SACD:シューマンのラインの名盤
これは誰も誉めない録音。
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作曲:ロベルト・シューマン
作品:交響曲 第3番 変ホ長調『ライン』
采配:朝比奈隆
楽団:札幌交響楽団
録音:1972年10月17日
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演奏のレベルの低さに呆れた事を隠しきれなかったらしく、ライナーノーツの文体にも、何とも歯切れの悪い言葉が連なっている。
それでも尚(否、それ故にか?)私はとてもこの演奏が好きだ。
シューマンのラインを聴いたなぁ、という気持ちに心底なれる殆ど唯一の録音と言ってもいい程である。
アンサンブルは出だしから躓きあちこちで破綻し、管楽器の音色は屡々素人の様に安っぽくなり、ハーモニーはドブ川の如く濁り勝ちだ。
それでも鷹揚に構えて、音楽が澱まず進むのが好い。本当に好い。
日本人が遺した最も日本人らしいシューマンの交響楽のレコードだと思う。
ライプツィヒにもウィーンにも、ロンドンにもニューヨークにも聴かれない、もしかしたら東京や大阪でも聴き得なかったかも知れぬ、辺境の音がする。
シューマンの音楽は、才能がある人(というよりも洗練された趣味を持った音楽家)がやると、どうにも面白くない事が多い。
世の中、何でも昇華すれば良いというものでも無かろうと思うのだけれども、シューマンの音楽を何とか体裁よく、美しく聴かせようと鍛練する様である。
若しくは、開き直って、面白く聴かせようと言う才人も多い。
しかし、そんなシューマンは詰まらない。
目一杯に夢を抱いて、大いに矛盾を抱え、盛大に破綻するのが、シューマンの真骨頂だと、私は勝手に信じている為だ。
朝比奈隆も札幌交響楽団も、まさか盛大に破綻しようとは思ってはいなかったろうし、何とか美しく聴かせようと思っていたかも知れないけれども、最後は無手勝流で、策に溺れる間もなく、シューマンとライン川に心中してしまう。
人情の作曲家、シューマンの気概ここに極まれり。
上手いとか下手とか、美しいとか醜いとか、そういう匙加減は、一大事の前には些事であるし野暮ったい。
否、野暮ったいと言えば、シューマンの筆も朝比奈の棒も、それに応える札響の演奏こそは野暮ったいのだけれども、それを全部飲み干すならば、不器用な人間にしか為し得ない粋な世界が拡がるのを目の当たりにせずには済まなくなる。
人間はやるからには誰もが成功したい。
失敗して嬉しいなんて事があっては、陸な仕事振りとは言えない。
だけれども、成功者には決して見られない景色というものも必ずあって、そういう景色が必ずしもとるに足らないものではない事も、実際には多くの人が知っている。
勿論、シューマンも、朝比奈隆も、札幌交響楽団も、音楽において何時でも破綻していた訳ではない。
寧ろ、この実況録音は成功者の輝かしい遺産として世に出されたものである。
決して稚拙さを嗤う為ではない。
とても真摯な音楽を前にして、私は面白がる事すら敵わなかった。
それは端から眺める余裕がなかったからに違いない。
夢中になって聴ける音世界をまた一つ見付ける事が出来た訳だ。
しかし、冷徹にシューマンの音楽を眺める陰鬱から逃れて行き着く先は何処でしょう?
やがては情に絆されて破綻する道かも知れぬ。
よもや誰をか誘わん。