「皇帝ダリア、みたいなひとを探してる」ヒスイの痛い恋愛短編(笑)
若い男が席を立つ。濃紺ジャケットの揺れる形が、真紀(まき)の網膜に0.2秒ほど、遅れてうつった。
二重うつしみたいに、ぼやけている。昼間の幽霊だ。
彼は思い出したように胸のネームプレートをまっすぐに直した。
「ありがとうございました――じゃあ俺、他の人と話してきますから」
カウンターから離れていくのを送って、真紀はため息をつく。
これで今日の街コンも失敗だ……。
今日の会場は大通りに面したイタリアンバル。11月半ばなのにドアを大きく開放しているのは換気のためだろう。
開いたドアから、カップルに成立しかけた二人が路上で笑っているのが見えた。
カウンターから路上までは、4メートルくらい。
だけどとてつもなく遠い4メートルだ。真紀の32年間は、その距離を埋めるための苦闘だと言っていい。
なぜ自分が、あっち側へ行けないのか。
なぜ自分は、いつも世界とずれているのか。
真紀はずっとそう問いかけながら4メートルを埋めるべく、あがき続けている。
ハードワークの仕事を辞めず、見込みのない婚活を3年もやっている。
真紀は店の奥へ顔を向けた。裏口も解放されていて、その先に小さな庭が見えた。
「入っていいのかな……」
そういいながら、真紀はカウンターから動けない。ただ、ぼんやりとドアの向こうを眺めていた。
緑の植栽。
その先に――細い枝のようなものがあった。
真紀はきゅっと、眉をひそめて裏口の向こうをうかがった。近視なので、遠くがはっきりしない。
「枝? 木?」とつぶやく。
「――ダリアですよ」
目の前で声がした。真紀はあわてて眉間をこすって、しわを消そうとする。これがあると5歳は老けて見えるから、街コンでは厳禁だ。
カウンターの中で、やけに背の高い男がニコニコしていた。年は真紀よりすこし上だろうか。
「え、あ。お店の方ですか」
人のよさそうな、ヒョロヒョロした体つきの男で、黒ぶちメガネが昭和っぽかった。全体の印象は――イタリアンバルの店員。それ以外の何者でもない。
男はカウンターから出てきた。
「よかったら、行きますか。今ちょうど、花が咲いているんです」
「はな?」
真紀はすばやく、男の胸のあたりを確認する。
ネームプレートがない。街コンの参加者ではないのだ。
それがわかったとたん、ふっと真紀の体から力が抜けた。
この人は、婚活のこっち側でもあっち側でもない。だって、イタリアンバルのスタッフなんだもの。
真紀はひょいひょいと歩いていく男の背中を目で追いながら、一瞬だけ考えた。
ついて行く必要はないよね。
だが。
迷う必要も、ないんじゃないだろうか。
よく考えたら吉川真紀(よしかわ まき)は、必要のあることだけをやり、やりたいことを先延ばしにしてきた。32年もずっと。
一つくらい無駄なこと・不要なこと・理由がつかないことを積み上げてもゆるされるだろう。
真紀はスツールから立ち上がった。ことん、と3センチのヒールが小さな音を立てた。
裏口の向こうは、小さな庭になっていた。小さいなりに木があり、花が咲いていた。
その中に、ひょろっとした木が生えていた。真紀の頭上、高いところで薄いピンク色の花が咲いていた。
「うわ、大きい」
真紀は思わずつぶやいた。
紫がかったピンクの花は男のこぶし大で、中心部に近づくほど赤くなり、真ん中に黄色いめしべとおしべがあった。
幹らしき部分にさわってみる。緑色で、節がある。
「これ、なんですか。竹?」
ははは、と男は笑った。
「ダリアです」
「さっきもそう言ったけど。これがダリア?」
真紀は目を丸くして男を見る。それからちょっとだけ、あとずさった。
「こんなダリア、ないでしょう。ダリアって小さい花びらがいっぱい集まった、丸いボールみたいな花よ。フワフワしててかわいらしくて、若い女の子みたいな花でしょ」
「それもダリアですね。これも、ダリアです」
あらためて頭上を見る。風が強すぎて、雲さえも止まっていられないほどの青空だ。
そこへ、くっきりと立つ薄ピンクの花。
どう見たって、ダリアじゃない。
「また、だまされるんだ」
真紀がつぶやく。背後の男が笑った。
「また? そんなにしょっちゅう、だまされているんですか」
真紀はダークグレーのニットを伸ばして答えた。
「しょっちゅうだまされるんです。最初の被害は20万円」
「お金?」
「最初のカレシにだまされた金額。仕事でどうしてもお金がいるって」
「まあ、ありがちだね」
「次のカレシには、車のローンを肩代わりさせられた。これが120万円」
「ははあ」
男は笑ったような、うなったような声をだした。あきれているんだろう。
真紀はつづける。
「3人目はヒモで。働かないでずっとごろごろしていた。人間って1年近くも1円も稼がず、無職で生きていけるもんなんですね」
「まあ、そういう人もいますね」
「4人目のカレシに5回浮気されて、やっと別れました。それで今、ここなんです」
「――ここ?」
「婚活3年目、32歳。
知ってます? 婚活って30になったとたん、マッチング率が急落するんです」
「へえ」
「29歳と30歳。1日しか差がないのに、翌日からガタンってマッチングしなくなった。システムが壊れたのかと思うくらいに変わったんです」
男は笑ったまま、竹のような木にさわった。短い髪はワックスで固めているらしく、風の中でもびくりともしない。
何のブランドを使っているんだろう。
全く関係のないことを真紀は思った。
男は、
「これね、皇帝ダリアっていう花なんです。木みたいに見えるから、キダチダリアともいう。幹のようなものは茎なんです。茎が木質化する種類なんですね。
こうやってどんどん上へ延びる」
真紀は男の指に従って、茎から空に向かって顔をあげた。
「花がつくのは11月半ばから12月はじめごろまで。日が短くならないと花をつけません。暗い時間が長くならないと、ダメなんです」
「日が短くないとダメ?」
ええ、と男は言った。
「短日性といいまして。日が長い時期や、近くに街灯がある時は花をつけないんです」
「……じゃああたし、短日性だわ。日が当たる場所やキラキラした場所だと、落ち着かないの」
男はただ、うなずいた。
「そういう人もいるでしょうね。だけどちゃんと、花をつけますよ」
「――ダリアはね」
「ええ。ダリアはね」
男は真紀の顔を見た。
「あなた、ずいぶんきれいな人ですね」
「今それを言う!? もうだいぶ、しゃべった後ですけど?」
「ああ、僕、あんまり人の顔を見ないんですよ。人の顔って、ちょっとズレてから見えてくると思いませんか?
最初の数分間って、ちゃんと形が認識できないっていうか」
「いえ。最初の一秒でわかりますけど」
「そうかあ……僕、人の顔、見分けがつきにくいんですよね。だからいつも、話し方や指の形なんかで判別するんですけど」
真紀はちょっと考えてから、
「――そういう人も、いるんでしょうね」
「ええ」
「あたしが何度も何度もダメな男に引っかかるみたいに、顔の区別がつきにくい人も、たくさんいるんでしょうね」
「どれくらいかは知りませんが、いるんでしょう。少なくとも僕はそうです。だから――」
と、男はひょろ長いダリアの茎を指さした。
支柱が立ててある。ダリアの細い茎がしっかりと結び付けられていた。
「ダリアみたいに、支柱になる人がいるといいなあと、いつも思うんです」
ああ、と真紀はつぶやいた。
「支柱になる人ね、欲しいよね」
「皇帝ダリアの茎は中が空洞なんです。こんなに育つと折れやすいんですよ。だから、ね。支柱」
「あたしもずっと、探しています」
真紀はつぶやいた。
「いつ、見つかるのかしら」
「いつ見つかるんでしょうねえ」
「この世界に、いるのかなあ」
「わかりませんね。ただ」
と言って、男は笑った。
「この世のどこかに、あなたの支柱になりたい男がいるかも」
「――そういうひとも、いるんでしょうね」
「いるんですよ」
男はきっぱりと、そう言った。
11月の空は痛いほどに澄みきり、皇帝ダリアの花弁がひらひらと揺れていた。
真紀が口を開く。
「あのう……」
「はい、なんでしょう」
「その髪、どこのワックスで固めています?」
その瞬間、男は長身をかがめて笑いはじめた。
「ワックス!? ワックスを聞くんだ??」
「はあ」
「あのね、僕もちょっと世界からズレているほうですけど、あなたもそうでしょう?」
「……かもしれないです。でも」
と、真紀はもう一度、頭上の皇帝ダリアを見あげた。
「この世界には、そういう人もいますから。暗いところをくぐり抜けないと、花が咲かないひとがね」
「ああ、そうですね――そういう人もいますね」
ふたりの頭上では、皇帝ダリアの大きな花がゆるやかにゆれ続けていた。
街コンはそろそろ、終わりらしい。
【了】3600字
今日は金曜日。へいちゃんと同じお題で短編を書きました。
へいちゃんは、こちらです。
爽快に、笑ってください!!
ではでは。
また明日、短編でお会いしましょう。
土曜日は「毎週ショートショート」の企画だからね…。
NNさまの企画71
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題・ダリア
今後のお題
【4】水 【7】歩道橋 【8】終幕 【10】マトリョーシカ
【12】落書き 【14】エレベーター 【16】忍者
【20】歌 24】お茶 【32】昔話 【43】鬼
【46】枯れ木 【54】蜘蛛 【58】春告げ鳥
【61】舌先三寸 【66】ポップコーン 【70】スキャンダル
【73】アナログレコード 【80】まちぶせ 【81】ゆうびんやさん 【82】★みなとさん3★ 【84】天気予報 【86】豆電球
【88】ペンギン 【89】★みなとさん4★ 【94】はらごしらえ 【95】ロングヘア 【96】遅配 【99】船 【100】カブト
消えているけど【鳥獣戯画】。書いてないです。ぜったいに(笑)
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