少しも凄くない人
noteを見ていると、やっぱり、この人凄いなぁ、という人がいる。
それ以上に、あの人凄いなぁ、自分もそうありたいなぁ、という記事をよく目にする。
僕だって、凄くなりたいと思わない訳ではない。
けれども、少しも凄くない人だ。
そんな少しも凄くない人が、少しも凄くないnoteを書いたらどうなるか。
まぁ、こうなるよね、以上。って感じだ。
僕のとっても凄くない所は、先ずは、天才として生まれなかった事。
そして、それを埋め合わせるだけの努力をして来なかった事(これが致命傷だよね)。
そんな人生を、本当の所、殆ど嘆いていない事。
だから、 毎日を、総じて幸せに生きられてしまっている事。
これじゃあ、凄くなる要素が全くない。
一本筋の通った、少しも凄くない人だ。
筋金入りの凄くない人。
でも、凄くない人って、どういう人なんだろう?
普通の人?
駄目な人?
平凡な人?
失敗した人?
怠惰な人?
全部、違うよね。
ただ、凄くないだけの人。
今、NHKの『子ども科学電話相談』を流していたら、小さな子が、月はなんで一つしかないんですか? と質問をしている。
凄いよね、この発想。
僕は、一つしかないのが偶然であるという事を、習って知った気にはなっていたけれども、きちんと疑ってみた事はあったかなぁ。
当たり前の事を当たり前にする人。
凄い人って、そういう人だ。
そうすると、凄くない人は、当たり前の事を当たり前とする人か。
少しも凄くみえない人生が、一番、凄い事だと気が付いたなら、僕の人生も、少しも凄くない人から、殆ど凄くない人くらいには、レベルアップ出来るかな。
いや、それが、アップかダウンかを、始めに疑問に思わないようじゃあ、全く凄くない人だ。