ロシアと私
私はロシア史を専門にしようとしている。
拒否感を示す人から、理解してくる人、面白いと言ってくれる人、冗談混じりでいじってくる人。反応は様々だ。当然ながら、理由を聞かれることが多い。 なぜそんなめんどくさそうなことをするのかと。
ここで、自分のためにも整理してみたい。
なぜ、私はロシアに関心があるのか。
なぜ、ロシア史をやるのか。
簡単な分類とある程度の時系列でもってお伝えしたい。
簡単にまとめると、もともとロシアへの関心はあった。それがウクライナへの侵攻で高まり、学んでいくうちに戻れなくなったというわけだ。
なお、note執筆の動機の半分は研究からの逃避である。
I. 原体験・性格
道産子
第一に、私は北海道出身である。ゆえに、ないちの人たちに比べてシンプルに近い。
同様に、アイヌについても学ぶ機会が多い。
大学に入りたての頃、academic writingの題材としてもなぜかよくアイヌについて書いていた。アイヌを語るにロシアの存在はとても大きいため、そこでも触れる機会があった。『ゴールデンカムイ』を読んだことのある方なら想像できるだろう。
逆張り
第二に、私は純粋なる逆張り気質である。他のnoteをお読みいただいた方ならなんとなくお分かりだったかもしれない。
1年次の終わり、他の外国語を学ぼうと思った(ICUでは第二外国語は必修ではない)。英語開講の授業も多いし、話す機会もある。だからこそ、英語以外の価値観に触れておきたいという気持ちが強くあった。もっと言えば、欧米的なものとは違った言語を学びたかった。
残ったのは、アラビア語とロシア語である。アラビア語はDuolingoの発音で挫折しかけたこと、上述の「近さ」があったことから、なんとなくロシア語を選んだ。
歴史学の先生方に「歴史学と言語運用能力」みたいな質問をして、言語学習は大変だからアイデンティティと関わりがあると持続しやすいのではとのアドバイスを頂いたことにも背中を押された。
II. 戦争をきっかけとして
ロシア・ウクライナ戦争の勃発
ロシア語を選んだのは2022年2月24日。午前中の授業で歴史学の先生に話を聞き、「よし、ロシア語にしよう」となんとなく決めた。
次の日、新聞の見出しでロシアがウクライナに侵攻したことを知った。その頃、ネットニュースはほとんど見ず、大学の図書館で全国紙の朝刊を読み比べていたからだ。
25日の朝、黒字に白抜きの紙面が並んでいた衝撃は忘れられない。その日は新聞を貪り読み、YouTubeで解説動画を漁った。その後、何日間もロシアが新聞のトップを飾り、一面のコラム欄で一斉に非難されていたは強く印象に残っている。
勝手に、運命のような、使命感のようなものを感じた。
2月26日は、働いていた塾の中2のクラスでロシアとウクライナに関する講義をしてしまった。我ながら粗すぎる授業だったが、生徒たちがしっかり聞いて質問してくれたことは嬉しかった。日記に嬉しかったと書いてあった。
III. 社会的・歴史的関心
二項対立と単純化
誤解のないように先に述べると、今回の戦争の責任は疑いようもなくロシアにあると思っている。
しかし、一方的に非難するだけでいいのか。一面的に「ロシアは敵、ウクライナは素晴らしい」と言っていいのか。腑に落ちなかった。
多くのニュースや新聞はロシアの残酷さを語った。ウクライナの勇敢さを語った。一方で、ロシアの論理を説明しようとするものもあった。私の気を引いたのは後者である。
「なぜか」という問いは面白い。
しかし、多くの声はやはり「ロシアは悪」だった。そして、ロシア人やロシア語にも矛先が向けられた。ロシア語が看板から消去されたことは記憶に新しい(【朝日新聞】恵比寿駅のロシア語案内、JRが紙で覆い隠す 識者「消極的ヘイト」)。
YouTubeのコメント欄には、心無い声が書き込まれていた。他国のメディアでも同様である。イギリスのあるメディアのコメント欄ではロシア人へのヘイトが、ロシア寄りのインドのメディアではロシアを称揚するコメントが目立った。
まずは、The SUNによる報道。ウクライナの無人機がロシアの建物に突っ込んだ時のものだ。
次は、Hindustan Timesというインド3番目くらいに大きい新聞。
民主主義
私は「民主主義」っていうものにもそれなりの関心がある。
いくつか本を読んで、民主主義の核は「当事者意識」や「参加と責任」あたりだと思っている(宇野重規『民主主義とは何か』ほか)。
そんな折、ロシアに関する報道で、面白いものを見つけた。
レポートは言う。
後述するが、歴史的経緯からも民主主義っていうのは根付かないなと思う。そもそも民主主義をするべきなのかもわからない。
蛇足ながら、この動画のコメントも、なかなかである。Notionにメモがあったのでそのまま転記する。
これが日本で起きた時に、外国から同じようなことを言われたらどう思うんだろうか。おれは大声で戦争反対を叫べるのだろうか。たぶんできない。もっと楽しいことを考えたいって思うのは、弱さかもしれないけど自然な動きなんじゃないだろうか。
どっちが能天気でお幸せなんだか。
あ、だいぶカチンときてますねこのコメントに。
YouTubeコメントは極端な意見の典型だから過度に気にするのは御法度、わかってはいるが、ついつい見てしまう。
「歩んできた歴史が違う」
特に専門家の話を聞くと、「ロシアは西洋や日本とはまったく違った価値観を持っている」という話がよく出てくる。実際、そうだと思う。そもそも西側で一括りにすることもできないが、特にロシアは興味深い歴史を辿っている。
この辺りは詳しく述べようとすると梅雨前線が去ってしまうので、省略する。
興味がある人は、ぜひ『講義 ウクライナの歴史』を読んでほしい。第一線の学者たちがそれぞれの専門領域を平易な言葉で述べている。講義調なのでとても読みやすく、内容は本当に面白い。
代わりに、授業のコメントシートでも載せておこう。はい、手抜きです。
自分自身の話をずっとしていることもあり、ちょうど1年ほど前の授業で書いたものを手を加えずに載せるので、飛ばしてもらって構いません。
「プーチンがいなかったとして、この戦争は止められるのか」
ロシア・ウクライナ戦争は当初から興味を持ち、勉強をしました。勉強するほど、解説を聞くほど、この戦争に終わりは来るのかと気が遠くなります。
現在の領域を抑えるためには強権が必要で、歴史的にも専制的・カリスマ的なリーダーを求める部分があると思います。分権化を進めようとしたソ連崩壊後、歴史的に民主主義を自力で獲得しておらず、大衆が民主主義を知らないことをいいことに、地方のマフィア的な人が権力を強め混乱・腐敗が進んだと、昨年の国際関係の授業で聞きました。さらに、領土を維持するだけでなく国家の生存圏として周辺国を取り込まねばならないとなると、既存の国境と永い平和を両立させることは極めて難しい気がしてきます。
ウクライナへの侵攻が不合理だった言われるように、ルーシは一体であるというロシアの歴史観が背後にあるとすれば、たとえこの戦争が一時的に終わったとしても、その場凌ぎにしかならないのでは、と思わざるをえません。近代にロシア国民としてまとまることに失敗し、共産主義イデオロギーは崩壊し、大祖国戦争での記憶も無理があるなら、次は何でまとまることができるのでしょうか。それが反欧米になってしまえば、解決は遥か遠くになってしまいそうです。二項対立になってしまえば、意図の有無は関係なしに中国がロシアとくっついているイメージが強くなっている今、客観的な第三者を立てることは難しいように映ります。
ともに正しさを作り上げる、法の支配が必要だとは思いますが、その法が本来的に機能していない現状を見るに、それも困難なように思えます。少々外れますが、日本は法の支配と言えるのか、とふと思いました。例えばロックダウンの件や「自粛」を考えると、ルールというより空気、合意形成によって社会が動いているように見えます。
ロシアに戻ると、可能性は世代交代か、完全な体制の転換でしょうか。体制の転換といっても、人々の考え方はすぐには変わらないはずですが、日本はGHQの統治下で大きく転換しました。民主主義も、ある意味では民衆が自分たちで獲得したわけではありません。だから今うまくいっていないと言えるかもしれませんが、戦前のように戻る様子ではありません。この違いがなんだったのかと気になりました。
たしかに、歩んできた歴史はまったく異なる。
しかし、それは「分かり合えない」ことを決定づけるのだろうか。私たちは分かり合えないのだろうか。そんな、途方もなく大きな問いがある。
戦争の記憶
「記憶」というテーマも、もともと興味があった。日本で言えば、いわゆる歴史認識問題(the “historical problems”)である。教科書の記述、首相の談話、それに伴う安全保障や核の問題など、好んで記事を読んでいた。
ロシア、並びに旧ソ連圏諸国においても同様に、歴史と政治という問題は根深い。原体験は高校生のときに読んだ『独ソ戦』で第二次世界大戦最大規模の激戦を知り、ロシアに興味を持ってからは、逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』という小説に心を奪われた。
ロシアでいろんな歴史博物館にも行ったが、レニングラード包囲と防衛博物館が最も印象的だった。レニングラード包囲は、独ソ戦における最大の戦地のひとつで、強い記憶に刻まれている。(ソ連がおよそ2700万人を失った独ソ戦は、ロシアで「大祖国戦争」と呼ばれている。)
その分、最終的なナチ・ドイツへの勝利は大きい。戦勝記念日である5/9は大々的にパレードが行われる。この博物館には、子どもたちが描いた戦勝にまつわる絵が飾られていた。
果たして、日本で「戦争」を題材にしたらどんな絵になるだろうか。
IV. 歴史学徒として
「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きぬことを知らぬ対話」というのは、E.H.カーの言葉だ(清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書、1962年)。
歴史とは、事実の羅列ではなく、歴史家の解釈である。事実は「みずから語らない」のであり、ゆえに「純粋な形態では存在しえない」のだ。
解釈となると、歴史家の視点というものが決定的にものをいう。同じような視点から見た歴史は、似たり寄ったりのものになり、弱者の歴史は顧みられない。
視点、立場、利害、属性、コミュニティ、様々な要素に歴史は左右される。
だからこそ、外国人が歴史学をやる意味はあるのだと、私は思っている。
だから、今こそロシアなんだと、ロシアでもいいんだと、自分に言い聞かせている。