「12月火の粉まきあげーー」ヒスイの冬俳句+シロクマ文芸部
「十二月火の粉まき上げ歳わたる」ヒスイ
名古屋には「火渡り神事」をやるお寺がありまして。
12月になると、ヒスイ母はしきりと
「今年もやっていただかなきゃ」と、父の様子をうかがっておりました。
そんなもん、自分でやりゃいいのに。
ずっとヒスイはそう思っていましたが、
いまになって、母の気持ちが少しわかるような気がしてきました。
やはり、家の柱とも頼む人に、
無病息災であってほしいし、福徳延命、諸難消滅であってほしいと思うものなんです。
で、父は。
面倒だなと思うことも多かったでしょうが、
毎年12月の中旬になると
母とともに熱田まで出かけておりました。
私もついて行ったことがありますが、
夜に、お寺の境内に大護摩壇をつくり、
火を焚き、
道を作り、オレンジ色の炎がおさまったころに
順番に走っていく。
裸足になり、まだ赤い火が見えるような一本道を
すばやく走り抜けていく。
走っている本人は、別に熱さを感じないようですが、
見ているほうがドキドキもの。
ああ、お父さん、どうなっちゃうのかなあ、などと
子供ながら不安を感じました。
炎の跡を駆け抜けた父は、
母から新しい靴下を受け取り、平気な顔で履いていて。
私から見ると、その足の裏には、
かすかに炎の余韻が残っているような気がして、
おとうさん、靴下が燃えちゃわないかな、なんて
心配をした記憶があります。
家に戻ってからも、
しきりと瞼の裏に、赤い炎をひそめた黒い道が浮かんできた。
あの道を通り過ぎたあと、
おとうさんは、前のお父さんと同じなんだろうか。
ひょっとしたら、あの道の前と後では、
お父さんでありながら、別のお父さんが靴下をはいていたんじゃないかと
そんな疑いもあったりして。
翌日の朝、普通の顔で朝食を取っている父を見て
肩の破片や、
耳の裏などに
「新しいお父さんのしるし」が見えないものかと
ヘンな角度から見ていました。
去年の12月。
母の病が分かり、
ヒスイ実家は急転直下。
その直前に、いつもどおり「火渡り」を済ませていたので
母はしきりと首を傾げ、
「ちゃんと、お父さんがお参りしたのにねえ」といっていました。
あれから1年近くたち、ふと思う。
・・・・・・お父さんじゃ、だめじゃん。
お母さんがあの黒い道を、火の粉をまき上げまき上げ、
駆け抜けていかなきゃダメだったんじゃないの、って。
今さらながらに思います。
おかあさん。
お父さんは今年は、「火渡り神事」に行かないそうです。
喪中だからって。
でも来年は、また行くし。
だから。
家内安全、諸難消滅、福徳延命。
ぜんぶ叶うから。
安心してね。
来年が良き年になりますように。
「十二月火の粉まきあげ歳わたる」ヒスイ
本日は 小牧幸助さんの #シロクマ文芸部 に参加しております。
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ヘッダーは、はそやm画伯から借りっぱなしです(笑)