樋口円香 LP感想


・まえがき
これ樋口のPカード全て含めての集大成、特に【ピトス・エルピス】成分濃すぎませんか

『kore kara』
樋口ソロライブでセトリも自由とは大きく出たなあと。確かに円香の言う通り丸投げで職務放棄なんですよね。しかもワンマンライブとは別で多分同時に走らせるやつ。
ただ、言われたことをこなすだけの能力のある女に自由だけを与えてみたらどうなるかというのは気になる。受けてしまえば(いつでもボツに出来るとは言ったが)逃げ道はなくなるし行き先もなくなる。
コミュ名の法則が【ピトス・エルピス】に則ってるのでシャニPとしては激情がどうなるかを見たいんでしょうか。浅倉といい樋口といいプロデュースの方向を少し変えてるような気はする。

『fu tari』
円香えび好きなんだ〜〜!
まあ確かにカラオケと変わらないと言えばその通りなんだけど(この言い回しさっきも使った。つまりあの子は商売じゃなくて実際にやることをちゃんと見ている)でもそれ言い出したらライブは全部カラオケですよ。強いて言うなら責任とクオリティがあるくらいでね。
やっぱり自分の価値を信じてないよなあと。人のミーハーな部分だけ見てないかな。あるいは好意は決して永遠ではないことを。意図的に低く見積もってるところはあると思う。痛々しいし馬鹿馬鹿しいから。
人の好意なんてあってないようなものだからなぁ。そこを信じてないから価値も信じられないのかもしれない。どうだっていいんだぜそこは。

『mizu kara』
いい席に座れたのに、か。樋口は大丈夫な子だったんすね。運動も勉強もそれなりに出来るって言ってましたし。それをいい位置だと自覚するだけのことはある。そして何より、リレーのアンカーを任されるような、責任を負わされる立場じゃなかった。
ファンが見ているものって正しく偶像なわけで。画面越しに見るもの、イベントで見せてくれるものにどれだけどんな意図があるかなんてファンは知らないし知らなくていいんだよ。
ただ厄介なのはファンがそうと感じたらそうなってしまうところ。生命力ある歌声なんて本人は思ってないけど多くがそう感じてシャニPもそこに激情を見出している。
他人が汲み取るものでしか存在できない偶像なら、自分の意図や想いはどこにあるんでしょうね。アイドルって。

『moku suru』
鳥の声うるさいなと思ったら案の定明朝でしたか。というかポスターまで樋口がやるのね。
スーツ。まあ言うまでもなくシャニPはシャニPだということなんですけど。
今回は樋口の内面もあるにはあるけどシャニPの迷いの方が強く出てますね。樋口が悩んでそうっていうその中身を描写しない。多分あの子は悩みながらでもそこそこの結果を出せてしまうから。実際トレーナーさんには褒められていた。
子供を導く職業ってのは往々にして無責任なものですよ。だから学校の先生は安全策を取るわけで。失敗したときの責任を、書類や金額の上では大人が取れたって、当人の傷の話なんてどうしようもないですから。

『yoru ni』
世間的価値や評価からの脱却なんてぶっちゃけ不可能だろうと思ってます。与えられた課題をこなすこと、それがつまり世間的評価につながるわけで、言ってしまえば曲を選んだのも写真の案を出したのもプロデューサーがそれを望んだからこなせたんだろうなと。
アイドルとは生き様っていうアンサーは正しいと思う。コンテンツとして全てを消費していくのが芸能の今だから。
それに対して自由を与えて脱却を、脱出させようとするシャニPが囚われてたんだろうなと。トレーナーの大丈夫とか、追うべきじゃないとか。
好きな人が自分を好きとは限らないように、嫌いな人間が嫌ってくれる、嫌われてくれるとは限らないと貝木泥舟は言いましたが、これも激情の一種だよなと。
自分を表現することとそれを他人に見せることは一致しないはずだけどアイドルっていうものがそれを許さない。才能としては向いてるんだろうけどメンタルとしてはやっぱり向いてないよ。自分を表現することって世間的評価の秤にかけられることでもあるしさ。

#ライブ
自分のためにやるから見たいものを勝手に見ていろっていうの個人的信条と合致したので勝手に嬉しくなりました。
恋の歌に一番共感できるのは恋をしているときで、正に自分のために歌われたんじゃないかなんて思うものですがそんなのは勝手なんですよね。誰かのために、とかじゃなくそのアーティストが恋する人のために歌ってたとして、そこに当てはまっただけのことで。
プロデューサーのくだりはW.I.N.G.ですね。樋口円香のプロデューサー。

『color』
色を重ねて濁らせるか輝かせるかは色そのものじゃなくて見せ方次第ということかなって。夜のシーンが多かったのはそれを濁りだと思っていたから?
キキキキとオルゴールの回す音がしたんですけどあれわたしダイヤルを回す音だと思ったんですよね、今も思ってる。周波数を合わせてボリュームを調整して、聴きたい音を聴くダイヤルの音だと。だから遠くの歌声が、それが例え樋口のものではないにせよシャニPの元に届いた。
そしてカラスが飛び立つ。『kara su』然り巣立ちの意味もあるのかもしれません。
適当に欲しいものを選んで終了。

・あとがき
誰かのために歌ってないっていうの、【ピトス・エルピス】時点でもちろん自分のためではあったけど自分に言い聞かせてるところもあったと思うんですよね。
それをアイドルというものの勝手な見られ方から解放されて本当に歌いたいがために歌うと結論が出た。余計な部分が削ぎ落とされて洗練されたのが今回のシナリオかなって思います。

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