人生は灯台だ
忙しすぎるのも考えものだが、やることがなさすぎるのもこれまた体には毒らしい。
先週に比べ、仕事の量は8分の1程度まで減少した。
時間に追われ、複数タスクを同時並行で展開していたころが嘘のようだ。
一つのタスクに時間を充分かけられる。
たとえば自分の文章を添削する場合。
勢いのまま書き進めていた頃には分からなかった自分の文章の稚拙さに気づくことが比較的容易にできる。
ゆとりがあるからこその気付き。
慌ただしければ視野の範疇外にほおくり投げるであろう重箱の隅をも気にすることができる。
ただ、心にぽっかり穴が開いているのは気のせいか……
忙しさに慣れた私の体は、忙しくない今の状況に戸惑っているようだ。
さながら、高速から降りたばかりの運転手だ。
直前の自分の状況とのギャップが戸惑わせ、そして精神をじわりとむしばむ。
忙しさも悪くないよ………
心の悪魔が囁いてくる。
今日の勤務はそんな葛藤と戦い続けるものとなった。
忙しくなくていいのだ、むしろ望んでいたことじゃないか。
けれど、体は言うことを聞かない。
すぐに高速道路に戻ろうとする。
人間とはかくも難儀な創りをしているものだ。
また新年度になれば嫌が応にも高速道路にフルスロットルで投げ込まれる。
戸惑いを覚えている「今日の自分」をまた懐かしがる時が来るはずだ。
思うに、「灯台下暗し」とは人の人生を表しているようだ。
どんな場合でも、「今」の状況に気づく繊細さを私たちは兼ね備えていない。
いつだって「未来」の自分が「過去」を振り返って評価する中で初めて、「今日の自分」は形として世に生まれるのだろう。
だとすると、このnoteを書いている「今の自分」は実体がないことになる。
どこに分類されるのだろう……「私」とはいったい何なのだ…もはや禅問答だ。
ただ、答えを出さなくても良い問いなんてたくさんあるから気にしないでもよいのだろう。
答えが出ないから考えようがある。
答えが出ないからこそ「気付き」は生まれる。
そして答えの出ない問いが一番面白い。
人生は灯台だ。待ち受ける未来を照らしつつ、この不安定で気持ちの悪い「今」を、せめて楽しみながら生きることにしよう。
今の私が経験している、であろう気持ち悪さは今後二度と味わえないのだから。