2023年度・服部奨学生証書授与式 【服部奨学生レポート】
はじめに
私たちは一人では生きていません。
常に身の回りには、自分とは異なる他人がいて、得体のしれない存在がいて、刻一刻と変わりゆく環境があります。
紛れもなく、既に私たちは共生しています。
「ポストコロナ」を生き抜く思考法と働き方
今回の服部奨学金授与式では、竹内薫様より「ポストコロナを生き抜く思考法と働き方」という演題でご講演をいただきました。ところで、この演題に入っている「ポストコロナ」とはいったい何でしょうか。
2020年に新型コロナ感染症が流行して以来、この3年間、日本社会では「ウィズコロナ」という標語が叫ばれてきました。それは、コロナとの共生という新しい生活を意味していました。ポストコロナ・アフターコロナとは、その終焉を意味しています。つまり、コロナとの共生を終えることがポストコロナだということになります。
しかし、竹内様は「コロナは終わっていない」と口にされました。新型コロナ感染症に罹患した方の身体的な後遺症や、コロナ融資に対する返済という経済的な後遺症が今もなお残っているからです。「ポストコロナ」や「アフターコロナ」と言った言葉で、あたかもコロナとの共生を自分で選んで終えられるかのように、私たちは感じてしまいます。しかし、共生は人間が自分で終えようとして終えられるものではなかったのです。
服部国際奨学財団の意義
共生は、自分で終えられるものでないのと同時に、自分で始められるものでもありません。それは、新型コロナウイルスとの共生だけでなく、自分とは異なる他人達との共生についても言えることでしょう。自分とまったく違う分野に関心を持つ人と、あるいは自分とまったく違う環境で研究をする人と一緒に過ごそうと思い立っても、そうした環境を自分から創り出すのは決して簡単なことではありません。
服部国際奨学財団の意義はまさにここにあるのだと、授与式の中で改めて感じました。新服部奨学生の代表による挨拶では、奨学生のもつ「多様な研究テーマ・バックグラウンド」が触れられていました。そしてそれは、数か月前の秋期服部奨学生授与式にて、私が代表としてお話ししたこととまったく同じメッセージでした。おそらく、服部奨学生は皆、奨学生の多様さをひしひしと実感していることと思います。そしてそれは、普段の環境ではそうした多様さを感じないからでもあります。お昼ご飯を一緒に囲むメンバーの専門は、心理学・言語学・生物学・哲学・歴史学と非常に様々で、出てくる話も普段は聞くことのない話ばかりでした。自分では創り出せないような、異なるバックグランドを持つ人々と過ごす時間。それを、私たちは服部国際奨学財団を通じて手に入れています。
AIとの共生
さて、再び共生の話題へと立ち返りましょう。これまで見てきたように、共生は自分では終えられないし、自分で始めることもできないものでした。では、私たちは共生についていったい何を考えることができるのでしょうか。そのヒントは、竹内薫様によるご講演の中にありました。
竹内様のご講演の後半は、AIが登場した現代社会での思考法に関するものでした。特に印象的だったのは、「AIなしでは競争にならない」という竹内様のお言葉です。AIロボットやAIツールの普及してきた社会においては、AIを使わないと効率が悪く、競争に負けてしまいます。そのため、競争社会で生き残るためには必然的にAIを使う必要があります。言い換えれば、私たちはいまやAIとの共生を強制されているのです。
ですから、私たちには「AIと共生するかしないか」を問うことはできません。AIとの共生は既に始まってしまっています。だからこそ私たちが問えるのは、「AIといかに共生するのか」ということに尽きるはずです。実際、AIによる翻訳ツールをいかに使うのか、プログラミングの場面でChatGPTをいかに使うのか、などご説明いただいた具体例はどれも「AIといかに一緒に仕事をするか」というお話でした。
竹内様は講演で繰り返し、「最後は人間だ」と強調されていました。AI翻訳ツールで翻訳するとしても最後は人間が確認し、ChatGPTにプログラミングコードを書かせるとしても最後は人間が点検する必要があるという意味です。これは、AIにすべてを任せる——いわば寄生する——のではなく、AIと人間が一緒に仕事をする——共生する——ということなのだと、私は考えました。
いかに共生するか
「いかに共生するか」という問いは、これからあらゆる領域で問われることになるでしょう。
最初に触れたコロナの話題も、「コロナといかに共生するか」という問題にほかなりません。身体や経済の後遺症が残るなかで、いかに「ポストコロナ」と呼ばれる時代を生きていくのかがいま私たちには問われています。
また、途中で言及した、異なるバックグラウンドをもつ他者との共生においても「いかに共生するか」という問いは重要な意味を持っています。現代社会では、「多様性」という言葉が非常に重視されています。しかし本当に重要なのは、「人間が多様である」ことではなく、「人間が多様に生きていくことが認められる」ことでしょう。そしてその多様な人々が、それぞれ別々に生きていくのではなく、共に生きていくことができたならば、それこそまさに「共生」なのだと思います。竹内様のご紹介くださった「インクルーシブ教育」は、まさにそうした「多様な他者との共生」の実践のひとつです。そして、服部国際奨学財団での活動もまた、おそらくそのひとつでしょう。
最後にもう一つ触れるべきことがあるとすれば、それは「変わりゆく社会との共生」だと思います。竹内様もご講演のなかで触れていらっしゃったように、いま社会は大きく変わりゆく最中にあります。インターネットによる情報流通が発展し、AIが出現するなかで、産業構造は従来のものとは変わりつつあります。そうした、刻一刻と変わってゆく社会といかに共に生きていくか、私たちは各自の人生において問われているのでしょう。そしてそれが「共生」であるからには、ただ社会に合わせて生きるだけでなく、変わりゆく社会を自らの手で進めていくことも時には必要なのだと思います。社会に合わせて私たちの生き方が変わり、私たちによって社会もまた変わっていく。そんな、社会と私たちとの共生をいかに成し遂げることができるか、私もまた考えていきたいと思います。
さいごに
私たちは一人では生きていません。
常に身の回りには、自分とは異なる他人がいて、得体のしれない存在がいて、刻一刻と変わりゆく環境があります。
紛れもなく、既に私たちは共生しています。
これから私たちは、いかに共生していくことができるでしょうか。
(文責:青木門斗 第14期奨学生)