努力マウンティングに反吐が出る
ただ継続するだけは全然偉くない
「1か月も継続できずにやめていくやつがほとんど。継続できているだけであなたは偉い」
という褒め方に吐き気がする。
ある特定の人たちを下げて、その他の人たちを上げるべきでなはい。
そして、そういう褒め言葉を真に受けて、継続できない人達を見下して、継続することができている自分を、ただ継続できているということだけで肯定することも間違っている。
「継続できない人」というのは、実際のところ、
「継続しないことを体感的に選び取った人」
である。
「自分には才能がないから」「あの人は優秀だから」と思ってやめていくことは間違っていない。自分の才能のない分野で頑張らないことを選ぶことは正しい判断だ。
「継続できない人」のことを見下して、辛いのに努力を続けて、結局半年やっても1年やっても4,5年やっても結果が出ない人だっている。
辛いのに自分の才能のないフィールドで努力を続けて、継続しない人に対してマウントする人は、苦しいことや辛いことを頑張るのが好きな性癖を持っていたり、才能のないフィールドなのに力業で何とかできると思い込んでいる、判断力や認識力が鈍い人。
「継続できない」は「やめることを選んだ」のとほぼ同義
例えば、ブログで稼ぐことで言えば、ブログを書くのが継続できない人というのは、稼げるか稼げないかわからないなかでやる気の出ないことやあまり楽しみながらやれないことをするより、お金を稼ぐためにライスワークやライクワークなどの労働をして、その他のプライベートの時間で自分の好きなことをすることを自然に選び取った人。
ブログを頑張ってブログでお金を稼ぐより、生活のための労働をして、労働時間以外に自分の好きなことをするほうが、自分が快適に日々を過ごせると体感的に判断した人。
まぁ、なかには、もう少しやれば稼げるようになるだろうに、自分の才能を低く見積もりすぎてやめてしまう人もいるだろう。
それでも、もう少しやればできるであろう人のことをもったいないなと、自分の心の中だけで思うのは構わないが、「そういう人はもったいない、続けていればよかったのに」と、その人がやめてしまったことを非難したり、こういう人を例に挙げて「みなさんは結果が出るまで努力を続けましょう」と他の人を諭すことは、たとえ辛い努力をして成功した側の人間であってもしてはいけない。
辛い努力を楽しんでいるなら別にいいけど
辛い努力をして成功した側の人間をあがめて、自分も辛い努力をして苦しくても頑張ることを楽しんで、結局最終的に結果が出なくてもいいならそれでいいけど、継続できない人(継続しないことを体感的に選び取った人)を見下すのは違うし、自分の才能のないフィールドなのに自分にできると思い込んで、継続しているだけで自分は偉いと思って結局成功しないで終わる人たちは、自分を正しく認識できていなかったってわけだ。
辛い努力をして成功した側の人間を尊敬したりその人の言うことを信じるのは勝手だけど、ブロガー界隈は、一時期稼げていたけどもう落ち目なのに、きれいなこと言って、でもやってることは汚くて、情弱の初心者ブロガーから情報商材やサロンでお金を搾取している人とかいっぱいいるからね。
「1か月も継続できずにやめていくやつがほとんど。継続できているだけであなたは偉い」という褒め言葉に乗せられて辛い努力を続けて、買う必要もないものを買ったり、大量の時間を費やした挙句、自分の目標や目的を達成できなくて、辛くなったり、時間を無駄にしたと思ったり、自分を褒めてやる気にさせた人を恨んだりといったことが起こらないことを祈るばかりである。
対立すべきはそこじゃない
そもそも、対立すべきはそこじゃなくね?と思うのである。
何かを始めた人の中で継続する人とそうじゃない人がいて、継続しようがやめようがどちらでもいいと思うし、何かを始めるか迷ったけど、やらないと決断した人たちもいていいと思う。
そもそも「何かを始めた」または「始めようか考えた」という時点でその人たちは同志なのである。
もし、敵にするんだったら、
「何か始めた人や、実現するかしないかわからない目標とか夢とかを目指して取り組んでいる人を笑ったりバカにしたりしてくる人」
なのではないだろうか。
高橋優さんの「パイオニア」という曲の歌詞にこういうフレーズがある。
何か始めたけど継続できなかった人・しなかった人を見下すんだったらこっちの人たちを見下した方がいいんじゃね?と思う。
可能なら、こういう人たちとは関わるのをやめるのが一番だと思うけど。
まぁ、辛い努力をしていてもそれを楽しんでいるんだったらそれでいいと思います。
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