焼き鳥論
焼き鳥がとっても好きだ。一番好きな串は豚バラ。
開始2文で発生する矛盾にも慣れたものだ。
「焼き鳥」とはなんなのだろう。
焼いた鳥なのだ。鳥を焼くのだ。鳥といっても鳩や雀ではない。鶏なのだ。
なんで豚なんだよ。「焼鳥」というジャンルの、どこの部門に属しているのだ君は。
豚は飛ばない。羽もない。あるのは立派なお鼻とくるくるの尻尾だ。鶏とは似ても似つかない。
けれど、焼鳥の代表的な品目の割と上位に豚バラは位置しているはず。
鶏皮、豚バラ、つくね、ハツの順ぐらい。
2番目やんけ!!!
まじで異端児。女子校に紛れ込んだプロレスラーくらいの異端児。
目立つのに、その存在に引けを取らない中身。優秀すぎて鶏が凹むレベル。
我らが福岡では鶏皮と豚バラが二大巨頭。
想像して欲しい。焼き鳥屋に入店した私たち。メニュー表を一瞥し、とりあえず串を頼む。必ず、鶏皮と豚バラが先付けだ。この二品だけでお酒が進む。鶏皮!鶏皮!豚バラ!豚バラ!ビール!ビール!ビール!
ああ……最高だ……もう9割方、元は取れている。
ふと、再びメニューをちらり。つくねもいいな。ハツも食べたい。うずらの卵もあるじゃないか。海老も捨てがたい。椎茸、チーズ、玉ねぎも良い。
あれ?鶏どこいった?
結論、焼き鳥は鳥以外も美味いのだ。むしろ、そちらのほうが自己主張は激しいかもしれない。
人は言うだろう。もうそれは焼き鳥ではなく、串焼きなのでは?と。
否、これは焼き鳥なのだ。あくまでも、主役は鶏さんなのだ。
私たちは焼き鳥を食べに来て、そのついでに豚バラとかの周辺の脇役を食べているのだ。
わざわざ豚バラを串に刺して食べることは日常すまい。そんなめんどくさいことしなくても、切り身を買って焼けば済むのだ。
けれど、「豚バラ串」にはそれならではの良さがあるのだ。
少し厚めに切られた肉を串に刺し、店員さんがじっくりと焼いてくれる。じわじわ、じわじわと中まで火が通り、表面から脂が滴り落ちる。
両面満遍なく焼き目をつけ、最高のタイミングで皿に盛り、提供される。
串にかぶりつく。熱さと旨味が口の中で躍動する。噛めば噛むほど味が出て、脳の中心部まで幸せが届く。
なんという美味さ。なんという幸福時間。
焼き鳥を食べに来なければ、この幸せは簡単には味わえないのだ。
同じことはうずらの卵や海老、玉ねぎや椎茸でも言うことができる。
気軽に色々な角度からの幸せをもらえるのは焼き鳥以外に存在しない。
焼き鳥は寛容なのだ。どんなものでも受け入れる。それを許すのは、鶏自体が美味いから。脇役が活躍しても遜色のない主役の存在あってのものだ。
焼き鳥は断じて串焼きではない。
あれは「焼き鳥」なのだ。
そして今日も私たちは焼き鳥屋に向かい、鶏や豚やその他大勢の脇役を食べる。
幸せを分け与えてくれるその存在を愛してやまない、29の夜であった。