繰り返しますが、謙虚さは、何度言っても足りないほど重要な事実を受け入れる姿勢をつくります。ーーその事実とは、人間の心(マインド)は真偽を見分けることができない、ということです。
ひとつ前の投稿の続きです。
『I<わたし>真実と主観性 デビッドRホーキンズ著』P163~P168
※2022/9/18 KIN123 追記 耳で聴いて学習ができました。
【Q:自我(エゴ)をよく知ることの目的は、自我(エゴ)の武装を解き、受容する道を開くことですか?】
A:自我(エゴ)が何ものかよくわかっていないうちにそれを”克服”しようとするのは、罪悪感や自己非難など、さまざまなネガティブ感情を誘発します。そしてそれが主な原因で、多くの人が霊的な作業に取りかかることを躊躇しています。また、人々は自分自身に正直になることを恐れ、自我(エゴ)の悪い面を他者、あるいは神にさえ投影します。嫉妬や報復、偏愛などはすべて自我(エゴ)の性質であり、神のものではありません。
より大局的な視点から見ると、自我(エゴ)は”悪”ではなく、本質的に自分本位の生き物であることがわかります。”動物的な自己”を理解し、受け入れないかぎり、その影響から逃れることはできません。まるでペットのように、内なる動物をコミカルで面白いものとして、罪悪感を持たずに見ることもできます。そして、よく訓練をしてしつけることを楽しみにすることもできるのです。この訓練がいわゆる「文明化」という言葉が意味するものです。
【Q:どうしてそこまで自我(エゴ)に注意を向ける必要があるのですか?】
A:悟りは段階的なプロセスです。霊的な成長は、自我(エゴ)の本質を理解することで促進することができます。自我(エゴ)は、攻撃したり打ち負かしたりしなければならない敵ではありません。撃退すべき悪でもありません。思いやりをもって理解することで、溶解します。
軍事や外交の失敗のほとんどは、最初に敵について十分に調査しないことから起こります。たくさんの有名な軍事指導者がこのことを残念そうに認めています。ナポレオンとヒトラーはロ〇ア人を軽視しました。ヒトラーはまた、イギリス人の決意を侮りました。スターリンはドイツ人のでまかせを鵜呑みにし、山本司令官は真珠湾攻撃の後、「眠れる獅子を起こしてしまった」と嘆きました。
ですから、霊的な研究者にとって望ましいのは、自我(エゴ)の構造を良く知り、それを否定や罪悪感によって消滅させることはできないと知ることです。面白いことに、自我(エゴ)の執着は受容したり、相手をよく知ったり、思いやりを持つことで緩和することができます。反対に、自己批判や避難、怖れや恥は自我(エゴ)を強化します。
【Q:思いやりのある目で見ると、自我(エゴ)はもはや手ごわい存在ではなくなりますね。】
A:自我(エゴ)は究極的な真実ではなく、動物的な世界から受け継いだ一連の存在のためのツールでしかないので超越することが可能です。またわたしたちは、子供の感情的な表現の中に自我(エゴ)を見ることができます。つまり自我(エゴ)は動物的であるだけでなく、子供でもあるわけです。フロイトが精神分析の手法で明らかにしたように、無意識は意識化することで力を失います。
アンナ・フロイトは、自我(エゴ)の防衛メカニズムを解明しました。それによって、抑制、抑圧、否認、投影、その他本能的な衝動を自己に向ける行動に関しての概念も周知のこととなりました。わたしたちは、動物的世界から受け継がれた潜在的な欲動を精神分析学の用語で”イド”と呼びます。両親や社会によって”超自我”(良心)の統制機能が形成され、意識的な自我(エゴ)は動物的欲動を社会に適合させる機能を果たします。”自我理想”とは、自我(エゴ)が描く自己の理想的なイメージです。そのイメージの中には、ヒーローと同一化したポジティブな自分の姿や、理想の人格、霊的な理想像などが含まれます。”ペルソナ”は、自我(エゴ)が社会に対して見せる姿であり、それがいわゆるパーソナリティとなります。
スイス人精神分析医のカール・ユングは、この精神のパラダイムに霊的な領域を付け加えました。興味深いことにユングは、人類は動物的な欲動以外に、”与えられたもの”を受け継いだというのです。ユングはまた、人類の中に共通性を見出し、それを「集合的無意識」と名づけました。集合的無意識は、概念よりもシンボルによって知ることができます。
後年、自己の解明は、「自己心理学」によってより綿密な研究がなされ、霊的な側面は「トランスパーソナル心理学」によってさらに研究が進められてきました。
わたしたちの存在に関する問題は、「実存分析」で取り上げられ、より進化した心理学は、何世紀にもわたって哲学が占めていた「人間性」という重要な分野に進出してきているのです。
【Q:自我(エゴ)を理解するために、これだけのことをすべて知る必要があるのでしょうか?】
A:そんなことはありません。ここでは、人類がどれだけの苦労をして自分自身のことを知ろうとしているのかを紹介しただけです。自我(エゴ)の支配から逃れるために、知性はこれほどの努力を払ってきたのです。
【Q:今までの情報から推測すると、知性は自我(エゴ)に相対するものではなく、自我(エゴ)が進化した姿であることが明らかになります】
A:その通りです。知性は400に位置し、社会にとっては恩恵となります。医学やテクノロジーの偉大な成長を見れば、科学はその好例と言えるでしょう。しかし知性は人類にとって諸刃の刃です。マラリアで命を落とす人を救う反面、核兵器や毒ガスを発明します。それが粒子であろうと概念であろうと、400のレベルでは形/物質やフォースが対象となっていることに変わりありません。形あるものに向かっているかぎり、必ずそれに内在する限界に直面することになり、いくら技術が進歩してもそれを超えることはできません。限界を超える唯一の方法は、形を超えることです。そして形を超えた世界に進みたい人は、非線形領域に足を踏み入れるのです。それは伝統的に「霊的(スピリチュアル)」な領域と呼ばれています。頑強な自我(エゴ)はどこまでも執拗で、強化されていますから、わたしたちはフォースを超えてパワーの領域に進んでいかなければなりません。
形あるものは多大な努力を要しますが、パワーの恩恵は、いとも簡単に何の努力もなく成し遂げられる点にあります。パワーは、量ではなく質において甚大な影響を及ぼすというユニークな特徴があります。というのも、数量で表される領域には存在していないからです。
霊的なパワーは、それ自身は枯渇することなく物質を変化させる触媒になぞらえることができます。わたしたちの身の回りを見ても、たった「ごめんなさい」の一言が、国家間の戦争を止めることがあります。戦争のほとんどは、欲や憎しみやプライドといったレベルの意識のエネルギーフィールドから発生しています。プライドの解毒剤は謙虚さであり、それはただかしこまるという意味ではなく、謙虚心や見せかけをやめ、現実的な評価に目を向けるということです。真の謙虚さを持つことが、後々、”面目を失う”ことや自己破壊的になることを防いでくれます。
謙虚さによってわたしたちは、正確で現実的な評価を行い、限界や条件に気づくことができます。知性は誤りではありませんが、より高度な霊的な気づきを得るためには、適切なツールではありません。しかし賢明な知性は、それ自身の気づき、それを超えたところに答えを求めようとします。これは最先端の科学の分野でも見られる現象で、近年は意識の特性を理解しようという試みがなされています。意識なくしては、重要な進歩はなし得ないのです。
【Q:意識が進化するためには、自我(エゴ)も必要な段階であることがわかりました。しかし、形あるものの世界が解明され、研究されつくした後にわたしたちが進む次の段階は、形を超え、その起源を探究することでしょうか?】
A:それは論理的な行動です。知性にとって、物理学や化学、天文学、宇宙学などで形あるものを探究することは非常に魅力的でした。その後に人間が抱く疑問は、この宇宙がどこから生まれ、どこへ行くのかということです。実はこの疑問は、もうひとつのきわめて重要な人間の動物的本能を表しています。それは、好奇心です。動物は、食料や交尾の相手や住まいを得るために常に本能的に探す習性があり、それが飽くなき好奇心となりました。探究心は人間の生まれ持った習性であり、その最も高度なレベルが霊的な探究となります。そしてそれは、わたしは誰なのか、わたしは何なのか、どこから来たのか、自己の起源と運命はどのようなものなのか、神とは何であり、どこにいるのか、といった疑問を生じさせるのです。
【Q:すると好奇心は、霊的な探究者にとって有益なのではないでしょうか?】
A:謙虚さを持てば、好奇心は役に立つ家来になります。しかし分別のない人にとって、深刻な落とし穴になりかねません。好奇心はナイーブな求道者を袋小路に誘い込み、いらない妨害や誘惑をしたり、ひどい場合は致命的な罠に落とし入れます。だからこそ、わたしたちは真の教師を必要とします。繰り返しますが、謙虚さは、何度言っても足りないほど重要な事実を受け入れる姿勢をつくります。ーーその事実とは、人間の心(マインド)は真偽を見分けることができない、ということです。この事実が誤りであれば、歴史に戦争はあり得ませんし、さまざまな社会問題も、無知も、貧困も生じていないはずです。人類はとっくに覚醒しているはずですし、何世紀もの間、意識レベルが190にとどまっているわけがありません。
【Q:どうしてわたしたちは真理に対して盲目になってしまったのでしょうか?】
A:動物は形の世界に生きています。生存のための基本的要素は、肉体であり、食料であり、敵を識別する能力です。そのため、動物の脳は知覚力を高める方向に進化しました。わたしたちが自我(エゴ)のコンテント(内容/中身)の先を見越したとき、覚醒を求める求道者にとってきわめて重要な性質に向き合うことになります。--それは、知覚の基本的機能です。これは、動物にとって必要不可欠な機能ですが、意識の領域においては、二元性を作り出してしまいました。その結果、場所や方向、時間などの感覚が生まれたのですが、これらはいずれも動物が生き残るために不可欠なものです。たとえば、餌を捕まえるために、”ここ”と、”あそこ”という二元的な知覚が必要になります。しかし、このように感覚に依存することになってから、形あるものの限界が生まれました。空間と距離の知覚が生じたために、自我(エゴ)はこの知覚が真実を表していると思い込んでしまったのです。
動物にとって、これ以上に高次の真実が存在していると思わなければならない理由は何もありませんでした。というのも、彼らのニーズはすべて形とコンテント(内容/中身)という領域の中に納まっていたからです。しかし、自我(エゴ)が思考の中でイメージを操ることを覚えると、人間はただ動物でいることから進化し始めました。そしてイメージもまた洗練され、類似や相違を認識できるようになりました。(古典的な、右脳/左脳、デジタル/アナログ・コンピュータ)、などの類比)。
今ではわたしたちの前脳は、抽象的な概念やシンボルや言語を処理できる、複雑なコンピュータのような働きをするまでに拡大しました。実はこの前脳は、古い動物的な脳に”追加”されたものです。ですから、この新しい脳には利点もありますが、古い脳との間に不利な点も生じています。このふたつの脳の間を断絶するスイッチがないため、怖れや怒りや欲といった動物的感情が知性の中に入り込んでしまうのです。また知性も、動物的欲動に関連する一連のイメージを作り出してしまいます。
今回はここまでです。
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エビングハウスの忘却曲線は、聴いたことがありますか?20分後には42%、6日後には75%、1か月後には79%忘れるそうです。
ですので、ベストタイミングで、繰り返し繰り返し。その時に、あなたが一歩進むたびに、すべての人に恩恵があることを喜びとしましょう。一人の人が行う霊的な献身と活動は、人類全体の生命と愛への贈りものとなります。という意識であることが、とても大切だと思っています。
みんながみんなのことを良くなるように想うことで、愛と光の地球解放は加速します。
すべての人は、愛が基盤の気づいている心の立ち位置に立つことができる、すでに、神に選ばれた存在です。
やってミント!