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「ザルモクシスオオアゲハの後悔」ヒスイの毎週ショートショートnote+間に合わなかったタモリスト

スリというのは、人目につかないようにするものだ。
『その逆』も、同じ道を行く。
だから俺は壁に身をかくし、そっと彼のカバンを盗み見る。
あれが、今日の狙いだ。

一歩ずつ、彼が近づいてくる。
数人の連れがいる。
連れがいるとやりにくいように思うかもしれないが、
実際は、やりやすい。集中力が途切れるからだ。

彼の集中力は、ないほうがいい。
俺の目的から言えば。

ぐっと手の中のプラスチックケースを握りしめたとき、
ふと背後の家から、テレビの声が聞こえた。

『笑っていいかなー?』
という軽妙な男の声。
絶妙な間をおいて、集団の声が答えた。

『いいともぉー!』

・・・なつかしいな。この番組はもう終わったはずだが。
ああ、再放送か。

いや、懐かしくはない。
なぜなら、この声が俺のすべてを変えてしまったからだ。
声というより、精妙な『間』が俺を誘い込み、道を変えてしまった。

プラスチックケースの角が、手のひらに食い込むほどに握りしめる。

記憶の中で、あの男がしゃべっていた。
俺の脳内で。
あの日と同じく。


『司会者にトイレの権利を!』
『おれにだってトイレに行く権利がある!』

男はそんな変なプラカードを持って、テレビスタジオで訴えていた。
トイレの権利? 司会者に?

俺は20分しかない昼休みに、社員食堂で飯を掻きこんでいた。
考えた。

司会者の権利なんて、そんなもの、ないだろう。
録画じゃない。生番組なんだから。

ナマということは、男がやったことはすべて、電波に乗って日本中に公開されるという意味だ。
やったことも。
やらなかったことも。

ステージから引っ込んだ後、出の時間になっても男がなかなか来なかった。
出てきた男は、妙なプラカードを持っていた。
『司会者にトイレの権利を!』

……あるはずない。そんなもん。
……あるはず、ない?

いや、あってもいいんじゃないか。
飯を飲み込みつつ、俺は思った。

この世には、やりたいことを軽妙にやる自由があってもいいんじゃないか。
その自由さはテレビ画面の向こうにいる男にも、俺にもあるはずだ。

平等に。
俺たちの血液が同じ赤色をしているように、
あの男に許されている権利は、俺にも許されているんじゃないのか。

24才、1児の父。それが今のおれだ。
早すぎた結婚。早すぎた子ども。
俺の人生は後悔することばかり。

小さなアパートに戻れば、生まれて2年になる子供が泣いている。
蝶マニアの妻は、部屋じゅうに珍しい蝶の写真を貼りまくり、ストレスを発散していた。

蝶が舞う部屋。
子供の泣き声。
俺も蝶はキライじゃないが、あの部屋はもう、いやだ。

限界だと思ったとき、あの男の声が、俺を自由にした。

全国放送されている生番組、その司会者ですら、
番組途中で抜けて、トイレに行く権利を要求している。

俺が、一人の気楽な人生に戻るのを邪魔するものがあるだろうか。


その日。
俺は20分の昼休憩が終わる寸前に、会社を出た。
目の前にやってきたバスに乗り、そのまま、会社にも家にも戻らなかった。

何かのあてはなかった。
予定も計画も、制限すらなかった。

ただ、自由になりたかったのだ。
プラカードを持ってテレビスタジオを練り歩いていたあの男のように。



あれから5年。
いま俺は壁に半身を隠し、ひとのカバンを狙っている。

こんな生活をもう半年も続けている。
いつ名乗り出るか迷っているが、けっきょく隠れたままかもしれない。


だって俺は、腕のいい逆スリだから。
腕のいい逃亡者だから。


一団が近づいてくる。
甲高い声がする。

「先週のカッピレンジャー、みた?」
「みたみた! ミートボールランチャーがかっこよくてさ」
「4組のクルクルのやつ、クリスマスに買ってもらうらしいぜ」
「ミートボールランチャーを? うげえええ、うらやましい。サイコーのパパじゃん。おまえら、何を買ってもらうの?」

数人がおもちゃの名前を挙げる。
『彼』はだまったきりだ。
なぜかって。

彼には『パパ』がいないから。



きゅううっと、胸が締め付けられる。
心臓がどきどきしてくる。アドレナリンがふきだす。
勢いのまま、俺は集団を歩きはじめた。

さりげなく。
あくまでも、さりげなく。

外から見たら、べつにどうってことない風景だろう。
スーツを着た男が、下校途中の集団を追い越そうとしているだけだ。

俺のドキドキは、手にしたプラスチックケースの中に閉じ込めてある。

すれちがう。
俺は熟練の動きで、ケースを彼のカバンに滑り込ませた。

物を人のカバンに入れ込む、逆スリだ。

15㎝×15センチのケースはスルリと布カバンにおさまった。
ちょうど上履きとファイルのスキマに入ったのだろう。

カタリとも音を立てずに、しずかにケースは収まった。

俺は小学生の集団を追い越す。
5m先には車が待っている。
そのまま乗り込む。
助手席の男が言う。

「社長、車を出しますか?」
「いや2分だけ待ってくれ」

俺はスモークを貼った後部座席から、小学生の集団が行きすぎるのを見る。
心臓が、止まりそうだ。

列の真ん中に、妻とよく似た横顔がある。
耳の形は、俺に似ている気がする。

もう5年、まともに会っていない息子は、見るたびに大人びてくる。

息子が行ってしまうと、秘書に車を出すように命じた。
用は終わった。
秘書はウィンカーを出しながら言った。

「社長。今月はどの蝶を贈ったんですか」
「ザルモクシスオオアゲハのメスだ」
「……なんだかよくわかりませんが、それも高価なんでしょうね?」

俺は返事をしなかった。
たとえ300万円の蝶を贈ったとしても、それで俺の罪が消えるわけじゃない。

5年前、俺は自分勝手な理由でいきなり消え、
家族を捨て、
東京で起業した。

起業は楽ではなかったが、
運と人と、時流を得て、会社は見る見るうちに大きくなった。

だが、俺の罪は消えない。
家族に合わせる顔はない。たとえ年収が億を超えても。

俺に出来ることはただ毎月、希少種の蝶の標本を息子のカバンに滑り込ませることだけだ。

妻は蝶マニア。
きっとあの標本の意味が分かると思う。

俺の謝罪と、つぐない。
標本には毎月、俺の名刺をはさんである。
連絡はできるはずだ。

彼女が許す気になったら。
彼が俺をゆるす気になったら。


ごめん。
俺は、身勝手な自由が欲しかったんだ。

生放送中に自由を叫んだ、あの男のように。


キキッと、ブレーキの音がした。
「どうした?」
「社長、息子さんが転んでいますよ」

みれば、小さな体が歩道に転がっている。
カバンから荷物がこぼれている。

息子は蝶のケースをつかみ、立ち上がった。
俺は車を出る。
歩道に立って、彼を待つ。

天から降りおちてくるのは、彼の怒りか、ゆるしか。
どちらでも、受け取ろう。
だって彼は、俺の息子だから。


まぶたの裏で、蝶があざやかに飛んでいく。

息子は、稀少種の蝶の標本を振り回していた。
かけよってくる。

わらっていた。


【了】(約2700字)

本日は、たらはかにさんの #毎週ショートショートnote  に参加しています。
裏お題の「壁を愛すスリ」を使いました。|д゚)チラッ

相方ヘイちゃんは、表お題の「風を治す薬」です。

コッチの父子は大人だなあ。いいかんじだなあ。
秋風みたいに、ふんわかしているなあ。

なおなおいっしょに 山根あきらさんの
「第8054回タモリスト文学大賞」にも参加しようと思いましたが、
締め切りに間に合いませんでした(笑)

みごと締め切り内にお出しになったコジ部長の作品をのせておきますねー

いやはや。
締め切り1日前にだす気概を、ヒスイも持ちたいものです(笑)

では。