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「カドミウムイエローの子どもは三日月を追い越す」
初めて会った時、ユーヤは三日月のピアスをしていた。金色のピアスには小さな星がぶら下がり、呼吸とともにゆれていた。
気負った顔がならぶイラストレーター専門学校の教室で、ユーヤの三日月は金星をひっかけてクールに輝いていた。
1カ月後、ユーヤの画力がケタちがいであることをクラス中が知る。
本人はイケメンでありながら気さくで人懐っこい。
絵もキャラも、圧倒的な吸引力だ。
つねにクラスで最下位の私は、当然、ユーヤもヤツの絵も大嫌いだった。
ヤツの鼻先でゆれる鋭角の月と金星が、大嫌いだった。
三日月からいきなり満月に飛んでいけるような才能。生まれながらに、『満月へ待ち時間なし!ファストパス』を持っている三日月なんて、死んじまえと思っていた。
私はユーヤと一言も交わさず、地の果てと地獄の底くらいの距離を取りつつ、夏休みを迎えた。
8月早暁。私はふらりと散歩に出かけた。
一晩かけて描いた絵を塗りつぶしたあとの朝だ。散歩というより蹌踉(そうろう)というしかない足取り。
藍色の空が白くなり、世界が新しく始まるところなのに、私のなかは絶望一色。アスファルトの上で、足音が『へたくそ・へたくそ』とひらべったく反響していた。
そんなとき、視界にきらりとするものが入ってきた。
尖った両端をもつ三日月。星をぶら下げた月だ。
ユーヤがいた。
ユーヤは小さなアパートの階段に絵を並べていた。
しばらく眺めたあと、一枚ずつ放り投げた。
がこん、がこん、がこん、と絵はさびた階段を転がり落ち、地面に着いたころには四隅が壊れて丸くなっていた。
ユーヤは階段を降りてきて、私に気が付いた。
「よう、高野」
「……なにしてんの?」
「ダメだから、捨ててる」
視線を移すと、私が描きたくてたまらないような絵が、ころがっていた。
完璧な描線、計算されつくした構図、無理なく人を飲み込む絵。
ユーヤの鼻先が下をむいた。
「ダメだろ、これ」
「ダメじゃない、って言われたいんでしょ。あたしは言わないけどね」
「ムカつく女だな」
「あんたほどじゃない」
私はじっと、絵を見ていた。角が取れ、ぼろぼろになった絵は、どれだけ雑に扱われても、存在感を放っていた。
ユーヤが言った。
「おまえの絵さ、あの色、どっからくるんだよ、いったい」
「いろ?」
顔を上げると、ユーヤの三日月が光っていた。
「色だよ。おまえさ、構図はめちゃくちゃだし、デッサン力はゼロ。なのに色の配置だけが天才的だろ」
「そうかな」
「カドミウムイエローのりんごの横に、バンブーグリーンのバナナを置いて、背景にローアンバーのチョコレートコスモスって、いったい、なに?」
「……配置がバラバラすぎるって、クソミソに言われた課題じゃん」
「あんな配色を1枚にまとめるなんてフツウじゃないだろ。俺がやったら画面から、まけ出てしまう。何なんだよ、クソ」
ユーヤがしゃべるたびに、とがったツノを持つ三日月が震えつづけた。
「腹立つよ、お前を見てると。ちゃんと自分がやっていることをわきまえろよ」
「わきまえてるよ、クラスの最下位ポジをキープしてるよ」
「課題の評価とか、人からの評価とか。気にしてる場合か?」
ムカ、とした。こいつは満月へのファストパスを持っている奴だから、こんなことをエラそうに言えるんだ。
「あたしたち、イラストレイターを目指してるんだよ。見た人に評価されなきゃ、意味ないじゃん」
「俺は気にするよ、俺には他者評価しかないからな。だけど、お前は違うだろ。自分が好きなものを、好きなように描いている。それってつまり、最強だろ」
ふる、とまたユーヤの三日月が光った。
今度は三日月の横を、すうっと水の流星がはしった。
ユーヤが泣いていた。
「俺だってさ、以前はお前みたいに描けていたんだ。好きなもんを好きなように。だけどさ、今はダメだ。人の目が、きになる。人に受け入れられるものしか、描きたくない」
「……それって、プロの目線じゃん。わるくないじゃん」
「俺はもっと、自由になりたいんだよ」
「あたしはもっと、褒められたいわよ」
私達は、お互いを見た。
お互いの欲しいものを、あふれるほど持っている相手を憎んでいいのか、愛していいのか。地図をなくした子供がふたり、八月の早暁に立っていた。
そして私たちの間には、絵があった。
いつだって、絵があった。
私はゆっくりと乾いた地面から絵を拾い上げた。
あざやかなコバルトターコイズの空に、レモンイエローの三日月が突き刺さっている絵だ。
「これ、スキかも」
「ふん」
「まあ、あたしならピンク色のオペラで塗るけど」
「バカか。ブルーにピンクを合わせるやつがいるかよ」
「そういうイメージだもん」
「わけわかんねー。バカを相手にしてると、こっちもアホになる。おい、コーヒーでも飲んでくか?」
「いいよ」
とんとん、とユーヤは階段を上りはじめた。両手はデニムのポケットの中。
私はわざとらしくため息をついて、やつが放り投げた絵を一枚ずつ拾い上げていく。
「おいていけ、そんなもん」
「一枚ちょうだいよ、課題として提出するから」
「盗作かー? プロとしてあるまじき行為だぞ」
「あー、あたしプロじゃないから。一生プロになる気はないから」
「じゃ、何になるんだよ」
「一生子供のままでいる。カドミウムイエローの子どものままでいるわ」
とん、とユーヤの足が止まった。絵を抱えた私が見上げると、ユーヤはゲラゲラ笑いはじめた。
「バカとガキには、かなわねえ。一足飛びにゴールに行きやがる」
「何を、わけわかんない事いってんのよ。どいてよ、じゃまよ」
とんとんとん、と私がユーヤを追い越す。
満月へのファストパスを持っているヤツを追い越す。
後ろから、三ケ月ファストパス野郎の笑い声が追いかけてきた。
「待てよ、部屋が分からねえだろ?」
「わかる!直感でわかるから!」
「あー、バカにはかなわねえ。かないたくもねえわ」
すうっとユーヤが私を追い越した。
その鼻先で、朝日に光る三日月がきらめいていた。
八月早暁。
夏はこれからだ。
【了】約2400字
本日は お題の「三日月ファストパス」だけを、たらはかに さんの #毎週ショートショートnoteよりお借りしました。
字数、大幅にオーバー(笑)
相方へいちゃんは、表お題も裏も書いてます。
今回は、裏お題「満月ガスとバス」がいいと思います!
母の状態が安定してきました。
明日のシロクマ文芸部は参加できそうです!
ヘッダーはUnsplashのMatthieu Jungferが撮影
本日よりウエダヤスシさんの企画【66日ライティングラン】に参加します。
大好きなコジ部長が参加されていたので・・・。
しばらく休んでいましたが、66日間だけはまた、突っ走る予定デス。
よろしくお願いいたします(笑)