エリアF -ハレーションホワイト- 24
「ああああああああああっ」
ぼくは大声を上げて飛び起きた。目が覚めた。ここはどこ? 真っ暗やみの中に、小さく一つ、赤い光が見える。あの赤い閃光は行き過ぎたのだろうか。ぼくは助かったのだろうか。
あの赤い閃光から逃れたとしても、ここから出る手段はないのだ。現実世界のぼくは、水も栄養もとらないまま数日が過ぎて、やがて衰弱死してしまうだろう。今助かったとしても、もう時間の問題だ。ぼくが死ぬことに変わりはない。
そう考えると、少し開き直って心が落ち着いて来た。どうせ死ぬなら、絶対に不可能といわれたE管理域を初めてハックしたこのぼくが、その痕跡を残しておいてやろう。さまざまなデータの中に、ぼくの名前を書き込んでおいてやる。名所旧跡に自分の名前を彫り刻んでいく、あれらの行為に比べたら、遥かにハイレベルだ。
もうばれようとばれまいと同じこと。ぼくは一切の集中を解いて、ただ辺りを探った。Webの中にいながら、なんだか手触りがリアルである。歩けば軽い振動が体に伝わるような気さえする。
この目の前に見える赤い光は、結局なんだったんだろう。さっきとは打って変わって弱々しくなった赤い光の方へ、ぼくは歩み寄った。そこにはまるで現実世界で見るような赤いプラスチックのカバーのかけられた、小さな電球のようなものがあった。その下には、「非常警告灯」とかかれた小さなプレートが付いていた。ああ、目が痛い。ぼくは汗が目に染みるのを感じた。
「・・・」
もしかして、ここは・・・。
…ぼくは赤い電球の所から壁を伝うように歩いた。あった。扉があった。扉に意識を集中してスキャンした。読めない。何も頭に浮かんで来ない。やっぱりそうだ。ここは、『現実世界』のぼくの部屋だった。そうか。ぼくはようやく今の状態を理解することができた。ぼくは、現実世界に戻ることができたのだ。
現実世界のぼくの部屋の窓のカーテンを開けて、外の街を見てみた。どこの家も電燈が消えて暗く、非常用の街灯が、ぽつりぽつりとついていた。現実世界では、ぼくの街一帯に停電が起こったのだった。ぼくが目を覚ました時、部屋の中が暗やみだったのは、そういう理由による。小さな赤い光は、部屋の中にある、異常を知らせる警告灯だったのだ。
E管理域に迷い混んだぼくは、あの赤い閃光によって命をとられる寸前だった。その時、まさに運良くとしか言いようがない素晴らしいタイミングで、この現実世界で停電が起こったのだ。処刑の電磁波は、ぼくのヘッドセットから発せられず、しかもぼくは停電によって強制的に現実世界に放り戻されたのだった。ぼくは今日のこの瞬間、心の底から神仏を信じてもいいとさえ思った。
ぼくは、いくつもの意味において「無事に」あの日を越えることができた。ぼくはあの日一日で、1回落第して、2回死んでいた。しばらくは自転車にも乗らず、Webにも入らず、地道に自分の足で地面を歩こうと思った。少し殊勝な気持ちになったこともあるが、実際問題として、自転車のハンドルは曲がったままだったし、アクセスすればあの恐ろしいE管理域に閉じ込められてしまうWebには、もう二度と入れない。何年もかかってコツコツと採集してきたあちこちのパスコードも、全部失った。面倒くさいけれども、別のアカウントをつかってログインし、また1からハックしなければならない。自転車はともかくとして、Web空間で以前と同じように活動できるようになるまでには、かなりの時間がかかることだろう。