クロスオウヴア 15
■■■ DNA 2 ■■■
沙紀は入学式の日の夜、さっそく佑右に電話をかけてきた。
「あら、沙紀ちゃんって、えっ、あの沙紀ちゃん? 紙屋川さん? あら、あらまああ、ご無沙汰してますう。・・・うん・・・お元気? 皆さんも? うん・・・ああそう、沙紀ちゃんなの、あらあ・・・」
沙紀が三桐高校へ入学したという話を聞いて、そして今電話をかけてきていることに、佳子はたいへん驚いていた。そして驚きながらも、あれやこれやと世間話を始めていた。
「・・・あれから中学は? ・・・ああそうなの・・・それからずっと? ・・・じゃあ三桐高校へは結構便利なのね・・・で、どうして佑右が同じ高校だと? ・・・ああ、式の時に会ったの・・・ああそう・・・ううんあの子全然、一言も言わないわよ・・・へーえ・・・そうだったの・・・」
佳子はうなずくやら首をかしげるやら、目の前に沙紀がいるかのように熱心に話していた。
「・・・どうする・・・うん・・・はい、はいじゃあ代わるわね。佑右、沙紀ちゃんよ、紙屋川沙紀ちゃん。」
今まではそんなことはなかったんだけれども、その電話以来、佑右はどうも家族の前で電話をするのが苦手になってしまっていた。沙紀との初めての電話での会話は、佑右の体を硬直させ、額や脇の下から冷や汗を流させるに十分なほど刺激的だったのだ。沙紀の電話は、どうやら佑右の体に「冷や汗の出し方」というものを教えてしまったらしい。それ以来、相手がだれであっても、居間の電話を使うと体が硬直し、汗を流し、満足に話せないようになってしまったのだった。
後に沙紀が佑右を訪ねて家へやってきて以来、小学生の時よりずっと美しくなって、そしてずっと大人になった沙紀となんだか気があったらしく、佳子はそれから何度も電話で話をしているようであった。沙紀は佑右のいないときにも、時々やってきて佳子と話しているらしい。だから沙紀は気軽に野添家へ電話をすることが出来るのだ。
「はあ、おれ。」
佑右はちょっと面倒くさそうに低い声で電話に出ると、今度は受話器に手を当てて小さな声で言った。佑右の家の電話は古くて、電波がうまくつながらず、受話器を持って逃げることが出来なかったのだ。
「どうして、おれのPHCの携帯電話にかけてこないんだよ。」
「だっておにいちゃん、いつもPHCにひたりこんでいるから、どうせつながらないでしょ。それに、おばさんの声だって聞きたいし。」
「ん。で、なんだい、用件は。」
「ふ、おかしなおにいちゃん。いつもの声と全然違う。」
佳子は用事をしているようだったが、それは「振り」だけで、きっと自分の声を背中で聞いているに違いないと佑右は信じていた。佳子は沙紀を良く知っており、その人間性も十分理解していて、まるで自分の娘のように可愛がっていたから、彼女から佑右への電話を全く気にとめていなかった。しかし、居間で電話をするのが苦痛な佑右には、まるで沙紀と佳子がグルになって自分を苛めているような気がするのだった。
「だから、用件を話せよ。」
「せっかくいいこと教えてあげようと思ったのに、そんな冷たい話し方なら、もう話してあげなーい。」
沙紀は自分で、佑右をほんの少し苛めているかもしれないという自覚があった。でも電話になると、普段しゃべっている時と全然違う態度になる佑右に対して、ちょっと苛めてみたいようなかわいさを感じていたのだ。苛めるというより、それが親しみの表現だったのだ。
「だから、もういいから、早く言えよ。言わなきゃ切るぞ。」
「はいはい。えっとね、おにいちゃんが前に言っていた遺伝子のこと、あのニュースの詳しい解説を今ネットテレビでやっているわよ。」
「遺伝子? 本当? つけてみるよ。なんチャンネル?」
「百六十二よ。」
「おう、ありがとう。それだけ? じゃな。」
佑右は沙紀からの電話の用件が他にないことを確認すると、そそくさ受話器を置いたのだった。
「・・・んもう、切っちゃった。」
沙紀は受話器を置きながら言った。
「もうちょっと・・・」
『話してくれてもいいのに』とは、もう電話は切れていたけれども、口に出しては言えなかった。