見出し画像

「死ぬまでに、こんな日曜をすごしたい」ヒスイの理想の日曜日

今日は「理想の日曜日」についてです
最初に、今日のヒスイ日記を書くキッカケになった記事を
あげておきます。

いいなあ。
べつに、これといって特別なことが書いてあるわけじゃないんです。
だけど静かな時間の流れと
確固たる友情と
文章への愛情が感じられる記事です。

ヒスイはnoteにきて3年になりますが、
とてもたくさんの方々の文章を拝読しましたが、
とにかくもう、かなわない!と正直に思っているひとが
います。

ゼロの紙は、オリジナルの言葉を持っていて
それをきちんと、あるべき場所に置きつつ
流れるような文章を書く。

かつて、フランスの作家 マルグリット・デュラスは
文章の流れ(エクリチュール)についてこう言っている

『示すことはせず、語の頂きの上を流れてゆくエクリチュール で、固執せず、ほんの一瞬、存在するかしないかのエクリチュールです。
決して読者を「遮 る」ことをせず、読者にとって代わることはありません。解釈を提示することもないし、説 明もしないのです。』
(「母は流れるエクリチュールになった」芦川智一 より)

http://litterature.g3.xrea.com/works/005-ashikawa.pdf


ゼロの紙の、とても美しい一人称の文章はとめどなく流れるようでいて
計算された呼吸音を持っている、と思う。
句読点で息を吐き、改行で一瞬だけ目を泳がせる。

そのスキマに、次の行が入ってきて
文頭から、言葉が流れ落ちていく。
かすかに、紙がこすれる音を立てて。

その曲線のゆるやかさよ。
なめらかな美しさよ。

心に響く文章とは
声高に、誰かを裁くことではなく
すべてを受け入れていくことだ。

透明な支流を編み上げて、いつか大河にしてしまう。
ゼロの紙は、日常のささやかな物事を丁寧に拾い集め、
なだらかな言葉に変換して差し出してくる。

読み手は、何も考えなくていい。
ただ、言葉の流れに身をゆだねればいいのだ。

いっそ、身体の悦楽に限りなく近い、愉楽。

こういう清らかな言葉を浴びてしまうと
『文章には、読み手に取って利益になる事が書いてなきゃダメだ』とか
『ある要素を排除した減点方式の構成が、ウケるんだよ』なんていう文章論が、

百万光年のかなたに思えてくる。

物を書くとは、自由であっていい。
かぎりなく自由であり、かぎりなく儚いものだと思う。


たかが、文字だ。

だけど小さな文字が、読み手の網膜を経由し
鼓膜を通り抜け
脊髄へ至る時

それはもはや、ささやかな言葉ではなくなる。

世界を揺るがす、愛情の喚起になる。

ヒスイは、冒頭の記事を読んで
今日も、ゼロの紙に嫉妬する。

この世で一番高貴な日曜日を過ごした彼女に、嫉妬する。

そしてほんの少しだけ、ほっとした。

私はまだ、正でも負でもない時点にある言葉に、身を震わせることができる。

私の感性はまだ


清浄である、と。


いいなと思ったら応援しよう!

ヒスイ~強運女子・小粋でポップな恋愛小説家
ヒスイをサポートしよう、と思ってくださってありがとうございます。 サポートしていただいたご支援は、そのままnoteでの作品購入やサポートにまわします。 ヒスイに愛と支援をくださるなら。純粋に。うれしい💛