊶

 夜の風に、かの子の髪がゆれている。肩までの髪、やわらかいクセっ毛。
 耳の後ろあたりに、黄色い点が見えた。
 僕は思わずつぶやく。
「――ペンキだ」

「え?」
「あ、いや、なんでもない――ごめんよ、一日中、うちのペンキ塗りを手伝わせちゃって」
「晩ごはん、おごってもらったからチャラよ」
「居酒屋のめしで、ごめん」
「おいしかった。それにしても、圭太(けいた)が家のリフォームをするなんてね」

 かの子はコロコロと笑った。
 かわいい。大学で知り合ってから6年。かの子はずっとかわいい。
 なのに僕は、一度もそれを彼女に言っていない。

 線路ぞいの道は、ゆるく曲がっている。
「かの子、終電は?」
「24時10分」
 スマホを見る。まだ15分もある。
 家から駅まで、徒歩約8分。余裕で間に合う――くそ。

 かの子がのんきに言う。
「ペンキの色、気に入った?」
「うん」
 きみの選んだ色なら、なんだって好きだ。
 そんなことをさらっと言えたら、かの子は僕のもののはず。
 小さな鼻もぷっくりした唇も、かの子の愛情も、僕が大事に守っているはず。
 でも現実は――僕は友人のひとり。

 こっちから、『会いたい』って言えればいいのに。
 明るくてかわいくて、人気者のかの子に、ダッサダサの優柔不断男は似合わないから――今日もむすっとした顔で、ただ隣を歩いている。




 駅が見えてきた。かの子が振りかえる。
「ここでいいよ」
「駅まで送るよ」
「――あの子も、こんなふうに送ってあげたの? いつも?」
「あのこ?」
 びっくりしてかの子を見る。暗くて、顔がよく見えない。

「ナナちゃん。大学のとき、つきあっていたじゃん」
「ああ。どうだったかな」

 スッと、かの子が顔を上げた。
「付き合ったカノジョ、忘れるんだね。圭太は冷たい」
「4年も前のことだぜ、忘れるよ」

 そう言いながら、僕の目はかの子の髪にくぎ付け。
 黄色いペンキの点をのせた、彼女の髪。
 指で髪をほぐしたら、あの黄色いペンキは粉々になって消えるだろうか。
 僕の未練みたいに。
 
 ゆっくりと手を伸ばす。
 今たぶん、二人の距離は2秒くらい。
 2秒あれば手が届いて、髪にふれて、そのまま引き寄せられる。
 引っ張りこめる。
 腕の中に。
 僕の毎日に――かの子を。

 そう思った時、彼女の後ろを電車が通った。
 ゴオオオオオ。
 え? 電車??

「うそだろ、終電? まさか??」
 うろたえる僕の前で、かの子の大きな目が光った気がした――。


 あわててスマホで時間を確認する。
 23時57分――終電は24時10分のはず。
「ごめん、かの子。駅前でタクシーを捕まえようか」
 急いで駅に向かう。でも、かの子はついてこなかった。
「――それが、圭太の答えなんだ」
「は? 答え?」
「終電の時間、10分おそく言ってみたんだ。圭太、どうするかなって思って」
「どうって」

「“終電ないし、もう今日はうちに泊まれよ”って、言ってくれるかなって」
 かの子はゆっくり歩いてくる。笑っているけど、泣いているみたいだ。
「――かのこ」
 ふわ、と髪が夜風にゆれた。
 耳の後ろには黄色いペンキ。
 いま、僕の部屋には同じ色のペンキが塗ってある。
 今夜、僕はかの子の選んだ色に沈んで眠る。どうしようもなく優柔不断で、ダッサダサ男のまま――。

 かの子は目元をぬぐった。
「もう一本、電車があるの。ちょっと遠回りだけど帰れる。そっちの時間が、24時10分」
 彼女は笑った。小さな鼻、ぷっくりした唇、やわらかい髪――。

「行こか、圭太」
 かの子は背を向ける。終電に、間に合うために。




 駅に着いた頃には、かの子はいつもの表情になっていた。カバンの外ポケットからカードを出す。
 僕は思わず声を上げた。

「……えっ。カードは財布の中だろ」
「来るときに使いきったから。新しいカードをここに入れておいたの」

 小さく手を振って、改札にカードを差し込んだ……やべえ。

 ピポオーーンっ ッポオオン!

「えっ、なに??」
 かの子がびっくりして立ち止まる。改札を通らなかったカードを見る。
 僕は黙って、頭を掻く。

「……なに、これ」
かの子が歩いてきた。ずいっと僕の前にカードを突き付ける。
「これ、ヤオンカードじゃない。通らないはずよ。
いつ、カバンに入れたの?」
「――さっき、居酒屋で。家に帰ってから、気づくと思ったんだけど」

 かの子は大きな目で僕を見た。
「読んで」
「は?」
「このカードに圭太が書いた文章。読んでよ」

 ぼわっと顔が赤くなるのが分かった。
「や、それはちょっと」
「読まなきゃ、終電に乗るわよ。早くして。あと4分しかないんだから」
 くそ……女の子って、どうしてこう急に強気になるんだ??
 僕はしぶしぶ小声で言った。

「――“また会おう”」
「それだけじゃないでしょ」
「残りは、かの子だけが読めばいいんだよ」
「ききたいの、圭太の声で」
 
 完敗だ。僕はあきらめて、言った。

「“また会おう――僕はきみのものだ”」
 かの子はニヤリと笑った。
「いい言葉ね」
「死ぬほど恥ずかしいよ」
「とてもいい言葉よ――じゃあ、終電が来るから」

 ひらっと、かの子は背中を向けた。
 うそだろ、ここまで来て!? 
 とっさに彼女の肘を握って引き留める。
「ペ――ペンキがっ」
「ペンキ?」
 振りかえったかの子の髪には黄色の点々がついている。
 夜空に金色の星が散ったみたいな黄色いペンキ。

「僕のカノジョの髪には、いつでも星が散っているんだ」
「え? なに?」
 小さな顔を、両手で包む。

「なんでもない――今日は、うちに泊まれよって。そう言ったんだ」


 かの子の後ろで最後の電車がやってきて――走り去っていった。
 長い長いキスのあいだに。




 翌朝、目が覚めると隣でかの子が笑っていた。
「――おはよう。なんで笑っているんだ?」
「壁を見ていたの、すごい黄色だなあって」
「なんだよ、きみが選んだ色だろ。それに」

と、僕は手を伸ばして、かの子の髪にふれた。

「ここに、黄色のペンキがついたままだよ」
 僕は笑った。
 かの子も笑った。

 僕のカノジョには、いつだって黄色の星が散っている。
 幸せの色だ。


【了】

『くたばれ、終電。24時10分』
2022年4月1日



今日は金曜日💛 へいちゃんも同じお題で出してます。
うむ。職人魂とは、こういうものね(笑)。



#NN師匠の企画
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題・ペンキ

ヒスイの100本ノック 今後のお題:
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