【keep→it up♡】市川 雛菜 感想 〜雛菜さんによる日常讃歌〜
まえがき
小糸ちゃんで天井して100連分しかない状態で来たので叫びました。80連で勝利です。
コミュごとに初読の感想と各選択肢についてを書いていたのですが本論を語る際にあえて一旦真逆の切り口から入ったりする、つまり最後まで見てみないと書きたいことは分からないのではと思ったので通しの感想を書くことにします。
雛菜さんはあんまり努力を努力だと思ってないのかなというのが端的な感想です。日々頑張ったことはあれど、それは過程として当然のことで、仕事に手を抜いたわけじゃないし疲れもしている≒がんばった! みたいな。
『4 what』直訳すると何かのために、とか何のためにみたいな感じでしょうか。広報担当さんが「好きで居続けてもらえるよう頑張る」という言葉。
『try try try』の女子生徒1ちゃんの「(先輩に恥じないように)もっと頑張る」という言葉。
それを聞いて「頑張ってることを伝えるのは大事なことなのか?」という雛菜さんの問いかけ(雛菜さんが「ね、プロデューサー」って言うとき大体なんかこうこれから真理、あるいは常識に対する心理的盲点を突いてやるぜみたいな雰囲気を感じてあんまり好きじゃないんですけど)。
雛菜さん的には頑張ってることに自分が納得(楽しくしあわせ)がいっていればそれでよくない? 自己完結の範疇じゃない? というところなんでしょうね。で、プロデューサーの言葉で伝えるのも意味はないかもだけど効果はあるよねと。
ここで無視出来ないのは雛菜さんは毎日頑張っていると認識していること。これは何か血の滲む一時的な努力じゃないんですよ。座って授業受けてるだけでも、学校に行っただけでも、レッスンしただけでも頑張っている。頑張りの定義が読んだ感じは緩いです。もしかしたらそういう一時的な努力は保たないって知ってるのかもね。
だからこそみんな頑張ってることは普通で、練習したり好きになってもらおうとするのも当たり前で、口にするほどでもない、みたいな。
ただ『Go:for it』で女子生徒1ちゃんに「頑張って!」って言われて嬉しくなってる自分に気がついた。雛菜さんは多分この言葉を日常(自分が普段している当たり前の頑張り)の肯定と捉えたんじゃないかなと。
頑張ることを肯定していいし自分から頑張ったって主張してみてもいいっていう感覚がここで芽生えてTrue につながっていくように読めました。頑張ってって言われてもう頑張ってるって思うこともあれば(W.I.N.G『(unknown)』)嬉しく思えることもある。その違いは多分自分の日常を肯定してくれたかどうかなんでしょうね。
で、頑張ることについて触れて『choice!』
で努力そのものの価値観について違いを示される。
努力や頑張りそのものに価値はなくて努力している最中に自分が楽しくてしあわせだと思えたらそれでいいというのが雛菜さん従来の価値観。
努力や頑張りに価値はなくてほどほどだろうが一生懸命だろうが結果があればそれでよいのが女性編集者さんの価値観。
自分が納得するため、妥協しないためにすることが頑張りなのがメイクスタッフ2さんの価値観。
それらを見比べてプロデューサーとも話をして自分なりの理解を深めていく。思うに価値観の違いに触れることは自分の輪郭を知ることだと思うんですよ。他者との違いの中で自分はこれを許容できない、自分はこっちを重視したい。そういう取捨選択やこだわりに気がつくことで自己が形成されていく。
雛菜さんは強固な自我を持っているように見えますがまだ15歳の少女ですからね。自己形成の真っ最中ですよ。挫折することも何かを捨てることもせず生まれついた雛菜さんが少しずつ何かを得ながら歩いていく。変化というよりはアップデートという方が近いかもしれないです。だからこそ雛菜さんはありのままで強く映る。
自分の足で立っている雛菜さんですけど、それが楽しくしあわせであるには誰かの頑張りがある。同じように自分の頑張りが誰かの好きを増やして回っている。
それを知り、今まで通りの日常を死に物狂いでもなくいつものように頑張りながら生きていく。
それが今回のTrue なのだと思います。
あくまで雛菜さんは雛菜さんのままでいること。それは何か派手なこういうことをしました! という目に見えるものではないけれど、確実に周りに影響を与えて影響を受けてなお、自分のままで居続けること。
そうすることもちゃんと努力だし主張してもご褒美をもらってもいいことで、自分の好きを大事にしていいんだと思えたらそれでいい。
言うなれば日常讃歌なのかもしれません。今回のコミュは。