『僕の手は、夢を捨てる・夢を拾う 完結編』ヒスイの鍛錬・100本ノック㊴
パトカーの赤いランプが点滅している。ユキさんが、警察を呼んだからだ。
警察官ふたりは三十代サラリーマンをパトカーに乗せた。
「彼を正式に訴えますか?」
「はい、それから――」
ユキさんはぐいっと、こっちの肘をつかんで、
「このひとも傷害で訴えます。ケガしているんだから」
「え、いや、僕は――」
まずいよ、だっていまこの瞬間、僕は拾った夢ゴミを持っているんだから。こっちこそ、窃盗罪で訴えられる。
でもユキさんはがっちりと肘を握っている。夢ゴミの入った袋を後ろに隠して、
「訴えます、傷害で」
と言った。
警察官はうなずいて、
「では、明日警察へ来てください。持ち物は――」
パトカーが行ってしまってから、ユキさんに事情を話しながらアパートへ帰った。ユキさんはびっくりしたように、
「じゃあ、その夢ゴミを捨てた人を探しているんだ?」
「はい。だいぶ、消去法で絞り込めてきました。残っているのはおじいさんと、二階の女性です」
「ああ、イッソさんと真美(まみ)さんね」
「――イッソさん? あのお爺さんですか」
「イッソさん、ときどきランの花をくれるの。趣味で作っているんだって――あら、部屋に戻らないの?」
僕がアパートの階段下で立ち止まると、ユキさんは聞いてきた。あいまいに、うなずく。
「あ。コンビニで、コーヒーでも買おうと」
「じゃあ明日、警察で会いましょ」
ユキさんは軽やかに手を振って、階段を昇って行った。
よし、これでもう一度あのゴミ収集所に行ける。とにかく、この夢ゴミを捨てなきゃ。
歩き出した時、目の前でドアが開いた。お爺さん、イッソさんが部屋から出てくる。
思わず階段の陰にかくれる。夢ゴミを持っている時に、見つかりたくない。
イッソさん一人かと思えば、後から男性が出てきた――あ、あのご夫婦の旦那さんだ。
旦那さんは軽く頭を下げると、
「ランの花、ありがとうございました――スッキリしました」
「そうですかい」
旦那さんは、ちょっと疲れた顔だ。疲れているけれども……吹っ切れた顔とでもいうか……すがすがしい感じ。
そのまま隠れていると、旦那さんを見送ったイッソさんが、こちらを見た。
「あんた――出てきていいよ」
あっ、バレていたのか。
もそもそと、階段の下から出た。
「……こんばんは」
「なにかあったかね、ユキちゃんと一緒だったみたいだが?」
お年寄りって、どうしてこう耳さといんだろう。黙っていると、イッソさんは笑って部屋のドアを開けた。
「ま、入っていくかね」
僕は夢ゴミを隠しながらイッソさんについて行った。
部屋に入って声を上げる。
「うわ……植物でいっぱいですね」
イッソさんの部屋は壁にずらりとミニ植木鉢が並び、ひとつひとつに緑の葉っぱが植えられていた。
「ランだよ。株分けしているんだ」
「かぶわけ……。ユキさん、ときどき花をもらうと言っていました。
あ、ユキさん、ストーカーに狙われてて」
「ふう。やっぱりな。あのサラリーマンだろ、一階の」
「ええ」
イッソさんは白髪頭を掻いた。
「あやしい気がしたんだ。ユキちゃんは無事だったかね」
「ユキさんは無事です。僕はぶん殴られました」
「ま、あんたは大丈夫そうだ……そういえば、最近、夢を捨てただろ」
ぎくっとして、一歩下がる。
イッソさんは、ニヤリと笑った。
「ひとの夢ゴミも持っとるな」
「なん……で、わかる、んですか」
「見たからだよ、ゴミ捨て場で。あんたが夢を捨てて、人の夢ゴミを持って帰るのを」
「ああ。なんだ」
「何の夢を、捨てなさった?」
ちょっと考えた。ここまでバレているんだから、ぜんぶ言ってしまおう。
「僕は――物語を書いています、だけど。ぜんぜん売れなくて。
食べていくだけなら、今の仕事、ネットで記事を売る仕事で十分です。
だからもう、夢ゴミに出そうって」
イッソさんはしばらく黙ってから、小さな植木鉢に入った薄紫の花を壁から取った。
こちらに差しだす。僕はあわてて手を振った。
「すいません、花はいらないです。すぐに枯らしちゃうんで」
「これはな、ただのランじゃない。あんたの“夢の未練”を見る花だよ。
これを握って何も出てこなきゃ、その夢はホントにゴミなんだ」
「……未練があったら、何が出てくるんです?」
「石が出てくる。夢の残滓だね。
試してみるかね?
ユキちゃんを助けてくれた礼だけど、イヤなら帰ればいい」
あやしすぎる。帰ろう。
そう思った時、さっき部屋の前で見た男性、旦那さんの顔が浮かんだ。
疲れているけど、どこかすがすがしい顔。
あきらめのついた顔。
「となりの旦那さんは、やったんですね」
「そうだよ」
「夢を捨てたんですか? じゃあ、このピンクのゴミは――」
「そりゃ違う」
イッソさんはあっさりと言った。
「あの人には、放っておいて粉々にした夢があったんだよ。その未練が残っていないか、確かめたかった。
何もなかったがね。子どもができるかどうかは運のもんだ――おっと、こりゃ黙っておく話だった」
僕はうなずいた。
「そうですか。それですっきりした顔――
聞いたことは全部忘れますよ。
そして僕もランを試します。もうあの夢は、完全に、忘れたいんです」
手を伸ばして、イッソさんからランを受け取った。
暗くて暖かい部屋のなか。
ランの花はちょっとだけふるえた。ふるえと同時に、何かが手から流れ込んできた。
熱いものが、体のすみずみまで駆けめぐり、夢の残り香を探していった。
指先から、つま先まで。
喉の奥から、へそまで。
熱いものが白い光になって体を駆け抜けていく。通り過ぎた後には、黒々とした跡が残った。血管に、内臓に、脳髄に。
熱が僕に言う。
『見なかったことにしろ、白い光も黒い跡も。
なかったことにしろ。
夢は、捨てられるんだ』
閉じたまぶたの裏に、月光を浴びて他の夢ゴミと一緒に固まったダークグレーの夢が見えた。
ひからびて弱って。
僕が手放した夢。
声が、出た。
「夢は、捨てられる」
イッソさんが答える。
「そうだな、捨てられる」
「捨てました。もうどこにも、ありません。なくなりました――」
「ああ、なくなったな」
ぶわ、と涙があふれてきた。どんどんあふれて、いつのまにか波と一緒になってダークグレーの夢を洗っている。
僕の夢。
手放した夢。
波に洗われるうちに、ダークグレーはどんどん透明になり、やがて中心から鮮やかなスカイブルーが湧き上がってきた。
湧いてくる。新しい夢が。
どうしようもなく、湧いてくる。
生き生きとしていて艶やかな夢に手を伸ばして――取る。
目を開くと、イッソさんが言った。
「わかったかね」
「――はい」
手の中には、ランの代わりに小さな黒い石が入っていた。角度によってスカイブルーに見える小さな黒い石が。
僕はピンクの夢ゴミと、黒い石を持ってアパートの二階に上がった。
“真美(まみ)さん”に夢ゴミを返すためだ。
結局、消去法で夢の持ち主はわかった。
一階の奥さんは、夢をごみとして捨てない。旦那さんは夢と決別した。これからふたりで新しい夢を探すんだろう。
ストーカーはピンクの夢をユキさんのものだと思っていた。つまり、彼のものじゃない。そしてユキさんのものでもない。
“真美さん”のものだ。
そっと部屋のベルを押す。ドアを開けた女性に頭を下げる。
ピンクの夢ゴミを差し出していった。
「ごめんなさい。先月のゴミの日に、持って帰ってしまいました。
とてもきれいで、生き生きとしていたから――でも、キズがありますね。
もし、直したいのなら、僕がやってみます。
処分されたいのなら、つぎのゴミの日に、僕が責任を持って出しますから」
ことん、と。
真美さんは玄関先で座り込んだ。
「よかった……探したんです。ずっと、探していたの。
簡単に、ゴミにしちゃいけないってわかっていたんだけど。
あのときは、つらくてつらくて。もうどうしようもなくて」
真美さんは静かに泣いていた。涙がこぼれるたびに、ピンクの夢ゴミは小さくふるえた。
そっと夢を差し出す。
真美さんはピンクの夢を抱きしめた。
「キズ、直せるかしら」
「わかりません。僕も初めてなので――でも、やってみます」
真美さんはうなずいた。ピンクの夢も、ふるえたみたいに見えた。
真美さんの腕の中で。
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今朝も、僕はアパート前を掃除する。
真っ先に部屋から出てくるのはご夫婦の旦那さん。僕を見て
「おはようございます」
と言って、駅に向かう。その後ろを、奥さんが追ってきた。
「あなた、忘れ物」
「あっ、走らないほうがいい、転ぶと大変だ」
奥さんはゆっくり戻ってきて笑った。
「もうね、子どもが生まれるのは半年も先なのにね。大変だ」
「おめでとうございます」
僕は笑って掃除を続ける。目の前を黄色いスカートが横切っていく。
「あっ、おはよう! 急がないと遅れちゃう」
「いってらっしゃい」
ユキさんは、あのストーカー男が消えてからますます元気だ。地下アイドルとしてもがんばっている。とにかくかわいい。相変わらずかわいい。
ユキさんの後ろ姿を見ていると、イッソさんが部屋から出てきた。
「元気だな、あの子は――さて、今日はネットショップにランを出すよ。手伝ってくれるか」
「はい」
あれから、イッソさんはランを売るようになった。以前から欲しい人は多かったんだけど、イッソさんは売り方が分からなかった。
そこで僕がネットショップを作り、今は二人で少しずつ売っている。
特別なランは育てるのに時間がかかる。だから売れるのは少しだけど。
ランで確かめて、夢を手放す人が減ればいいと思うし、夢を手放したことを後悔する人も減ればいいと思う。
ほうきを片付けていると、後ろからパタパタと言う足音が聞こえた。
僕はほんのり笑った。もう、まただ。
「真美さん、遅れるよ」
「そうなの、ギリギリなの。行ってきます」
「今夜、夢の修理パーツが入るから。うちに来てくださいね」
「わかった!」
彼女を見送ってから部屋に戻った。
窓ぎわには、ふたつの夢が置いてある。
ひとつは修理途中のピンクの夢。もうひとつは、角度によってスカイブルーに輝く黒い夢。
あれから、真美さんと一緒にピンクの夢ゴミを直しはじめた。キズの深さと状態を調べて、分解して必要なパーツを探した。
少しずつ、夢は直りつつある。
だけどまあ、もう夢ゴミは直っても直らなくてもどっちでもいい気がする。だって真美さんの夢は、かなったみたいなもんだから。
彼女の夢については、プライバシーを尊重して、ここでは詳しく言わないけれど――僕たちは、まあまあうまくやっている。
「さて。仕事を片付けよう」
パソコンを開く。
受注したネット記事を作ってから、ひとつ、小さな物語を書こうと思う。
誰のためでもなく。
ただ、物語はこの世に出るのを、待っているから。
僕の手を通過して。
僕の身体を通過して。
物語は世界に向かって泳ぎだしていく。
小さなダークグレーの魚みたいに。
【了】
『僕の手は、夢を捨てる・夢を拾う』
#NN師匠の企画
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題・ゴミ
すいません、遅くなりました。
このお話が、わずかながらでも、読んだ方を
「ここじゃないどこか」へ
お連れできればいい、と思います。
いろんなことに、答えが出た気がしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
小さな物語作家、ヒスイでした💛