クロスオウヴア 06
■■■ プライヴィット 2 ■■■
「ねえ、聞いてるの。」
ふたたび呼び掛けられて、佑右の心は木野川の堤防に戻った。沙紀が入学して以来、二人はつき合うでもなしつき合わないでもなし、兄妹の様でもありカレシカノジョの関係の様でもあり、先輩後輩の様でもあり友だちの様でもありながら今に至っているのだ。
「ああ、聞いてるよ。」
佑右は答えた。
「実はな。これを見せようと思ってさ。」
佑右はポケットからPHC(ハンディコンピュータ)をとりだし電源をいれた。そしてちょっと後ろを振り返って背中の土手に視線をやった。誰も後ろから覗き見ることができないのを確認すると、立ち上がったPHCを操作して、OSの設定メニューからWVDの視野を「単一指向性フロントミドル 画角十五度」にセットした。こうしておけば、真後ろから覗き込まれない限り他人が画面を見ることは不可能だ。ワイヤレスホンを沙紀の耳にかけてやりながら、佑右は言った。
「これから凄いものを見せてやるぞ。」
「なあに。」
「まあ、見てよ。」
佑右は右手の指にFI(指キー)をセットすると、パスワードの入力を促すウインドウに文字を入力し始めた。
「なにやってるの。」
「これはおれの最高傑作だからな。人に見られないようにパスワードでカギをかけているのさ。おっと、間違った。」
佑右はパスワードの入力を失敗すると手を止めた。沙紀には佑右が一瞬そのまま何かを待っている様に見えた。
「ねえ、パスワード失敗したんでしょ。」
「ああ。」
「どうしてもう一度すぐに入力しないの。」
「一度入力に失敗すると、一秒間は再入力が出来ないように設定してあるんだ。」
「どうして。」
「うん。えっとね・・・」
佑右はWVDの中を確かめると、もう一度入力しながらいった。
「えっとね、連続入力が可能だとね、十六桁のパスワードだと、一瞬にして破られてしまうんだ。」
「どういうこと?」
「入力できる文字の種類は、数字とアルファベット大文字、小文字それに記号をあわせて九十四文字だ。それが十六こ並んでできる文字列の種類はいくつある。」
「んとね、二回同じのを使ってもいいの? じゃあ、九十四の十六乗だから、えっと・・・およそ3.7かける10の31乗」
沙紀はちょっと空を見上げるような感じに視線を上げて答えた。佑右は、PHCで同じ計算をさせていた。
「えっ、早いな沙紀、・・・そう、合ってる。沙紀、おまえ計算早いな。」
「これでも私、三桐に首席入学よ。」
佑右は初耳だった。
「へーそうだったの。これはおみそれしました。じゃあ、八高はどうだった?」
「ううん。たぶん私には合わないだろうと思って受けてないの。」
「じゃあ、他は。すべり止めとか。」
「ううん、受けてない。三高一本よ。」
三桐高校も八雲高校もどちらも有数の難関校である。普通はこの二つを受けた上で、別のやさしい学校をすべり止めに受けておくものだ。佑右は、沙紀の能力の高さと度胸の良さに舌を巻いた。
「こいつにPHC教えるのやめようかな・・・おれより上手くなるぜ、こいつ」
「なあに?」
「いや、何でもないよ。で、だからパスワードを、多くても『3.7かける10の31乗』回入力すればどこかで開くって事になる。今のPHCの能力なら、0000000000000000から0000000000000001、・・・02、・・・03と順に連続入力するプログラムさえ上手く組めば数日のことさ。だから、連続入力できないようにしてある。」
PHCが立ち上がると佑右はデスクトップ上の一つのアイコンをダブルクリックし、またパスワードを入力した。今度はソフト自体を立ち上げるためのパスワードだ。
そのソフトが立ち上がった。木立の写真がWVDの全面に広がった。木々の向こうには噴水がある。中央には緩く弧を描いた小径が通っていて、その左右にはベンチの様なものもある。どこか公園の中の一風景の様だ。
「ねえ、これどこの写真。」
その質問には答えずに、佑右はキーを操作している。
「まん中の道の一番奥を見てごらん。」