『うちのママは、上等な漆塗り』ヒスイの鍛錬・100本ノック⑬
「どうせ私は、ただの主婦よ! あんたやママみたいなクリエイターじゃありません。 年越しの準備はぜんぶ、私がやればいいんでしょう!」
リビングにママの大声が響いた。あたしはびっくりして顔を上げる。キッチンでママがヒスイ叔母さんをにらんでいた。ママはエプロンを取ったかと思うと、大きな足音で部屋から出ていく。
すぐに、玄関の開いて閉じる音が聞こえた。あたしはヒスイ叔母さんを見る。
「――ヒスイちゃん」
「ママは漆のお椀を取りに行っただけだよ、澄。裏のおばあちゃんちの倉庫にね」
漆のお椀はお正月に使うものだ。ママとあたし、ヒスイ叔母さんは、朝からお正月の準備をしている。
正確には「していた」。ついさっきまで。
「さ、お皿を洗っちゃおうか」
ヒスイ叔母さんはそう言って、蛇口から水を出した。
「なんでママ、怒っているのかな」
「おねえちゃんは、あちこちで我慢しすぎる。だからときどき、ああやって爆発するのよ」
「ママが、主婦だからそうなるのかな」
あたしが尋ねると、ヒスイ叔母さんは笑った。
「ちがう。主婦でも仕事をしてても、自分をどうしようもない役立たず、と感じるときがある。そうじゃないってわかっていても、ときどきそうなる。
まるで自分が、芯のない詐欺師みたいに見えるときがあるのよ。
あんただって、あるでしょう」
あたしはぎくりとする。ついこの間、親友のちづるにこう言われたからだ。
『澄ってさ、八方美人でだれとでも、仲良くなるよね』
ちづるが悪意で言ったんじゃないのはわかる。
でも。
刺さった。
まるであたしが調子のいい空っぽの人間みたいに聞こえたから。そうなんじゃないかって、あたし自身がいつも疑っていることを、親友から言われたからだ。
あたしは考えながら皿を拭き終わった。さて、とヒスイ叔母さんが言う。
「おねえちゃんを、迎えに行こうか」
おばあちゃんの家はすぐ裏だ。庭づたいに行ける。あたしは、すっかり枯れた植栽をまたいで倉庫へ向かった。
ママが、倉庫の入り口で木箱から漆器を出しているのが見える。ひとつずつ、くるんである薄布をはずして確かめている。
あたしのとなりで、ヒスイ叔母さんが言った。
「ねえ、澄。漆塗りを作るときはね、最初に木で、食器や箱を作るの。その上に何度も何度も漆を重ねていくの。
でも最初の形がだめなものは、そのあと、どれだけ良い漆を塗ってもだめなんだって。
あんたのママは、時間をかけてゆっくりゆっくり自分の形を作り上げた。失敗もあったかもしれないけど、とてもきれいな形だとあたしは思う。だから今、たくさんの感情の漆を塗り上げても、芯がびくともしない。
本当に強いものって、そういうものね」
ママがあたしたちに気づいて、こっちを見た。もう赤い顔はしていない。
「ヒスイ、これ、見てよ。だいじょうぶかしら」
ヒスイ叔母さんはちょっと笑って、倉庫へ向かった。あたしは考える。
あたしの芯は、まだきっと八方美人の詐欺師だ。スカスカで、中身が足りない。
でも。これから時間をかけて形を作っていけばいい。
あたしのまわりにいるカッコイイ大人をお手本にしていけばいい。
そこまで考えた時、ママがよんだ。
「澄、このお椀、うちへ持っていってちょうだい」
「はあーい」
返事をして、あたしも倉庫に向かう。
一番いいお手本は、きっと、漆塗りのママだな、と思っている。
【了】
トップ画像はPixabayより
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