CD:マルティンスのゴルトベルク
先日、ジョアン・カルロス・マルティンスの人生を描いた映画を観た。
その映画の中で流れているマルティンスの演奏をもっときちんと聴いてみたいなと思い、バッハのゴルトベルク変奏曲を聴いてみる。
1980年の録音。
バッハと言えばグールドという時代が長らくあって、マルティンスの演奏も、グールドの最初の録音から相当に影響を受けている様に聴こえた。
1981年にグールドはゴルトベルク変奏曲を再録音し、その翌年に50歳で亡くなってしまうから、正にグールドのバッハの時代のレコードだ。
そんな言い方をしたら、マルティンスは嫌だろうけれども、少なくとも聴き手にとっては、そんな時代。
マルティンスのバッハは、ロマンティックで、テンポもペダルも時に大胆、指の障害が完全には克服出来なかったらしく、難所ではかなり弾くのに苦労もしているが、興が乗れば動じずに快速に飛ばし、歌いたければ造形美を捨てる事も厭わない。
そういう、教科書からははみ出した部分が、もしも狙って作ったものだったら、物凄く嫌なバッハ演奏になったに違いないのだけど、否応なしに湧き出たものなんだろうね、逸脱して大胆な表現を取れば取るほどに、音楽は輝きを増して行き、ああバッハは美しいな、と心から聴き入る事が出来るものだった。
やっぱり、グールドのバッハの時代なんて言うのは、ちょっと見当違いな先入観なのかも知れない。
紛う事なくマルティンスのバッハなのだから。
30曲の変奏を終えて、最後に最初のアリアが原型のまま帰って来る。
その時に、多くのピアニストは、とても穏やかな心地で音楽を締め括るのだけど、マルティンスは、ちょっと乱暴なくらいに力強く最後のアリアを弾き始める。
その力感が輝かしくて最高だった。
本当にそういう音楽だと信じて弾いているんだ、と嬉しくなった。
上品な演奏ではないし、高級な解釈でもないけれども、高貴で純潔だ。
人間にとって大切なのは、正しさではなくて、如何に美しく過つかだとつくづく思う。
その為には、芯から信じる事が肝要なのだ。
マルティンスのゴルトベルクは、そういう人生観によく響く。
こんな言い方をしたら、マルティンスはやっぱり嫌だろうけれども。