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韓国-三角地 戦争記念館と先生

異国の地へ降り立ち、初日のゲストハウスで韓国人オンニ(お姉さん)と知り合った事で、私は日本の事をどれくらい知っているだろうかと考えさせられる場面があった。

日本人としてどれくらい明確な意識を持って生きてきただろうかと二段ベッドの下段で考えていた。

日本と韓国は様々な歴史的背景がある事は現代のメディアでも取り上げられているが、それは過去だけのものではなく現在にも繋がっている。
現代で生きる人間として、もう少し深く自分なりの解釈、自分なりの考えを持っても良いのではないか。
そう思った。

それは「正しい」「間違っている」そういう問題ではない。
自分がどう考えるかだ。

どうしても歴史=学習と考えてしまっていた自分がいたが、過去と切り離して学ぶのもではなく、今、私たちが生きる世界との繋がり、関係性を学ぶ事に意味があると感じる。

世界が繋がっていることを感じるためのものだ。

それぞれの国があれば、それぞれの人がいる。
考え方は様々だ。
同じ親から生まれた兄弟姉妹、親子でさえも考えは違う。
そういうものだ。

目の前にいる人が、どんな考えなのかを知り、私の考えを伝える。
それで良いのではないか。

議論すべきは議論し話し合う。
そういう関係性が好きだ。
相手を尊重して話し合うなら誰も傷つかない。

そんな事を考えながら、今日はソウル駅から地下鉄4号線で2つ目の三角地駅。
そこから徒歩5分、戦争記念館にやってきた。

よく晴れた、暑い夏の日であった。

大きな建物と蝉の声。
暑くて息をするのも少し苦しい。
青々とした夏の匂いがするが、どこか静かで寂しさを感じる。

そっとドアを開けて建物の中に入る。
高い天井にいくつかの声が響いている。

案内板を覗いてみると、日本語ガイドの時間まで少し時間があるようだ。
朝ごはんも食べていないので、敷地内の食堂を探しに出た。

私はガイドツアーがある場合は必ず参加する。
美術館や博物館、歴史的な建造物にはガイドツアーか音声ガイドがほとんどの場合用意されている。それらを利用すれば、自分なりにみて回るよりも一層理解が深まると感じるからだ。
様々な説明や想いを聴いて、自分なりに解釈し想像して楽しむ。
ガイドさんの主観が多少入っていても、それはそれで楽しいものだ。

韓国料理の大衆食堂を見つけた。
真夏に熱々のソルロンタン(牛骨スープ)を注文する。
校外学習なのか、韓国人団体客や家族連れがいてそこそこ賑わっている。

ブブブーブブブー

光るブザーが鳴り、ソルロンタンを受け取る。
皆さん冷麺率が高い中、私の料理が気になるらしい。
正直な視線だ。

キムチと出汁は食べ放題・飲み放題。
韓国は出汁を小鉢やコップで飲む、ようだ。
今、学んだ。
セルフサービスで、完全にウォーターサーバーだと思い込んでいた。
黒い小鉢に注いで飲んでみると、めちゃくちゃ熱く味がした。
舌と脳みそが一気に混乱。

熱い牛骨スープが五臓六腑に染み渡る。
ああ、私の内臓が喜んでいる。
身体を温める事はいいことだ。温活。

時間も近づき、入口のロビーに集まる。
参加者は、日本人親子とおじ様、私の4人のようだ。
そして日本語ガイドとして、笑顔の優しい年配の男性の先生がいらっしゃった。

1階から順に歴史の流れに沿って進んでいく。
この戦争記念館は、韓国の戦争史を扱っているが全体の2/3は「朝鮮戦争(1950〜1953年)」に関する展示となっている。
実際に残された資料や模型、映像を用いて当時の様子を再現しているのだが、いわゆる「博物館」として、歴史的資料の展示品が並べられているだけの、重苦しいものではなく、光と影を利用しながら、色彩もポップで馴染みやすいものとなっている。
まるで、現代アートのような空間表現である。

日本語ガイドの先生は、とても客観的に歴史の流れを教えて下さった。
当時のアメリカ、中国、旧ソ連の動きと思惑、軍事的な作戦。
朝鮮半島の状況と国民の動き。
淡々としながらも、現実的にそれぞれの立場についてお話して下さるので引き込まれた。

国連軍、各国の軍部が大掛かりな作戦を考える。
複数の国が関わる戦争。
思惑が渦巻いている。
それにより追い詰められる国民。
国連軍による奇襲攻撃「仁川上陸作戦」
形勢逆転となるまでの流れがよくわかる。

この戦争により、日本経済が動いたのも事実である。
戦争とはなんなのか。

館内を見渡してみると、韓国人親子が多くみられる。
夏休みだからか、常時なのかは分からないが、ご両親が子どもに一生懸命説明をしている。
特別感はなく、さも当然のように学んでいる。
小学校低学年くらいの小さな子ども達も慣れた様子でご両親に質問をしている。
これが一家族の話ではない、どの家族も親から子へ歴史の流れを説明しながら自然に進んでいく。
私の育った家庭環境のせいなのか、学校の行事以外で博物館に行ったことなんてなかった。
ましてや、両親から日本の歴史を教わった事もない。
私にとってこの光景は新鮮かつ考えさせられるものだった。
果たして私は日本の歴史を子に教えれるだけの事を知っているのだろうか。

展示の最後には、光復節を象徴した大韓民国の当時使用された本物の国旗が飾られていた。
日本では8月15日は終戦記念日。韓国では日本からの植民地支配が終わったことを意味し「光復節」と呼ばれている。立場が異なれば、その日の意味が異なる。
当たり前のはずなのに、恥ずかしながら今まで知らなかったし気づけなかった。

この部分に関しては、様々な意見がある。
しかし、事実は事実と私は受け止める。
韓国ではその様に語られていることを。

とても広い建物と多くの展示物があるため、ガイドは1階の展示部分のみで終了。
見応えと発見が多く、さらに歴史を身近に感じさせてくれるディスプレイ。
淡々としながらも安定した解説に、充実感を得た。
それと共に、自分自身の無知さも確認できた。

帰ろうとしていたが、先生がコーヒーでも飲みましょうかと誘って下さった。
2階の展示物についてもお話しながら周り、館内にあるコーヒーショップに二人で腰をおろした。
南山タワーが窓一面に映る、シンプルだがゆったりとした空間だった。

先生はお仕事を引退されてから、ソウル特別市の「文化観光解説士」としてボランティア活動していると教えてくださった。
戦争記念館だけではなく、様々な施設で案内されているそうだ。
現役時代は日本でもお仕事をされていたので、日本語ガイドを担当されている。

お互いの仕事、韓国の歴史、宗教についてなど個人的なお話までさせていただいた。

日本にいると自分の想いや考えを話せる機会は少ない。
これは個人的にとても残念だと思う。
しかし、様々なルーツの方々と交流すると、会話のほとんどがココである。

あなたは何が好きなの?
あなたはどうしてそれが好きなの?
あなたはどう考えているの?
あなたは何故そう考えるの?
あなたはこれから何をするつもりなの?

これによりキャッチボールが始まる。
そんな会話が好きだ。
自分の内面に持っていることを話し、相手の考えを素直に受け取る。
単純に楽しい。
その人をもっと知りたくなる。
自分の想いを伝えている時、人々はとても美しいと思う。

今日はこれでお別れするが、またお会いすることを約束した。
先生とはこのコロナ禍でも連絡を取り合いお互いの健康を確認している。
やり取りは全て韓国語のため、辞書を引きながら失礼のない文を送るように心がけている。
早く韓国で先生と様々な歴史を学べる日がくる事を願っています。

どうぞ先生、お元気でいてください。


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