進むために無よりは駄文を
最近たどり着いた私にとっての「一つの真実」というか、ある「答え」があって、それは、
「何か新しいものを生み出したり考えついたりするためには圧倒的な暇な時間が必要」
ということなんだけど、似たようなことを過去の偉人や哲学者やいろいろな人が既に言っている。
イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは『怠惰への賛歌』というエッセイでこう言っている。
相当のひまの時間がないと、人生のもっとも素晴らしいものと縁がなくなることが多い。
この『怠惰への賛歌』は1932年に書かれている。
バートランド・ラッセルのこの考えについては、精神科医の泉谷閑示氏の以下の記事でも引用されている。
また、ひろゆきこと西村博之氏が著書『なまけのも時間術』で以下のように言っている。
「自分の自由な時間」を作らない限り、他にはない自分だけの価値なんてものをつくり出すことはできないだろう
過去の人たちや現在の人たちが残した、「ある答え」は、誰かにとって有益なものなんだけど、結局その人が気づくことのできるときにならないと気づけないし、人によって答えが違うから、何が正解とも言えないし、誰かにとっての答えと似た答えに過去の誰かがたどり着いているけれど、完全にぴったりハマるわけではない。
結局、人類は何度も何度もいろいろな人がいろいろなルートで似たような答えを導き出しているんだろうけど、100年くらい前に問題提起されていることが今現代でも問題提起されていることが往々にしてある。
そのような調子で、人類は前に進んでいるのだろうか?
いや、進もう。進んでいるんだろう。
だから、自分のちょっとした気づきや、たどり着いた真実や答えを、過去の人や他の人が言っているからといって黙らずに、自分の言葉でも言おう。
書いてみたら平凡に思えてしまうこともある。
けれども、頭の良い過去の偉人が書いた文章だと理解しがたいことが、私のそれほど頭の良くない脳でたどり着いて言葉にしたからこそ、誰かが容易に理解できることもあるだろう。
私の周りには私の考え方と似た考え方をする人が多いし、そういう人に届いて役に立つこともきっとある。
自分の答えが誰かの答えを導く道となる。
だから駄文でも自分がたどり着いた真実を文章にしてアップし続けよう。
人類全体として前に進むために、無よりは駄文を。