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日本の城について①(定義 起源 変遷)
まずは日本の城の基本について書きたいと思います。
城の定義と起源
城=天守ではない
まず初めに城とはなんでしょうか?明確な定義を答えよと言われると難しいですよね。
城には規模の大小や様式などがさまざまあり、明確に定義することは難しいです。城というと「城=天守」と考える方が多いのではないでしょうか。しかしそれは間違いであり、数で言えば天守のない城の方が圧倒的に多いです。
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起源から考える
では城とはなにか、それは城の起源をたどるとイメージできてくると思います。城の起源には諸説ありますが、環濠集落がその一つとされています。
環濠集落は縄文〜弥生時代にかけて出現したとされ、ムラを守るために濠(ほり)をめぐらせた集落の形態です。この頃にはすでに集団対集団の構図が生まれており、これは軍事目的に築かれたとされる弥生時代の高地性集落にも影響しています。
その後、古代には古代山城と言われる太宰府近くの大野城や対馬の金田城などが国を守るための軍事施設としての「城」が築かれます。
城とは
以上、城の起源から考えると城とは、外敵から集団を守るために築かれた防衛施設と考えることができます。もちろん、攻撃のために築かれたものもあるかもしれませんが、城本来の役割としては防衛に重きを置いていたと考えていいでしょう。
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城の変遷
次は城の変遷について話をしようと思います。
古代の城
前述した通り、城は環濠集落が起源の一つとされその後、外国との緊張が高まり古代山城と呼ばれるものが築かれるようになります。
また、東北の蝦夷征伐のために城柵というものも築かれ、秋田城や多賀城などが有名です。
築城技術の進歩
時が下り鎌倉時代以降、武士の出現とともに城の数も増え、土塁や堀、塀に囲われた城館と言う屋敷的性格が強い武士の拠点も出現します。山城や砦なども多く築かれるようになります。戦国時代に入ると築城技術は最高峰に達し、山城から平山城へ、やがて平城や水城という、平野部や海岸沿いなどに大規模な城を建てることができるようになります。この時期に安土城や大阪城、姫路城などの、天守をもった今のイメージの城となります。
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築城技術の衰退と西洋からの輸入
江戸時代は平和な時代が長く、江戸時代中期からはほとんど新しく城が築かれることはありませんでした。そのため江戸時代に築かれた城には防衛装置のない天守があったり、幕末の城では防御の上で重大な欠陥があった城などもありました。
しかし、幕末になると外国船との砲撃戦を意識して、西洋から築城技術を輸入するようになります。それは函館や佐久にある「稜堡式城郭」である五稜郭や、お台場にある品川台場などに代表されます。
ちなみに、最後の日本式城郭とされる松前城(北海道)にも砲撃戦を意識して砲台が設けられていました。
終わりに
いかがでしたか?今回は日本の城について、起源や定義、変遷の話をしました。次回は日本の城の特徴についての話をしようと思います。