CD:ムツィオ・クレメンティ讃
クレメンティと言えば、モーツァルトが酷評し、ドビュッシーが練習曲を博士と揶揄した作品を書き、サティの官僚的なソナチネのモチーフとなった作曲家だ。
作品が多くの愛好家に愛でられているというよりは、初歩的なピアノ学習者がその先へ進むか否かの通過儀礼という観も強い。
ベートーヴェンが高く評価していた、という擁護の声すら、却って虚しく響く。
超克すべき先人でも、自分に脅威となる才能でもなかったから、わざわざ蹴落とす必要もなく、素直に長所を認めただけの話では、などと穿ってしまう。
実際、クレメンティの音楽は、凡庸な人が弾いたなら、至極、詰まらないだけの音楽だ。
しかも、ピアノ学習者は誰もが弾くのだから、詰まらなさが極限まで助長される環境もまた、十全に整っている。
勿論、モーツァルトだろうが、ベートーヴェンだろうが、凡庸な人が弾いたら詰まらないなんて事は等しく決まっている。
ただ、クレメンティの音楽の肝は、モーツァルトの様なファンタジーも、ベートーヴェンの様なドラマもどうも見当たらない、という所にありそうだから、厄介なのだ。
幻惑させるものがない。
だから、騙されようがない。
とても明瞭な音楽。
しかも、清廉という訳でもない。
素人耳にも、計算が透けて見える様なあざとさがあって、それが浅薄とも取れるし、屈託ないとも言える、平板さがある。
無闇に省略せずに、懇切丁寧に説明するような音の運びも相まって、冗長さもしばしばつきまとう。
そういう、平板で冗長な音楽に宿る魅力というものに、恐ろしい程に前世紀は無頓着な時代でもあったのかも知れない。
そんな土壌に育ったせいか、クレメンティは凡庸な作曲家だとずっと思っていたのだけれども、ピエトロ・スパーダによるソナタの全曲録音を今更ながらに聴いてみて、いよいよ、クレメンティという人が解らなくなってしまった。
スパーダのクレメンティに対する愛情は深いらしく、その演奏は誠実を極めて、聴き進める程に敬虔な心持ちになって来る。
作品をダシにして演奏表現の極意を見せ付ける、そんな風に弾き手の天才を発動する事によって初めてクレメンティの音楽は輝く。という訳じゃない。
そんなやわなもんじゃないんだ、と従来の音楽観を否定するかの様な模範演技。
スパーダのクレメンティ演奏には、そんな革新が聴こえる様な気がした。
決して、退屈な音楽ではなかった。
けれども、やっぱり、平板で冗長で、言ってしまえば凡庸な音楽だった。
クレメンティという人に音楽の才がなかったら、こんなにも凡庸な音楽は書けなかっただろうな、という凄みがある。
西洋音楽史は、端的に言ってしまえば、異形の系譜じゃあないかと思う。
そもそも、歴史とは、異形の記録の事なのだろう。
王道は奥ゆかしく隠されている。
僕らが、今日に歴史性を容易に見出だせないのもまた、その為じゃなかったか。
ポジとネガは逆転する。
そのどちらが虚像かという様な事を歴史学はやっている。
そして、皆、承知しているんだ、どちらも虚像という事も。
旧い音楽を今更に聴くという事。
聴こえて来るのが、古の楽の音だと思う様では、敗北だ。
耳を澄ませば、必ず今日が我々の面前に聳え立つ。
反響もまた、ネガとポジの様なものとも限らない。
クレメンティは、保守的な音楽家では、勿論、なかった。
寧ろ、全てにおいて革新的で、先駆者どころか、新しい時代を切り開いた寵児と言うべき野心家だった。
その時代の表参道を歩んだ人だ。
学者でなくとも、それなりの好事家ならば、クレメンティの音楽作品自体に、そういう革新の痕跡を聴き分けるのは容易な程だろう。
故に、一層、ムツィオ・クレメンティは、遠退いている。
クレメンティの易しいソナチネは、私の拙い技巧でも、表現を楽しめるギリギリの教材であったから、学生の頃、本当によく弾いた。
誰に聴かせるでもなく、学習が次のの段階へ進もうが、 欲望の赴くまはまに、クレメンティを好んで弾いた。
あらゆる可能性が、可能性として少し提示されるばかりで、常に分相応の鞘へ戻る、安心な箱庭の中での冒険の様な音楽。
それは、初学者の為のソナチネという、技術的な制約によって守られる平安だとばかり思っていたのだけれども、スパーダの全集をポツポツと聴き進める内に、クレメンティにおいては、それはもっと根元的な抑止なのだと思えて来る。
その安定感、ある種の閉塞感がもたらす、平板、冗長、凡庸さに、クレメンティの個性や才能を見るか、或いは、時代や社会性を聴くかは、そのどちらでもあろうが、どちらかであろうが、どちらでなくとも、差異は些事だとも思う。
ただ、クレメンティの聴き方が、本当の所、よく分からない私、そんな自分に困惑するのみ。
詰まらない人から、得体が知れない人に、クレメンティが仕上がってしまったのだ。
音楽は、自由に聴けば、それでよい。
だからこそ、新しい木枠を、手前で拵える手間も掛かるというものだ。