CD:ホルヴァートのブルックナー
ミラン・ホルヴァートは、クロアチアの指揮者。
1965年に、ロヴロ・フォン・マタチッチ、オスカー・ダノンと共に、スラヴ歌劇団に帯同して来日した事があるそうだ。
今では、考えられないくらいに豪華な指揮者陣と言えるけれども、当時の日本人にとっては、三人とも余りメイジャーな存在ではなかったかも知れない。
それに、その後、マタチッチがとても熱狂的に神格化されていったのに比べると、ホルヴァートとダノンの受容はとっても緩やかで静かなものだった。
ただ、海賊盤の世界、取り分け、幽霊指揮者界では、スロヴェニア出身のアントン・ナヌートと並ぶ二大巨頭であるから、CDの時代を最も象徴する指揮者、それがホルヴァートだ。
ホルヴァートと知らずに、駅売りや雑誌付録、通販頒布の録音を聴いた経験のある人は相当に多い筈で、その内の相当数の人は、自分がホルヴァートを聴いたなんて、夢にも知らずに死んでいくに違いない。
作曲:アントン・ブルックナー
作品:交響曲第8番 ハ短調
采配:ミラン・ホルヴァート
楽団:ザクレブ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2000年、ザグレブ
これは、ザグレブ・フィルとの実況録音を楽団が自主製作したものだから、海賊盤として出回った事はない。
ザグレブ・フィルは、マタチッチとの録音でも、大概、アンサンブルがとても荒い。
ただ、エトリンガーとのベートーヴェンなんかを聴く限り、滅茶苦茶な楽団でもないから、指揮者の志向性や、日常の舞台に余り精度を求めない大局観を持ったオーケストラである、と言うべき所か。
ブルックナーの音楽は、半ば、特別な信奉者の為にある。
だから、普段、全くこの作者の音楽を聴かない人間が、下手に感想を漏らすと、陸でもない目にあうのだけれども、それでも、この演奏は、とても好かったので、その記憶を刻みたい。
まとまりがなくて、がさつで、鳴りも悪くて、それが、ブルックナーという人の肌感覚によく馴染んでいる、そんな気がした。
気取らず、飾らず、不器用で、控え目で、屡々上の空なんだけど、悪気はない、仮にあっても悪びれない。
そんな、バルカン半島のオーケストラによく聴かれる長所が、遺憾なく発揮されている。
ザグレブ・フィルが、このレコードをCD化したのも、頷ける。
乾いた薄い音で、色彩も限られている。
そういう音の重なりあいが、誘う世界は、少しも崇高でもないし、思弁的でもない。
空気、風、太陽、労働、食事、そして休息、とても直覚的な、今日である。
わざわざ喜んだり、哀しんだりしないし、感謝も苦悩も、殆んど無意識の内に流れ去る。
ブルックナーの音楽に欲しいもの、私の場合、それは、端的に言えば、着なれた野良着だ。
そんな人生観を持っている人には、ホルヴァートのブルックナーは、或いは、最高とも限らない。
着心地は、着ている人に帰属する。
端から観て、好いとか、悪いとか、立派とか、下品とか、そういう他人行儀なものじゃあない。
そういう音楽が、私は好きだ。
そして、どうにも、フィットしたのです。