「コロナ禍の生活」と「大学生活」
コロナ禍の大学生活。私は、コロナ禍を感じたことはない。
より正確には、「コロナ禍の大学生活」というものを感じることはできなかった。
私の過ごした大学生活
2021年4月、私は上京して大学に入学した。
日本で最初の緊急事態宣言が出された2020年4月、当時の私は北海道の高校3年生だった。
コロナ禍で大学生活を送るのは、いわゆる新しい生活様式が定着した後となる。
コロナ禍の大学生活。
入学式は分散、イベントは中止か小規模で、授業はオンラインあるいはZoomを併用したハイブリッド式。
大学受験であれほど使ったシャーペンは、ほとんど手に取っていない。
1年の秋には、教育系のNPO法人に入った。動機は、関心のあった教育についていろんな人と語ってみたかったという、ごく単純なものだ。
学生が主体のその団体では「教育×キャリア」のイベント企画に参加した。ミーティングはおろか、イベントも当然オンライン。対面で会うのは、特別なことだった。
しかし、オンラインのミーティングも、マスク姿の人々も、閑静なキャンパスも、私にとって異常なものではなかった。
それが、私が想像できる大学生活そのものだったからだ。
コロナ禍の変化
日記を読んで
私は、高2の正月から、毎日欠かさず日記をつけている。そう、振り返る限りでは欠かしていない。忘れても次の日に書くから。
閑話休題、「#いまコロナ禍の大学生は語る」の内容を考えるにあたって、日記を振り返った。
そこにあったのは、やはりただのありふれた日常だった。
コロナ禍を過ごしたはずの私の日記に、その影はない。
当時の視点と今の視点
一つ、思ったことがある。
変化は早い。
歳をとると早く感じるとかいう類の話ではなく。たしかに白髪は日に日に増えているが。
それでも、変化の渦中にいる人々がそれに気づくのは難しいのではないだろうか。
この例が適切かはわからないが、第一次世界大戦は、人々の予想を裏切って長期化したと、しばしば言われる。
100年以上の時が経ったいま、当時を俯瞰視すれば、「そんなはずはない」と言うのは簡単だ。
しかし、その時代を生きた人々がメタな視点で現状を認識するのは極めて難しい。
変化は早くも、少しずつ
きっと、変化は少しずつなのだ。
それはさながら、階段を一段ずつ上るように。
折にふれてコロナ禍を振り返ると、社会は一気に変わったと感じる。おそらく、それは正しい。私を取り巻く状況は日に日に移り変わってた。
それでも、その都度、私は変動に適応していた。いつの間にか、マスクもオンラインも、当たり前の一つに組み込まれていった。
そうして、普通の生活も変化していった。その変化を当時、私はどれだけ自覚していただろう。
いつしか、階段を上ることが当たり前になっていた。ふと振り返ると、もといた場所は見えなくなっている。
気づけば、「コロナ禍の生活」「新しい生活様式」は、普通の生活になっていた。
コロナ禍の大学生
私はたしかに「コロナ禍の大学生」であった。それは間違いない。
とはいえ、当時の私はどこまでコロナ禍と大学生活を重ね合わせていたのだろう。
私にとって普通の大学生活は、コロナ禍の大学生活にほかならなかった。
きっと、大学に入学してから私が過ごしたのは、「コロナ禍の生活」よりも「大学生活」だったのだ。
#いまコロナ禍の大学生は語る
この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
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また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
→イベントは終了しました。当日の様子はこちらから。