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【イジンデン】イジン紹介 アレクサンドロス大王


はじめに

ダイソーの新作カードゲーム「イジンデン」のイジン紹介記事2回目です。
前回の記事をTwitterで宣伝したところ、なんとイジンデンのイラストレーターの方と大創出版代表取締役の方にいいねをもらいました!!!びっくり!!
正直めちゃくちゃ調子に乗っています。乗っている間に記事をどんどん更新していきます。

今回紹介するのはアレクサンドロス大王です。

既にYouTubeの方で説明したことあるので、1分でちゃちゃっと知りたい方はこちらをご覧ください。
簡単世界史講座!~アレクサンドロスってどんな人?~

こちらの動画であまり話せなかったことをこちらの記事で話します。

名前の呼び方について

アレクサンドロス大王って、いくつか呼び名のパターンがありますよね。どれも言語の違いなのですが、一つ一つ説明していきます。

アレクサンドロス…元の古典ギリシア語読みに一番近い読み方。意味としては「男たちを庇護する者」。この名前から派生して、ヨーロッパでは色々な名前が生まれています。アレクサンドル、アレクサンドラ(女性形)、などなど……。この後紹介するアレクサンダーとイスカンダルも同じくこの名前から派生した名前です。
日本のロックバンドには[Alexandros]がいますね。由来は分かりませんでしたが、元を辿れば古典ギリシア語ということになります。

アレクサンダー…アレキサンダーと読むこともあります。ドイツ語圏での呼び方です。今でも姓や男性の名前に使われます。女性にこの名前を使うときはアレクサンドラ、と変化します。英語ではありませんが、他のヨーロッパの言語には大体男性形・女性形(・中性系)があります。

イスカンダル…アレクサンドロスのペルシア語・アラビア語における呼び方です。カタカナで書くと全然違う言葉のように見えますが、由来を知れば納得です。
元はAliksandar(アリクサンダル)でした。
これが変化してkとsが入れ替わり、Aliskandarになりました。日本語で言うと、「あらたし」の語順が変わって「あたらし(新し)」に変わったのと同じです。
さらに、頭のAlが取れました。アラビア語におけるAlは冠詞です。英語で言うところのtheです。alcohol(アルコール)やalkali(アルカリ)など、アラビア語由来の外来語はalがつくことが多いです。
AliskandarからAlを取ってIskandar。ローマ字読みするとイスカンダルになります。

名前の話はこのくらいにして、彼の偉業の説明に入ります。

生まれ

彼の生まれはマケドニア。ギリシア人の国です。
実は今あるマケドニア共和国(現在の北マケドニア共和国)はスラヴ系の国であり、アレクサンドロス大王のルーツであるマケドニアとは異なります。これがきっかけで約30年間、ギリシアとマケドニア論争が起きていました。2019年にマケドニア側が「北マケドニア共和国」と改称することでやっと決着が付きました。
まあギリシア人の中で実際にいた英雄と言えばアレクサンドロス大王ですからねえ、ギリシア人にとってマケドニアという地名は特別なのでしょう。

さてマケドニアの王子として生まれたアレクサンドロス大王。
青年期はアリストテレスの教えを受けました。インテリ。

軍事力

彼がすごいのはこの後です。20歳の若さで王位を継承したアレクサンドロスは、強力な軍隊を引き継ぎました。この軍隊を率いて、東方遠征を行いました。要するにギリシアより東、最終的にインダス川流域まで領域を広げました。広すぎだろ。

有名な戦いはアケメネス朝ペルシア(以下ペルシア)との戦争でしょう。オリエントの覇権を握っていたペルシアを打ち破ってしまいました。最終的にペルシアを占領下に置きます。強すぎだろ。

左がアレクサンドロス軍、右がペルシア軍。イッソスの戦いの絵とされていますが、最近は特定の戦闘場面では無くいくつかのシーンを組み合わせたものだとされています。

融合政策

純粋に戦いが強くて領土を広げたこともすごいのですが、個人的にはその結果を推したいです。それは東西、つまりギリシアとペルシアの政治的・文化的融合です。イジンデンのフレーバーテキストにもこのことが触れられていて嬉しいです。
まず政治的な面。言語はコイネー(ギリシア語)で統一しつつ、ペルシア人の言語を否定したり排除したりすることはありませんでした。また、自身もペルシア人と結婚するなど、ギリシア人とペルシア人の結婚を奨励しました。
文化的な面では、以下の彫刻が有名でしょう。

サモトラケのニケ。スポーツブランドのNIKE(ナイキ)の由来にもなっています。
ミロのヴィーナス。ルーヴル美術館にあります。

これらの彫刻を含めた、アレクサンドロス大王治世下における文化をヘレニズム文化と言います。これは、ギリシア文化とオリエント(ペルシアなど)文化を融合した文化のことです。これらの文化も、アレクサンドロス大王というギリシア人王がオリエントを支配し融合政策を進めなければ存在しなかったでしょう。

さて、こうした栄光の時代を築いたアレクサンドロス大王ですが、33歳で亡くなってしまいます。この後、一瞬でアレクサンドロス大王が築いた帝国は分裂します。原因は彼の遺言のせいです……。

「最強のものが帝国を継承せよ」

当然後継者争いが起きます。これがディアドコイ戦争です。
結果的に、マケドニア・エジプト・ペルシアに分かれます。
この分裂した時にできたプトレマイオス朝エジプトの最後の君主が、有名なクレオパトラです。実はこんなところにつながるのです。

終わりに

アレクサンドロス大王は短い生涯でしたが、後世に残る多くの偉業を成し遂げました。
イジンデンのフレーバーテキストを考えた人もさぞかし迷ったことでしょう……。非常によくまとまったテキストだと思います。すごい!


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