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「鬼滅の服飾学」余滴③:禰豆子の着物の文様のことなど

※この記事は最終段落に「鬼滅の刃」の軽微なネタバレを含んでいます。まだ結末を知らないという方はご注意ください。

さらに引き続き、『SPUR』2021年8月号に掲載された対談記事「鬼滅の服飾学」の「余滴」としていろいろなことを書いていきたい。あと3滴ぐらいは続くと思う。

今回の対談の中で少し戸惑ったことの一つに、「鬼滅の刃」のキャラクターの衣装の文様に込められた意味を聞かれるということがあった。私が考え過ぎなのかもしれないが、例えば禰豆子の着物の文様に込められた意味は、作者の吾峠先生だけが知っていることであって、私が服飾史の知識に基づいて何か言っても、作者の思いは全く別のところにあるかもしれない。だから、私が上記の質問に答えるためには、まず、「作者の意図は分からないが想像するに…」とかなり強く断らないといけない。

対談も、この「余滴」も、服飾史の知識を踏まえることで「鬼滅」の世界をより一層楽しむことができればという意図でやっているので、私の書くことが何か「正解」のようにとらえたりはせず、あくまで参考程度に読んでいただけたら幸いである。

以下、本題。

禰豆子の着物の文様は、日本の伝統文様の一つとして知られる「麻の葉文様」である。伝統文様ではあるが、現代のファッションとも断絶しているわけではなく、例えば、高田賢三(KENZO)が1970年4月にパリで発表して注目を集めたシャツワンピースには「麻の葉文様」(正確には「麻の葉鹿の子文様)があしらわれていた【図1】。

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図1:高田賢三のシャツワンピースが表紙を飾ったフランスのファッション雑誌『ELLE』1970年6月15日号

「麻の葉文様」と言えば、日本には、昔から、子どもが生まれるとこの文様の産着(うぶぎ)を着せる風習があった。「麻のようにまっすぐ育ってほしい」という願いを込めてのことである。「麻の葉文様」の由来がごく簡単に説明される時によく触れられるのは上記のようなことで、さらに、「麻の葉」は背守り(背紋)として刺繍される文様の一つだったということも言われる。背守りとは、産着をはじめとする子どもの着物の背中心上部に施す魔除けの刺繍のことだ。江戸時代に広まった風習とされる。針目には魔物を遠ざける力が宿ると信じられていたが、子どもの着物には背縫いがないため代わりに刺繍をということらしい。ちなみに、背守りとして刺繍される意匠には、麻の葉の他にも、折り鶴、蝶、扇など様々な種類があり、それぞれに魔除けや吉祥の意味があった【図2】。

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図2:明治43(1909)年刊行の『裁縫教科書 : 教育実用』に見られる産着の「背紋背かがりの図式」(右下に「あさのは」、中央の列に「くみあさのは」と「てまりあさのは」が見られる)

しかし、こうした説明だけではどうも釈然としない。「麻の葉」の意匠に子どもを守る魔除けの意味があることは分かったが、それが「まっすぐ伸びるから」という理由で産着や背守りに選ばれたというのは、理由の説明として不十分に思えてならない。まっすぐ伸びる植物は他にいくらでもある。どうして「麻の葉」でなければいけなかったのか。

今や半世紀も前の研究となったが、奥村万亀子の1970年の論文はこうした疑問に明快に答えてくれる。奥村によると、私たちが「麻の葉文様」と呼んでいる文様は、鎌倉時代に、快慶(運慶とともに東大寺南大門金剛力士像を造ったことで知られる)をはじめとする慶派の仏師が仏像の衣の文様【図3】としてよく使うようになり、その後、曼荼羅の背景などにも描き込まれるようになったという(*1)。この時点では、「麻の葉文様」という名称はまだなかったが、形状が大麻の葉に似ていることから、遅くとも江戸時代後期にまでにそう呼ばれるようになった。奥村が注目しているのは、こうした「麻の葉文様」と仏教の結びつきで、仏教的意味合いの強い文様だったからこそ、子どもを守る魔除けとして産着や背守りに「麻の葉」の意匠が選ばれたのだろうと結論付けている。

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図3:快慶の作とされる京都の大法恩寺の優婆離立像(十大弟子立像のうちの一つ)の衣の裾に見られる「麻の葉文様」(13世紀)

「鬼滅」と関係のない話ばかりしてきてしまっているようだが、以上のような由来が分かると、「麻の葉文様」は禰豆子というキャラクターにぴったりの文様に思えてくる。禰豆子は、鬼だが、完全には鬼化していない。危うい状態で人としての理性を失わずに兄・炭治郎らと行動を共にし、闘い、最後は人に戻る。すなわち、魔を宿しながら魔の支配を免れている。そんな禰豆子が終始身にまとっているのが子どもの無事の成長を願って魔除けに選ばれる「麻の葉文様」なのは、非常に説得力があった。

*1:インターネット上の記事や文様の概説本などには、「麻の葉文様」は既に平安時代の仏像の装飾に見られると説明したものが多いが、いずれも、具体的な仏像作品を明示していない。奥村の論文では、「麻の葉文様」(6個の菱形によって構成される幾何学的な文様)の見られる最も古い仏像として、1213年から1221年頃の作とされる京都・大法恩寺の十大弟子立像が挙げられているので、本エントリーはその説に従った。ちなみに、大麻博物館の調査によれば、平安時代の仏像には、確かに、「麻の葉文様」の「類似形」が見られるものがあるが、それはあくまで「類似形」で、現在の私たちが「麻の葉文様」として思い浮かべる6個の菱形によって構成される文様ではないとのことである。

主要参考文献:
奥村万亀子「衣服文様についての歴史的考察:麻の葉文について」『京都府立大学学術報告:人文』第22号、1970年11月、pp. 86–98。
百合草孝子「衣に見られる祈願:背守り」『家庭科教育』76巻6号、2002年6月、pp. 72–77。
伊藤信二「繍仏」『日本の美術』470号、2005年7月、pp. 1–87。
内田啓一監修『密教の美術:修法成就にこたえる仏たち』東京美術、2008年。

図1:『ELLE』1970年6月15日号より
図2:裁縫研究会編『裁縫教科書 : 教育実用』柏原奎文堂、1909年より
図3:大麻博物館編『麻の葉模様』2019年より
ヘッダー画像:禰豆子の着物の文様がプリントされた綿ブロードの生地(著者私物)




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