【MANNEQUIN】緋田 美琴 感想 〜立ってるだけの内面性について〜
・まえがき
たったひとつのセリフであの子の幼さが出ちゃうのは理想と表現したいものと求められていることの釣り合いが取れていないからなのかなとも思ったり。
書いてると結構批判的になったのですが私はあの子の幼さも欠落も愛おしく思います。
・本論
今回はコミュごとじゃないです。短いしね。
美琴さんは分からないことが多いんですよね。猫の扱いとか、事務所に家電送ったりとか。どうしたらいいのか分からないときに、あの子は人に聞いてそれを実践するんですよ。
『どうすべき』が先に来て『どうしたい』が来ない。
だから寄ってきた野良猫に何もしない。
立ってるだけで絵になって、もちろんポーズもこなせるけど外面以上のものを求められていたりはしない。
いや、レベルの高さがあるんだと思います。浅倉透は見た目だけで評価されて、不出来を見過ごされてきたから捕食者として成長していくわけですが、緋田美琴は見た目と技術がある。だから立っているだけで求められているものは成立する。
どうしたらいいのか分からないときに、『大人の言うことを聞いて』それに応えられるだけのものをもう既に持っている。
あの子は何がしたいんだろう。イベントシナリオだとひたすらストイックな探求者として映りますが、あの子が何を目指して何をしたいかは見えてこないんですよね。そこがあの子の幼い部分なのかなって。勉強していればしたいことがなくても将来困ることはない。でも使い道もない。
作曲が出来て、ダンスが踊れて、歌も歌える。当然今まで描写されてきたようにそれを獲得したのはレッスンの成果なんですけど、それが彼女の活動に噛み合ってないように思えてしまうんです。
したいことがない、と書きましたが感謝祭では美琴さんの提案でコンテンポラリーダンスをします。それが彼女にとって“感謝”を表すものたり得たのか。よりよいものを見せたいという意識はあった。けれどそれは感謝の表現になった? お客さんは緋田美琴の感謝祭にすごいパフォーマンスを求めてた? 求めてたとしてアイドルのコンテンポラリーダンス見たかった?
獲得した技術と活動が噛み合ってないのはそこだと思うんです。求めに応じることはもちろんあるべき姿。でもあの子は何を表現したいかが欠けているんだなって。ドラマの演技もこなせてはいたけど役の気持ちは掴めてなくて、表現にはなっていない。見た目と技術でどうにかなりましたが。
“マネキン”ってそういうことだと思うんです。マネキンの中身なんて、誰も興味ないでしょ。中身はおろか身に纏うものの内側すら見ないでしょ。
見た目と技術があの子の一番外側にあって、それが人目を引くくらい素晴らしいから評価される。でもあの子の内側は見られない。
プロデュースしているうちに好きになるんですよ、シャニマスの子達はみんなそう。それは見た目だけじゃなく中身を知ったから。過程を知って人間を知ったから好きになる。美琴さんが思ったより幼くって、かわいげがあって、ときおり甘えるみたいに「困っちゃうな」って言うことを知ったから好きになる。
思えばにちかの崇拝も外側で止まっていますね。すごい美琴さんのやることも言うことも全肯定。
脱線、およびまとまりがなくなってきた。
あの子はもっと人間になっていいと思います。というかそれを楽しみにしている。みんなに感動を与えるようなアイドルになるならさ、美琴さんの中身まで全部、全身全霊を懸けてよ。そうじゃないと、ただのすごい人なんだよ。すごくなくても感動はさせられるよ。凡人のパフォーマンスだって人を感動させていいんだよ。それが多分、シーズなんだよ。