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『僕はランドセルに、悪魔を飼っている』ヒスイの鍛錬・100本ノック㊱

 僕は古いランドセルに、悪魔を一匹、飼っている。
 いっぴき? 悪魔の数詞は“匹(ひき)”かな? “頭(とう)”かな……。
 ま、どっちみち、たいした悪魔じゃないけど。

 考えながら、僕は朝食の塩鮭を一口で食べた。朝食にかかる時間は五分だ、男子高校生はスピード重視。
 そこへ母さんの声がした。
「今日は仕事で遅くなるの。帰りは九時だけど、晩ごはん、待てる? 玻璃(はり)?」
「うん」
「そうだ、地下のシアタールームに置きっぱなしのランドセル、そろそろ不燃ゴミに出すわよ」
「うん――あ、え、ちょっと待って――とにかくもう行くから。帰りは、九時になるんだね?」

 母さんに確認してから、二階に上がってカバンを持つ。窓からは満開の白梅が見えた。
 何かが吹きあがるみたいな勢いで、咲いている。
 春が来た。上着はもう要らない。僕は階段を駆けおりた。


 学校の最寄り駅、改札の向こうに彼女が見えた。
「――澄(すみ)」
 振りかえる。
 ボブの髪、紺色の制服にバックパック。どこにでもいるJKなんだろうけど、僕には特別だ。彼女のまわりだけが光っている。
 初めてのカノジョだし。
 このあいだ、キスもしたし。
 駅から学校まで二人で歩くのも、メチャクチャ楽しい。

 澄が言う。
「今日さ、部活ないんでしょ。帰りにスタバ行こうよ」
 僕は口ごもる。
「あ、その、約束があって」
「えー、誰と?」
「あくま――じゃない、悪友」
「オトコだけで集まるってやつ? ちぇー」

 つん、と澄は口をとがらせる。澄はいつも、言いたいことをはっきり言う。断られても気にしない。次の約束があればいい。
 そこが僕と違うところで、すごくかわいい。かわいいけど――今日はダメだ。
 授業は三時に終わる。家に帰って四時。母さんが戻るまで五時間ある。
 僕と悪魔、二人きりの時間だ。


>゜))))彡 >゜))))彡 >゜))))彡

 七年前、悪魔と出会った日のことは今もクッキリと覚えている。
 僕は楽譜を買いに来ていた。六歳からピアノをはじめて四年。次に使う練習曲集を買うように言われていた。
『ブルグミュラーの練習曲集よ』

 母さんと先生から二回、同じことを言われた。どうでもいいけど、母さんと先生はいつも同じことを言う。

 音に集中して、玻璃。
 長さは呼吸で覚えるのよ。息で数えてね。
 背筋はまっすぐ、手首は柔らかく。ほらほら、座り方で音は変わるわよ。

 うんざりだ。本当は、サッカー教室やスイミングクラブのほうが楽しい。
 だけど僕は黙って楽譜を買う。
 母さんに逆らうのは面倒だ。口では負けるし、どっちみちオヤには、かなわない。
 そのときピアノの音が聞こえた。見ると、アップライトピアノにきれいなお姉さんが座っていた。
 店の人と話して、うなずく。少し抑えた音で弾きはじめた。

 シンプルなメロディなのに、ときどきスカッと音が抜けた。
 抜けたところに青空が見える気がした。身体じゅうから、何かが一気に吹きだした。耳から飛び上がるみたいな衝撃。
 履いているスニーカーからばねが出て、そのまま小さく開いた青空へ抜けていける気がした。

 外から見たら、ただ立っているだけに見えただろう。だけど僕は、身体ごと青い空を猛スピードで駆け抜けていた。
 どこまでもどこまでも飛んでいける気がした――けど。

 ぽん、と最後の音が鳴った。
 余韻とともに青空が閉じていく。どんどん小さくなる空の隙間から、悪魔が手まねきしていた。
『こっちへ来いよ、楽しいぜ。頭んなかが、空っぽになる――飛べるんだぜ。お前みたいなやつでも』

 そのままスッと空は閉じた。
 まわりには黒光りするピアノと、ずらりと並んだ楽譜。
 僕はブルグミュラーを棚に戻した。
 カウンターに行き、

「さっきの――さっきのお姉さんが弾いていた曲は、なんですか」
「ああ、“茶色の小瓶”ね。ジャズのスタンダード曲ですよ」
「僕でも弾けるでしょうか」
「初心者向けにアレンジした楽譜がありますよ」


 その日から、僕のランドセルには悪魔が住んでいる。隠れて買った楽譜『やさしいピアノソロ スウィングジャズ名曲選』のことだ。
 母さんに見られたくないから、ずっとランドセルに入れて学校へもっていった。
 歩くたびにランドセルの中で楽譜が、跳ね飛ぶようなコードを見せびらかした。
『こっちは楽しいぜ。お前が練習しているバーナムだのツェルニーだのとはまるで違う――飛べるんだぜ』

 ああ、知ってるよ。
 急降下するみたいなコード。最初の音はコンマ1秒おとし、裏拍で跳ねる。音が鳴ると、背中に翼が生えるんだ。
 青空を自由に飛びまわる翼。
 あれから十年。僕はこっそりジャズを弾いている。



>゜))))彡 >゜))))彡 >゜))))彡
 午後四時。
 学校から家にまっすぐ帰るとリビングにカバンを放り出し、地下のシアタールームへ降りた。ピアノの横には古いランドセルが置いてあって、ジャズの楽譜をぎっしり入れてある。
 ほんとはもう楽譜は必要ないけど、かならずピアノに置くことにしている。
 置けば、ジャズの悪魔が来てくれる。
 ふたりで秘密のギグができるから――。

 だけど今日は、ランドセルが見つからない。
 ない。
 ないないない。

 必死に探しまわった。いつもと違う場所に置いたのかも。
 探しながら、気が付いたんだ。今朝、母さんが言っていたこと――。

『地下室に置いてあるランドセル、ゴミの日に捨てるわよ』

 ゴミの日は――今日だった。



 リビングに戻ってソファに、どすんと座る。
 バカバカバカ。なぜ、ちゃんと話を聞かなかったんだ?
 どうして、『ランドセルを捨てないで』ってハッキリ言わなかったんだ。
 どうしていつも、本当に言いたいことを、言わないんだ。
 言わないから伝わらない。

 伝わらないまま、僕の青空は削り取られていく。もう悪魔が手を振るスキマさえ、ない。
 目を閉じる。
 数ミリの青空さえ見えない、真っ暗な脳みその中に沈み込む。


 ブ……ブブブ……。
 なんだよ、うるさいな。ああ、スマホか。
 ポケットからスマホを取る。澄からだ。
「ごめんね、あたしの電子辞書、玻璃くんのカバンにない?」
 カバンをあさる。出てきた。
「――あるよ」
「やっぱり。明日の二時間目にいるんだよね……って、玻璃くん、元気ない?」
「いや、全然へいき――」

 言いかけた言葉がとまる。
 へいき? 平気じゃないだろ、十年来の友人をなくしたところだぜ? あれはただの楽譜じゃない。あの楽譜は、僕の親友だったんだ。
 そう思ったら、声が出た。

「どうして僕はいつも――平気じゃないときに、平気っていうのかな」
「へ?」
 電話の向こうで、澄の声がとぎれた。
 ぶわっと汗がふき出した。なにを言ってんだ? 澄だって変に思うよ。
 すぐにリカバリーしなきゃ――。
 でも、スマホからはいつもと同じ澄の声が聞こえた。

「玻璃くんは、強くなりたいんだね。何があっても平気な強いヒトに、なりたいんでしょ。きっとなれるよ。でもあたしには、平気じゃないって、教えてくれると嬉しいな」
「……そか。平気じゃないって、言っていいんだ」

 カンと、何かが開く音がした。
 
 頭の後ろで、すさまじい勢いで青空が広がっていくのが分かった。
 青空のあいだに、メロディが浮いている。
 CコードからF、GからCへ。身体が浮き上がる感覚。
 スウィングしている――澄の言葉が。

 ああ、この言葉。
 猛スピードで逃げていきそうだ。
 捕まえなきゃ。今すぐに。

「――あのさ、澄。これからピアノを弾くんだけど」
「ピアノ?」
「そう、今から――ジャズ――スウィング――スタンダード、いろいろ」
「へえ。聞いてみたいなあ」
「うん。聞いて。スマホをスピーカーにしておくから――」

 爆速でシアタールームに戻る。ピアノの上にスマホを置いて、弾きはじめた。
 最初の曲は“茶色の小瓶”。
 つづけて“A列車で行こう”、“ビギン・ザ・ビギン”、“真珠の首飾り”。“この素晴らしき世界”、“オール・オブ・ミー”。
 僕の指には翼が生えていた。
 シアタールームの天井は青い空になり、メロディが成層圏の彼方まで飛んで行った。

 僕は笑う。
 スウィングの悪魔と一緒に、笑った。
 ――なあ、悪魔。メロディには人を幸せにする力があるな。元気づけて、明るくして、どんなことも忘れさせてくれる。
 イヤな自分も弱い自分も、言いたいことも口にだせない意地っぱりヤロウも、青い空の果てへ連れて行ってくれる。
 
 この音が途切れた瞬間から、またダメな布池玻璃が戻ってくる。それでいいんだ。
 だって、どっちも僕だから。
 どっちの僕も受け入れてくれる人がいるから――それで、いいんだ。
 澄がいる。僕の命綱が。

 自由であれ、自由であれ自由であれ。
 ただ、そのままの音であれ、布池玻璃(ぬのいけ はり)――。



「玻璃、玻璃、起きなさいよ、もう」
 ばしん、と肩を叩かれた。ピアノの前で、眠っていたみたいだ。
「あ、母さん」
「びっくりするじゃない、帰ってきたら、リビングにカバンの中身が散らかっているし、あんたはいないし」
「ごめん、ピアノを弾いてた」
「そうみたいね」

 母さんはちらりとピアノを見た。
「あ、母さん。ランドセルを捨てたの?」
「ええ。朝、そう言ったでしょう?」
「ごめん、ちゃんと聞いてなかった。あのランドセルの中に楽譜が入っていたんだ」
「知ってるわよ。その棚に置いたわ。
 大事なものでしょう? あなたがあんなに書き込みをした楽譜、初めて見たわ。もうご飯だから、上にいらっしゃい」
「――ありがとう」
 立ちあがってピアノにふたをする。スマホを見ると、澄からラインが来ていた。

『途中だけど、お風呂に入るからもう行くね。すてきなピアノだった』
 くくく、と僕は笑いはじめた。笑って笑って、お腹が痛くなるまで笑ってからスマホをポケットにしまった。



 僕は、布池玻璃。
 人の話をあんまり聞かず、適当に流し、あとからオタオタする十七歳だ。
 何があっても平気な男になりたくて、まあ、当分なれそうもないけど。
 それでいい、っていうカノジョがいる。

 そして時々。
 四時間ぶっとおしでピアノを弾く。鍵盤の上では、音楽の悪魔がいっしょにスウィングしている。
 明るく楽しく。
 僕は、成層圏のかなたまで広がる青い空を飛びまわっている。
 僕のままで、そのまま自由に。


『僕はランドセルに、悪魔を飼っている』
【了】

こちら、へいちゃんも同じお題で書いています💛
偶然ですが、音つながり。こういうのって楽しいですね!

#NN師匠の企画
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題は・ランドセル

ヒスイの100本ノック 今後のお題:
こんな(そんな)つもりじゃなかった←的中←あからさま←アナログレコード←ミッション・インポッシブル←スキャンダル←だんごむし←ポップコーン←ゴミ←三階建て←俳句←舌先三寸←春告げ鳥←ポーカー←タイムスリップ←蜘蛛←中立←メタバース←科学←鳥獣戯画←枯れ木←鬼


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ヒスイ~強運女子・小粋でポップな恋愛小説家
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