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四月馬鹿が止まらない

4月1日は嘘をついて良い日とされるが、そのせいで割りを被る層も少なからずいるのではなかろうか。

例えば、4月1日に入籍を発表する芸能人。本当のようで、嘘の可能性もある当落線上の話題。

自分が推している芸能人の名前がTwitterのトレンドに上がった日には、心の中はプチ騒動で目の前のものが手につかなくなること受けあいだ。それこそ、自分が嘘をつくことすら忘れてしまうほどに。

嘘か誠かはすぐに分かることだし、少し待っておけば芸能人の方からネタバレをしてくれる。
「4月バカでした!」
「信じちゃったかな??」

信じるよ!好きなんだから!


逆に本当の場合もある。

そのときは疑惑が祝福に変わる。同時に、嘘なんてつかなくても良いのに、もういけずなんだから!という変な母性が発揮されている。結局は心を惑わされていることに変わりはない。疲れちゃう一日であることに変わりはない。


基本的にエイプリルフールでつく嘘は幸せなものが多い。
結婚した、芸名を面白おかしく変えた、あり得ないほどのデカ盛り料理が新商品として登場!など、傷ついた心が確実に修復されるギリギリのレベルを狙わなくてはいけない。


幸せな嘘の方が良い、というのは今の情報に埋め尽くされた時代だからこそというのもある。

情報過多の現代を生きる私たちの中には、人によって一日中体のどこかに携帯電話を持っておかないと気が済まない者も少なくない。

私がそうだ。起きている間はほぼスマホと睨めっこしている。

けれど、受け取った情報を鵜呑みにしないことだけは心がけているつもりだ。ショッキングかつセンセーショナルな内容ほど注意が必要で、特定の存在を叩こうとする人種に踊らされない精神力も、現代を生きる上で必須のアビリティだ。

けれど、さすがに情報量が多すぎる。目まぐるしく変わる日本の話題、世界から舞い込んでくるニュース、知人同士での会話、テレビラジオ新聞インターネット。入り口は一つの小さいグラウンドに、地球人全員が一斉に入ってこようとする時代だ。

これでは、どれだけ情報リテラシーに富んだ人でも惑い惑わされ、そして偽りの果実に舌鼓を打ってしまうだろう。


もし、ある人がエイプリルフールに嘘をついてみる。
まずいことに好感度の低い人で、普段でさえ一挙手一行動を監視され、そして叩かれ炎上している。どれほどささいな嘘をついたとしても、世間からの評価は辛辣だろう。

「何言ってんの?」
「しょうもない嘘つくなんて最低」
「本当だとしても面白くない、止めろよ」


もちろん、この人もどこかでネタバレをするだろう。

「わかったから、もう呟かないで」
「こんな嘘、私ならつけない。恥ずかしすぎて」
「嘘をつくなんて不謹慎だ」


注意すべきなのは、ある人に対するアンチの数は総じてそこまで多くない。
声の大きい一部のバッシング屋が喚いているにすぎない。けれど悪いことに、この「バッシング」という偽りの果実は、今の世の中なら誰でもいつでもどこでも見ることができる。それを見た人たちはもしかしたら、ある人に対する好感度を下げることになるかもしれない。

「この人、噂には聞いてたけどこんな人なんだ」
「なんだか嫌な人」


かくして、ある人のアンチがアンチを生み出す悪循環にはまる。言葉には出さなくても、無意識の中で相手の評価を下げてしまうことが今の時代多い気がする。

あまりにも情報量が多すぎて、一つ一つの内容を精査し、玉石混交の中の「玉」を見つける時間がない。

つまり、今の世は情報リテラシーを効かせるには困難が多いのだ。


エイプリルフールは四月馬鹿。
けれど、その日だけの「馬鹿」にならないような事態を招きかねないことにも注意すべきだと感じる。

けれど、4月1日に嘘をつくことだって立派な文化の一つだ。
こんな時代だからこそ、もし嘘をつく場合は誰に向けて嘘をつくのかを明確にする必要があるだろう。

教養のある人につく嘘、仲間内につく嘘、目の前のことすら処理できない人につく嘘。
相手の理解できるレベルに落とし込んで嘘をつくのもスキルの一つかもしれない。

四月馬鹿は止まらない。多分来年も。だけど、その嘘で不幸な人が増えるのは寂しい。できれば世界全員が平和になってほしい。私のついなる願いだ。
これは嘘じゃないよ。だってもう4月2日だから。

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