『女子高生・橋上に立つ 第二校』ヒスイの鍛錬・100本ノック⑦』
「人と会うことは何かのスタートだ。きみも、何かを変えたいと思ったから、ここへ来たんでしょう」
男の声は雑音だらけのカフェでも、くっきり聞こえた。私は制服のスカートを撫でつけて答えた。
「ただの、好奇心です」
「ほんとうに?」
男は私の目の前で、笑った。笑うと口の端にしわが寄る。
SNSのプロフィールには三十六歳と書いてあった。つまり私より二十歳年上の男。グレーのスーツ、えんじのネクタイ、薄いブルーのシャツ。
こういう男をかっこいい、という子もいるだろう。たとえば友だちの高野澄なら、きっとそう言う。
あの子は高校生にしては素直だから。だまされやすいから。
私はこれまでにたくさんのウソを見てきた。ママ、パパ、先生たち、SNSで知り合った大人たちのウソ。もうだまされたくない。
ここで本名も知らない男と会っているのは、だまされない眼力を養うためだ。
男は長い指でコーヒーカップを持った。
「好奇心ねえ……」
「それ以外に、何があるんですか」
「いろいろあるよ。金、とかさ、きみはメイクがうまい、きれいな女の子だ。金を払う男もいるよ。でも、僕が来たのは――」
この男の声は鼓膜に刺さる。私がにらみつけても平気な顔で
「僕が来たのはきみのメッセージが面白かったからだ。文章は人の本質をさらすからね」
私はちょっと考えた。この男に興味がわいてきた。
そのときポケットでスマホが振動した。みると、友人の澄からのラインだ。
『しんぱいだよ、そっちへいこうか?』
友人の柔らかい文字にあぶられるように、私は立ち上がった。
「お金はいりません。好奇心は、満たされました」
そう言ってカフェを出た。
歩きながら、涙がでる。
私はコンビニに入ってトイレに飛び込む。鏡を見るとメイクはぐしゃぐしゃ。アイラインはにじんでチークと混ざっていた。ポケットではスマホが鳴り続けている。
澄からの電話だ。
「ちづる、どこにいるの。ホントにあのSNSのおじさんと会っているの?」
澄の声はいつでもスタッカートみたい。せわしないけれど、私に力をくれる。
私は深呼吸して、いつもよりゆっくりした声を作った。
「橋の手前のコンビニにいるよ。あの男と会ったけど、逃げてきた」
「よかった――心配だから今から行く。コンビニで会おうね」
電話は切れた。私はゆっくりとスマホをしまい、コンビニのトイレで顔を洗った。冷たい水で洗うたびにメイクが落ちていく。
トイレの鏡には、白いうろこみたいな汚れがついていた。うろこの隙間から顔がのぞく。
十六歳。優等生。メイクがうまくてSNSで知り合った男と会ってばかりいる長良ちづる。それが私だ。
私は私が、大嫌いだ。
タオルハンカチで顔を拭く。トイレを出てガムを買っていると澄が来た。走ってきたのか、頬が赤くなっている。
「よかった。へんなやつに、ついていったのかと思った」
私は笑った。澄はいつだって素直だ。私は澄といるとき、なるべくメイクをしない。すっぴんでいたい。
ふたりでコンビニを出たところで、私は立ち止まった。
橋の上に、あの男が立っていた。
「――やあ。その顔が見たかったんだ」
男の顔は、さっきと違う。動きをぬぐい取ったような無表情。男はジャケットのポケットから名刺を取り出した。私と一緒に名刺を見た澄が、大声を出す。
「モデル事務所? うそ!」
男は澄に笑いかけてから、私を見た。
「信じるかどうかは、きみしだいだ。これ以上の話は、きみのご両親とする。未成年だからね」
私は男の顔をまっすぐ見返した。
「大人はウソばかり。信じないわ」
「信じられる大人を探せ。きみの人生だ、変わりたければ親御さんと相談してから、連絡しなさい」
男の背中は人にまぎれて見えなくなった。
「ホントかな」
と、澄がつぶやく。私は
「ウソに決まってるじゃん」
名刺を捨てようとして、手を止めた。
小さな名刺をじっと見る。
ウソかどうか、自分で考えることだ。未来はいま、白いカードになって私の手の中にある。
名刺を財布にしまう。それを見ていた澄が
「事務所、行ってみようよ。本物ならこの住所に事務所があるでしょ」
澄の声は、いつだって私の背中を押す。
「そうね。澄、一緒に行ってくれる?」
「いいよ。ついでにマネージャーになってあげる」
澄が笑う。私も笑う。
私たちはすっぴんのまま、北風にさからって橋を渡りはじめた。
ーーーーー了ーーーーー
※こちらが初稿です。よろしければ見比べてみてください。
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