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「抑圧されたままでいるなよ。僕たちは」ヒスイのコングラ日記
へいっへいっ!
たまには景気のいいことを言うぜっ!
![](https://assets.st-note.com/img/1733232128-u71dHjSMXGilyEaTnw40Oc8C.png)
なーんと。こういうものをいただきました💛
ヒスイにもたまには、良い事があるのよ(笑)。
おまけに、今日はヒョウガ兄ちゃんと話していて、
へこんでいたのが浮上したので
やっぱりいい日なのでした。
良い日がある。
へこむ日がある。
この程度でのんびりと過ごせれば、一生は満ち足りたものになるんだろうなという気がします。
こういった「おだやかな生活」の大切さを、
ヒスイはこの人から学びました。
「歌集 滑走路」萩原慎一郎
萩原慎一郎の短歌の深さ、痛さ、尊さは、多くの人がいっているから、
ココでは申しませんが、
ヒスイは本の装丁を見ていただきたいと思う。
まず、表紙がいい。
まさにこれから飛び立つ飛行機の目線。
まっすぐに見える滑走路と、地平線のカッキリした美しさが
心が広がるようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1733232594-xBkZTE3WIv0jqtClse1cwFKU.png?width=1200)
ちなみに、この本はぜひ、カバーを外してみてほしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1733232692-ByMDRTdtw0Jli68kYnKo4aEU.png?width=1200)
淡いブルー一色に、白抜きのタイトル。
まるで飛び立った飛行機が雲の上を抜けた後のよう。
何という清々しさ。清潔さ。
この清らかさは、かすかな青みをもつ萩原慎一郎のイメージそのものです。
ちなみに表紙には和紙を使っています。
このざらりとした手触りも、少しとんがった青年の気配を伝えてくれます。
この本は版を重ねて、2021年現在で9刷。
最近は電子書籍でも読めるようですが、
ヒスイとしてはぜひぜひ、紙媒体の書籍で手に取ってほしいと思う。
表紙カバーの滑走路の写真は、萩原慎一郎自身が選んでいたもの。
著者が選んだ画像ということで、
収録されている短歌全体のイメージとキレイに呼応しています。
表紙もカバーも単価も、ぜんぶそろって『歌集滑走路 萩原慎一郎』なのです。
また古い版で、カバーに帯がついているものが手に入ると、
帯に書かれている歌人・俵万智の推薦文も読めます。
『ピュアな言葉に思う。短歌は、彼の濾過装置。
自在な、表現に思う。短歌は彼の翼。
真っすぐに心を射抜く短歌が、ここにある』俵万智
いまは、角川文庫でも手に入るようです。
萩原慎一郎の短歌には、人の感情を鼓舞する力があると思う。
『そのうちに消えてなくなる曇天の記憶です そのうちに必ず』
これは、歌集には入ってないかな?
なんだかもう、同じ言葉を口の中で何度もなぞっておきたい短歌です。
人生は良い日ばかりじゃない。
つらい日も痛い日もある。
けど。曇天の記憶なんて、いつかなくなる。
最後に残るのはきっと、良く晴れた朝の記憶だけだと思う。
そしてこちらは、『歌集滑走路』に収録されているもの。
ヒスイの座右の銘です。
『思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ』
どんなものを書くときも、
書き終わって直すときも、
直し終わって出すときも、
ヒスイはこう考えています。
『この言葉らよ、羽化の直前であれ』と。
物を書く理由は人それぞれでしょうが、
ヒスイの場合は
「今そこにいて、うずくまっている人に、声を届けたい」ということ。
あらゆる物語が日々、私たちの目の前を流れてゆきますが、
そのどれかを取り出して
物語の形にして、滑走路に放てばきっと、
羽化して、誰かのもとへ届くのだろうと思う。
以前なら、大勢に届けることができなかった言葉も
いまはネットで、どんどん出すことができる。
昔みたいに『本にならなきゃ』とか『雑誌に掲載されなきゃ読まれない』ということはなくなりました。
いまは、ありとあらゆる手段で、
言葉を送り出すことができる。
それだけに『羽化直前であれ』と願う言葉を
磨きあげ、そっと夜空に放つのは
書き手の責任であるように思うのです。
萩原慎一郎は、それを知っていた。
わずか17才の頃から世に知られていた歌人は
言葉の力と、言葉のギリギリさと
儚さをよく知っていた。
イジメに会い、非正規雇用の悔しさの中から
言葉を束ねていったひとは
早くになくなりましたが、
その言葉は今も、滑空を続けている。
人生の曇天も、
良く晴れた日も、
同じように大事に思っていた萩原慎一郎。
社会の底から滑空させた言葉を、
いま、受け取ることができるのは
恩恵であるとともに、受け取った人の責任でもあると思う。
『癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ』
いつかきっと、痛みも傷も誇りになって
私たちを支えてくれるんだと思う。
日の当たらない痛みを、本当によく知っていた人だと思うのです。
ヒスイはまあ、
勝ち負けで言ったら人生のハンパ負け組なので(笑)
自分の中の痛みや傷を
大事に持っておいていいと言われたら、
無性にうれしいのであります。
コングラボードもいただいたしね(笑)
コレステロール値も安定してきた。
だから。
曇天の記憶を引き連れて
あなたに届く言葉を、今日も滑走路に放つのです。
『抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ』