Q:”霊的に価値がある”ものはあるのでしょうか?
A:正義は、宇宙の本質の特性としてもともと備わっています。すべてを包み込む、時間のない、無限の意識のフィールドの内において、その検出から逃れられるものはありません。帰結は自動的で自発的に起こりまさに「創造」の構造そのものによって約束されているのです。どんな人も、意識の進化の学習曲線状のどこかの点におり、どのレベルもそれぞれに生得の特徴があります。このような特徴は、意識のフィールド固有のもので、実際に個人的なものでも恣意的なものでもありません。”与えられたり”、”奪われたり”するものではないのです。
魂は自らの運命の著者であり、自らの選択を実行しています。そして、最もふさわしい次元に引き寄せられていくのです。霊的な矛盾は、霊的な選択に応じて生じてきます。たとえば、あなたが愛と喜びを体験したいとしても、その意図が、愛と喜びが現れることを妨げ、障害となっているものすべてを浮上させます。愛と平和を求める探究者には、自動的に無意識の底から残忍さ、愛情の欠落、憎悪などの癒されるべき感情が表面化するでしょう。こうした感情に価値判断を下すかわりに、共感、許しをもって対応しないかぎり、いつまでも脅かされ続けることになります。しかしとどのつまり、こうした要素が愛や喜びの障害物となっていたのですから、これらの障害物が霊的ツールによって解消されるために浮上しているならありがたいことなのです。
障害を取り除くという霊的作業の過程は、時として痛ましく思えるかもしれませんが、それも一過性のものです。問題が再浮上していても、より高い理解から解決し、新たなコンテクストでとらえ直すことができます。習慣的な反応は本当は個人的なものではなく、人間であることの生得的な特質であることを認識できれば、この過程は短縮できますし、苦痛も軽減することができます。わたしたちが自分について非難していることのすべては、動物の生態に関するドキュメント番組にも見ることができます。そこに起源が見出され、わたしたちは無邪気な動物の中に愛らしさを見、それから自分たちの中に彼らと同じ欲動が、同様の無邪気さから生まれていることに気づくのです。その起源と共に、思考パターンの構造と内容を認識すれば、それが予測可能であることが判明します。
実際、自分や他人について思考がおしゃべりすることは何ひとつ真実ではありません。すべての声明には誤りがあり、プログラミングと立ち位置を表しています。また、自らの価値や恩恵、有用性といったポジティブな声明もありますが、これも等しく虚構に基づいています。「自己」は目に見えず、判断できるようないかなる特徴も持っていません。描写できる特性もなければ、どんな形容詞も当てはまりません。
『I<わたし>真実と主観性』 デヴィッドRホーキンズ著 P64~P65
【Q:霊的探究者として、最も価値のある資質は何でしょうか?】
A:まず安心感と確信をもって始めることです。自分を疑ったり、臆病になったりすることをやめましょう。躊躇することなく、自分が探究するに値する人間であることを受け入れ、神の真理に対して、完全に自らを明け渡す決心をしてください。
無制限に受け入れるべき事実は、シンプルながらとても強力です。明け渡すことで、飛躍的な霊的進歩がもたらされます。
1.神があなたを愛し慈しんでいる何よりの証は、あなたが存在しているこということです。
2.自分自身を他者と比較する必要はありません。”神聖さ”、徳分、善良さ、資格、純潔さなど、すべて比較基準にはなりません。これらはすべて人間的な概念であり、神とは無関係です。
3.”神を恐れること”は無知のなせる業であることを受け入れましょう。神は、愛と平和以外の何ものでもありません。
4.”審判を下す”神は、自我がつくりあげた幻想であり、幼少時代に体験したお仕置にまつわる罪悪感から生じています。神は、両親とは違います。
5.キリストの教えの本質は、ネガティブ性を回避するというごくシンプルなもので、最終的には弟子たちを「無条件の愛」まで引き上げることが目的でした。キリストは、魂のレベルが「無条件の愛」を超えれば、死後の行き先は約束され、魂が救済されることを知っていたのです。それは、仏教の「極楽浄土」のように、世界の偉大な宗教で教えられていたことと本質的に同じです。
6.救済と覚醒は、いささか異なるゴールであることを認識しましょう。救済されるためには、自我を浄化しなければなりません。しかし、覚醒するためには、自我を完全に抹消しなければならないのです。覚醒に至る道のほうが、より困難で徹底的であると言えるでしょう。
7.覚醒を求めるのは、個人的な”あなた”ではありません。意識の内の非個人的な特性が突き動かしているのです。霊的な直観と献身が、あなたを後押ししてくれます。
8.最も重要な目標をすでに達成していることに気づいたとき、不安や焦りは消え去り、ようやくあなたは安心し、心地よさを回復します。その目標とは、あなたが霊的な献身の道の上にいるということです。霊的な成長は、成就するものではありません。それはあなたがどのように生きるかということです。そして、その道を歩むこと自体が報酬となります。ですから、動機をどこに向けるかが重要になってきます。
9.あなたが一歩進むたびに、すべての人に恩恵があることを喜びとしましょう。一人の人が行う霊的な献身と活動は、人類全体の生命と愛への贈りものとなります。
10.神へ至る道に、時刻表も処方箋もありません。一人一人のたどるルーレットはユニークですが、克服すべき課題は比較的万人に共通しています。それは、人間が犯しがちな誤りを超越するということであり、この誤りは、生得的に自我の構造の中に組み込まれているものです。あなたは自分が個人であると思いたいでしょう。しかし、自我は個人的なものではありません。それは、人間として生を受けるときに受け継がれたもので、過去のカルマにより違いが出てきます。
11.熱心に祈り続けることによって、献身やインスピレーションの度合いを深め、成長を促進することができます。
12.「神の恩寵」は万人に降り注いでいます。また、献身的な求道者は、過去の”聖者の恩寵”にあずかることができます。自我は強い威力を持つので、より高次元の霊的な存在の援助なくしては、自我は自力では自らを超越することができません。幸運なことに、かつて存在したあらゆる覚者とアバターの意識の力は地上に残っており、アクセスが可能です。瞑想によって、覚者の意識や教えに集中することで、そのエネルギーを吸収することができます。真に覚醒に至った聖人は、すべての求道者が無事にゴールに達することを願っています。一部のグループや特定のメンバーに限られてはいません。霊的な成長を求める一人の探究者が人類全体に影響を与えるように、教師の覚醒は求道者に恩恵を与えるのです。そのパワー、エネルギーは、あなたが求めれば手に入ります。そのための必須条件や義務はありません。
『I<わたし>真実と主観性』 デヴィッドRホーキンズ著 P156~P159
今回が、167記事目です。命は受け取り響き合う。命は目覚め奏であう。by RIZING SUN~その向こう側ancestors~の歌詞