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ソクラテス ~鳩の世界史教室~
🕊「こんにちは、鳩の世界史教室へようこそ。
世界史のセオリーを紐解きながら、偉人にせまります。聞き手はイルカさんです。どうぞよろしく」
🐬「こちらこそよろしくおねがいします。
世界史が好きで楽しく学んではいるのだけど、なんとなく釈然としないことが多いです」
🕊「おぉ!どんなところがすっきりしないんですか?」
🐬「教科書とか参考書を読むと、書いてあることは解るんです。でも、”結局何がいいたいんだろう?”ってそもそものところがはっきりしないんですよね」
🕊「ふむふむ」
🐬「例えばソクラテス。解説を読んだだけでは納得がいかなかったので、倫理の教科書も読んでみました」
🕊「すごい積極性…!
確かにソクラテスは、世界史よりむしろ倫理の方が詳しく取りあげてますよね」
🐬「そう、彼の記述が2ページくらいあったんです。でも今度は逆にアレテーとか主知主義とか小難しい用語が出てきて、それであきらめちゃったというか…」
🕊「なるほど、なるほど。イルカさん、それならソクラテスを歴史の外堀を埋めながら考えるといいですよ!」
1,仲が悪いから同盟する ~古代ギリシアのキホン~
🕊「古代ギリシア史といわれて何を思い浮かべますか?」
🐬「そうだなぁ、パルテノン神殿のアテネってイメージです」
🕊「うんうん。ギリシアといったら、なんといってもアテネだ」
🐬「世界史的にいうと、都市国家ポリスですか。
アテネは数あるポリスのひとつなんですよね」
🕊「よく学んでますね。アテネやスパルタをはじめ、ギリシアには1000を超えるポリスが分立していたんですよ」
🐬「なぜ統一国家が生まれなかったのですか?」
🕊「いい質問。バルカン半島南部って穀物の栽培にはあまり適していないんですよね。山が多いし、川の流れも速い。広大な領域国家をつくるだけの生産力がないんです。ギリシア人は小さな都市国家に分かれ、傾斜地にブドウとかオリーブなどなど、主に果樹類を育てて生計を立てていました」
🐬「それで生きてはいけないですよね」
🕊「まあ食事が毎回ブドウとオリーブだったら困りますよね。そこで、ギリシア人はブドウをワインに、オリーブをオイルに加工してから、穀物生産地帯に持って行って交換したんです」
🐬「だから地中海沿岸にギリシアの植民都市があるんですね。交易の拠点とというワケだ」
🕊「そうそう。ナポリやマルセイユなどが古代ギリシア起源の街として有名ですね」
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🐬「とはいえ、貿易だけだとなかなか苦しいような気がします。何かほかに食い扶持が必要ですね」
🕊「イルカさんならどうしますか?」
🐬「うーん、隣のポリスから奪うかな」
🕊「ワイルド!!!
でもじつはそうなんですよね。不足する食料は奪って補完が世界史のキホンです。ということで、ギリシアのポリスは互いに抗争しました」
🐬「でも先生、ギリシア人は自らをヘレネスと呼んで、同朋意識を持っていたんですよね。オリンポス12神でしたっけ、同じ神話を信じているって習いました。まるで仲が悪いようには見えないんだけれど」
🕊「むしろ仲が悪いから連帯するんですよ。ずっと喧嘩してたらギリシア社会が衰退するじゃないですか。安全保障が国家体制維持の第一歩なんです。このためギリシア人たちはゆるーく連合して、なるべく争わないような仕組みができていきました」
🐬「なるほど、よくわかりました。
それで、この話はいったいソクラテスと何の関係があるのですか?」
🕊「ストレート!!!
今は仕込みの段階なんです! イルカさん、これまでの話を要約すると、どうなりますか?」
🐬「”ギリシアのポリスは仲が悪い”」
🕊「そのとおり!」
2,危険な民主政 ~世界史の原理を探る~
🐬「古代ギリシア史ってだいたいアテネの歴史を学ぶじゃないですか。アテネがポリスのひとつってことを意識しておかないと、ギリシア=アテネだと勘違いしちゃいそうですね」
🕊「そうなんです。口を酸っぱくして言っていても、わりとみんな間違えるんですよ」
🐬「アテネは民主政だと習ったのですが、あってますか?」
🕊「はい、そのとおりです。もともと共和政だったのだけど、平民が貴族から政治の権限を奪っていって、それで民主政になりました」
🐬「身分闘争ってやつですね」
🕊「平民がどのようにして参政権を得たのか、その流れは受験世界史で頻出なんだけど、ここではあまり気にしないでおきましょう。アテネが民主政を確立した前5世紀、っていうと前450年くらいなんだけど、このころにはほかのポリスも民主政をとるところが多くなっていたんです」
🐬「アテネが典型例だったので、とりあげられることが多いのかな」
🕊「そうですね、一番大きなポリスでしたから。
あと、ペルシア戦争でアテネが活躍したことも重要です。ペルシア戦争って、ギリシアのポリス社会というヨーロッパ的要素が、アジアの大国アケメネス朝ペルシアを討ち倒すという一大イベントでした。”ギリシアの民主政が正義なのだ!”ってね」
🐬「わかりやすい構図ですね」
🕊「この戦争にギリシアは勝利するんだけど、その後アテネは最盛期を迎えるんです。イルカさん、アテネ民主政の特徴は何ですか?」
🐬「直接民主政です。学んでいて思ったのだけど、現代の民主政とはぜんぜん、まったく、なんにも違いますよね、コレ」
🕊「うーん、ずいぶん異なるものですね。
当時の民主政って、アゴラという広場に市民が集まり、全員で評決をとるワケです。裁判は陪審員制だし、公職も抽選でした。民主政の深度がいまとは比べ物にならないですよね」
🐬「というかいまの日本の間接民主政って、実際には私たちの意見が政治にはほとんど反映されてないじゃないですか。民主主義の国っていっていいんですか? 限りなく共和政独裁に近いような気がします」
🕊「しぃーっ…!
まあ当時のギリシア世界って奴隷制に立脚しているし、アテネでは女性や在留外国人には参政権がなかったから、いまのシステムと同じ視点で語ることは難しいかなと思います。
とはいえ王政でも共和政でもない、民主政を自前で築きあげたところに世界史的な意義がありました」
🐬「先生、前からずっと思っていたことなんですが、民主政ってわりと危険ですよね」
🕊「おぉ! というと?」
🐬「例えばクラス会で学園祭の出しものを決めるとするじゃないですか」
🕊「うんうん」
🐬「いくつかの案が出たとしても、プレゼンがうまい生徒や、それまでに支持を集めている人のアイデアが採用されがちなんですよね。みんなそっちに流れちゃうというか」
🕊「ありそうな話ですよね」
🐬「それって民主政の欠陥…とまではいかないんだけど、場合によっては個人独裁になりうる脆さがあるんじゃないかと」
🕊「民衆が扇動されてしまう、ってことね」
🐬「そもそも平民は政治のプロではないですよね。そんな彼らに意思決定を全振りしてしまうと、重要な局面で国益を損なう可能性があるんじゃないでしょうか」
🕊「切れ味するどい…
でもイルカさんのいうとおり、じつはアテネも似たような経緯で衰退していくんです」
3,ソクラテスって何したの? ~時代の裏側を垣間見る~
🕊「ソクラテスの活躍した当時、前5世紀後半のギリシア世界は内戦が起こって混乱状態でした。
ペルシア戦争でギリシアのポリスは一時的に団結するんだけど、戦争に勝利するとアテネが諸ポリスを束ねる盟主のようになっちゃって、スパルタなど他のポリスの反発を招いたんです」
🐬「ポリス同士は仲が悪いですもんね」
🕊「そこにきてアテネは民主政の最盛期を迎えました。
平民の権限があがったのはいいんだけど、自分の意思を通すために、相手を論破する方法とか、いかにうまくスピーチを行うかが重要になってゆきます。弁論術の教師をソフィストっていうんだけど、彼らがもてはやされて、やがて詭弁を用いて民衆を扇動し、アテネは衆愚政治におちいりました」
🐬「民主政の弊害にみえるんですが」
🕊「ソフィストは詭弁家といわれたりするんだけど、彼らのおかげでアテネが衆愚化したかどうかは、一度立ち止まって考える必要があります。
代表的なソフィストのプロタゴラスは”人間は万物の尺度”と主張し、相対主義をとりました。中立的な視点も大切です。彼らの態度を詭弁だと断じて衆愚政の背景としたのは、後世におこった真理を追究する哲学の流れが関わっているのです」
🐬「なるほど、多面的なものの見方が必要ですね。
とはいえ5世紀後半にはアテネが衰退したのは事実ですよね」
🕊「それはそうなんです。アテネはギリシアの内戦であるペロポネソス戦争に敗北して、その堕落が明らかになりました。
国難に直面したアテネに現れたのがソクラテスです」
🐬「ようやく登場ですね」
🕊「ここから飛ばしていきますよ!
ソクラテスは前470年頃の生まれで、父は石大工、母は助産婦だったといわれています。まあ前半生のことはよくわかっていません。
若いころからどこか神がかったところがあって、精霊の声をよく聞いていたらしいです」
🐬「わお、スピリチュアル」
🕊「アテネの賢者を訪ね歩いてみたころ、”無知の知”について自分より勝るものはいないと確信しました」
🐬「”無知の知”っていうのは、”自分がいかに知っていないかを認識すること”ですよね」
🕊「そうそう。無知のやつが、何かを知った!ではないです。
無知の自覚を得た人は強いですよ。ソクラテスは”問答法”により街頭でアテネの人々と論議し、思想を吟味して真理を追究しようとしました」
🐬「真理っていうのは、哲学のファイナル到達点、みたいな理解で問題ないでしょうか」
🕊「そうですね。普遍的に正しい道理ってことです。ソクラテスは客観的真理を追及しました」
🐬「ソフィストが相対主義、”そんなの人による”っていったのとは対照的ですね」
🕊「このためソクラテスは、アテネの保守派から疎まれるんですよね。
当時のアテネは、民主派のグループと寡頭政を目指すグループが対立していたんだけど、ソクラテスに近しいものは寡頭政の派閥が多かったんです」
🐬「寡頭政って、エリートによる少数精鋭の政治体制のことかな。アテネの民主政が堕落して、内部では民主政に反対する勢力が生まれていたんですね」
🕊「そのとおり!
まあソクラテス自体も民主政の問題点を批判していたので、民主派の警戒心をあおっていたんですけどね。そして彼は、”青年を害し、国家の神々をこけおろした!”という容疑で告発を受けます」
🐬「ついに訴えられたんだ。
この流れは、アテネの歴史的な状況をつかんでおかないとわからないですね」
🕊「ソクラテスは弁明に努めたのですが、結局死刑判決が下されます。獄中では友人から逃走を勧められたものの、”悪法もまた法律”として、毒杯をあおって亡くなりました。70歳でした」
🐬「いさぎよい最期…
あれ、ソクラテスは議論ばかりしていて、哲学の内容を文章にしたためなかったんですか?」
🕊「はい、彼は一切の著作を残していません。弟子のプラトンやクセノフォンが記したソクラテスとの思い出を手掛かりに、彼の哲学を知るしかないんです」
🐬「ちょっとバイアスがかかりそうですね」
🕊「う…。ま、まあ歴史上の人物って後世の偏見だらけだけどね。
ソクラテスの業績は、それまでの自然学中心の哲学を人間の内面に向けたことです。興味の対象が彼以降ガラッと変わりました。それくらい重要人物なんです」
🐬「なるほど。よくわかりました。
ここまできいて感じたことなんですが、哲学って世界史を学ばないとうまく理解できないですよね」
🕊「ふっふっふ。じつは倫理以外でも、政治学や経済学などなど、歴史の知識を前提条件として話してたりするんですよ」
🐬「”社会学は世界史にあり”ってことですね」
🕊「それ、SNSで拡散してください!」
🐬「でも、まだ釈然としないことがあります。ソクラテスの人となりはどんな感じだったんでしょうか」
🕊「そこは気になりますよね。
プラトンによると、ソクラテスは質素で倹約家、また日々鍛錬を惜しまないストイックな性格でした。また無報酬で誰とでも問答したらしいですよ」
🐬「あたりかまわず誰とでも議論するって、そういう人が現代にいるとちょっと迷惑かな…。しかも相手はソクラテスだし」
🕊「妻と子ども3人に恵まれましたが、ソクラテスは口やかましい妻クサンティッペにほとほと手を焼いたようです」
🐬「恐妻家だったんですね。そこは問答法で哲学を高めあわなかったんだ」
🕊「夫婦の相性が良かったのかもしれませんね。バランスは大切ですよ。ぼくも肝に銘じておきます」
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鳩先生、イルカさん、羊くんによる書籍がでます!
この20人でわかる 世界史のキホン | 山本 直人著 | 書籍 | PHP研究所
記事のように軽妙かつ世界史の本質をついた人物伝です。
ぜひ興味があれば読んでみてください!!