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特に記述がない限り、語釈はすべて「新明解国語辞典 第八版」より。
余計
私は、文章においても喋りにおいても余計なことが多い。ゼミの仲間の言葉を借りれば、「言葉の体脂肪率が高い」。
まあ他のnoteを読んでいただければお分かりになるだろう。
体脂肪率を限りなくゼロに近づけた精緻な文を考えるのも好きだけど、ジャンキーなものを取り入れまくるのも好きだ。
ダイエットでいうところのリバウンドみたいなものかもしれない。やっぱりポテチがいちばんうまい。堅揚げ派。
余談
いま、教育実習の準備をしている。授業構成についてはもちろんめちゃくちゃ考えるのだけど、余談へのこだわりのほうが強い。むしろ本筋。
願いは、余談だとしているところが本題になってくれること。受験のための授業では隅に追いやられてしまうようなところ。
プレゼンは、いっそうその傾向が強い。余談が楽しいからプレゼンが好きだと言っても、まったく言い過ぎではない。
一見、無関係なものが実はつながっている、それに何割かの人が気づいてくれる。それが最も大きな快感になる。たいていは余談に引っ張られてプレゼンが一貫性をなくす。自戒せねば。
余裕
余裕のない人はかっこ悪い、と思ってしまう。
電車に駆け込む人を見ると、もう少し早く出発すればいいのに、と思う。自分でも急がざるをえない場面があると、いかにも急いでいないですよという顔をしながら、いつもこんな歩きですよという雰囲気を出しながら、大股の早足で歩く。そんな私も、たぶん同類だ。
受験期も似たような考えだった。たぶん鼻につくガキだったと思う。今もか。
たとえインフルエンザにかかろうとも余裕を持って合格できるように、と考えてた。実際、不整脈の発作が出たけどなんとかなった。余裕だった。
余分
余分は、切り捨てられることが多い。不要だからだ。例えば、ミーティング中の私語や後の雑談。
オンラインミーティングだと、これがない。等距離で、平等で、均等なスペースがある。余分なスペースはない。偏りもない。
でも、偏りこそがアイデアを生むんじゃないかと思ったりもする。ラーメンの脂が均等でないのと同じように、ではないか。
余暇
余暇も生活維持に必要なんではないだろうかとケチをつけたくなる。でも、たぶん自分が辞書を編纂していてこんな読者がいたら言いたくなるだろう、「うるせえ」と。
「哲学は余暇によって生まれた」としばしばいわれる。要は暇じゃないとそんなこと考えないのだ。私も暇じゃないとこんな非生産的なnoteなんて書いてない。でも、それが楽しい。
余弦定理
忘れた。
余地
考える余地があるということは素晴らしいことだと思う。考える余地がないということは、他に選択肢がないということ。他に選択肢がないということは、それをするしかないということ。
「こうしなければいけない」という思い込みは、判断を鈍らせる。焦りは、本質を見失わせる。
だからいつも余裕ぶっている、と言ってもいい。卵が先か鶏が先かはわからない。
剰余
割り切れないもの、余りは切って捨てられるのが常だ。そもそもデジタルという概念がそれだろう。連続性がない。
割り切れるはずだという幻想が、実際に割り切れない現実とのギャップを生みつつあるように感じる。
幸か不幸か、近代ヨーロッパ的な人間観は「何もかもわかりえる」という妄想に取り憑かれてしまったと思う。神が担保していた、「わかりえない何か」は、存在することを許されない。
余剰
わかりやすい話をすることは重要だ。言語化がうまいほど、頭が良く見える。
わかりやすくする。ということは、単純化するということだ。
北海道を四角形で表現することを想像してもらえばよい。枠からはみ出るもの、余剰分は切って捨てられる。
わかりやすくするためには、多少の正確性を犠牲にしなければならない。
飛躍すれば、わかりやすくするといことは、間違えるということだといえる。
だから、わかりやすい構造には注意しなければいけないと思う。すんごく当たり前のこと。
まったくの蛇足ながら、私は嘲りや憎しみを含んだ「〇〇人は」という言葉遣いが嫌いだ。
「余」解字
どうやら自由にのびのびしているらしい。なので、あんまり推敲を重ねずのびのびしてみたつもりだ。
余滴
さいごに、ということである。
最後の最後は、勢い余ってだいたい余計なことを書いてしまう。
書き終わった筆から溢れる墨が、台無しにしがちだ。
どうぞみなさんも、最後までよそ見をせず。
かといって、あまり根を詰めすぎると潰れてしまうので、適度に余白を持ちながら。
余計なお世話でした。失礼。
どうぞご容赦を。
余裕ある態度で受け取っていただけたら、身に余る幸福でございます。